22 企てる者
「キーラが王宮を出て行っただと!?」
「はい。王は引き止めようとしたようですが、神官に止められたようです」
「チッ。不甲斐ない王だ……」
聖女ユークディアの父、デルマゼア・ラ・ミンク侯爵は苛立ち、舌打ちをする。
(既にユークディアが正妃となる事は決まっているのだ。もはや、それでもいいと思っていたが……)
しかし、ミンク侯爵にとってキーラが邪魔な存在である事に変わりなかった。
「完全に王からシャンディス侯爵令嬢への疑いが晴れたのではなさそうですが……」
「……そうか」
疑ったままで良かったのに。
もっと言えば、そのままキーラを処刑してしまえば良かったのだ。
(賢しらなあの娘、キーラに邪魔をされた事は一度、二度ではない)
ミンク侯爵、デルマゼアとキーラは、前王カラレスの時代から敵対する派閥だったと言える。
キーラの優秀さを買っていた前王は、彼女に何度か公の場、特に大臣などが集うような議会にさえ同席させ、発言の機会を与えていた。
デルマゼアの思惑が、キーラの助言によって覆され、潰された事は何度もあったのだ。
シャンディス侯爵家自体もその傾向にあり、表立って争いこそしないもの、常に家門ごと邪魔な存在だった。
……それが、その忌まわしきシャンディス家のキーラが。
神によって王の伴侶と決まっている。
そのような状況はデルマゼアにとって看過できる事ではなかった。
(だから、王にあの娘を憎むように仕向けたのだ)
元より、レグルス王は、王子時代からキーラに対する反感は抱いていた。
それは、己よりも優秀だから認め難い、という男のプライドではない。
父である前王カラレスは、レグルス王子よりも明らかにキーラに優しい言葉を掛けていた。
愚かな王が求めていたのは、あろう事か『愛』だった。
両方の姿を見る機会のあったデルマゼアは思う。
『これは使える』と。
だから手勢の者を使い、レグルスに『言葉の毒』を染み込ませていった。
常にキーラと自分を比較するように。
そして、己が劣り、愛されぬ中、あの者、キーラだけがカラレス王に認められていると。
常に意識をさせ続けた。
キーラを心底から憎むようにレグルスを導き続けたのだ。
それらはすべてキーラ・ヴィ・シャンディスという邪魔な女を排除する為に。
そうすれば己の娘、ユークディア・ラ・ミンクが王の寵愛を受け、すべてを手に入れるであろう、と。
しかし、彼の野望は、企ては、どこかズレ始めている……。
(ユークディアが毒を飲まされ、そしてキーラが希代の悪女として断罪され、処刑される)
(そうなれば、すべてが上手く行ったと言うのに)
聖女に毒を飲ませたのは……他ならぬ聖女の父、デルマゼアだった。
死ぬような毒は飲ませなかったし、それに子供が産めなくなるような毒も用意しなかった。
必要なのはユークディアこそが被害者であり、その加害者がキーラであるという事実。
そして愚かなレグルス王は、憎しみのままキーラを地下に投獄した。
その時のデルマゼアは、最高の気分だった。
(毒を飲むのがキーラであれば即死か、或いは石女にでもなるような毒を用意したがな)
邪魔で、忌々しいキーラが、苦しみ死んでいく。その様を見る。
それは一種の快楽だ。
死ぬのであれば、それでもいいし。
愛した王自らの手で処刑されるのも見物というもの。
断頭台にかけられながら、己が愛した男とユークディアが手を取り合う姿を見上げる様など、想像しただけで愉快だ。
デルマゼアは、地下牢に投獄したキーラを処刑するまで事を運ぶ予定だった。
レグルス王は、ユークディアを心配し、気遣っていたし。
今やキーラに対する憎悪の炎は深く燃え盛っていた。
大臣達も焚き付けて、デルマゼアも動けば、間違いなくキーラの処刑にまで至れただろう。
デルマゼアにはその確信があったし、そうするつもりだった。
(それが……あの大神官め)
すべてがデルマゼアの思惑通りに進んでいた。
そこで最初の手違いが発生したのだ。
大神官エルクス・ライト・ローディアが、舞台に上がってきてしまった。
それも神の予言が撤回され、新たな予言が下された事で。
(本当に忌々しい……!)
神の予言が撤回されなければ。
『大きな間違いを犯している』というあの予言さえなければ。
寿命の違う不老の大神官は、いつまでも大神殿を出てこなかった筈だ。
基本的に神官は、王国の在り方を黙って見守る立場に居て介入など、ほとんどしてこない。
もちろん、それだけの権威も力もあるし、大神官を排除する事は、たとえ王でも難しい。
だが、いつもなら見ているだけで、黙っている筈だったのだ。
それこそキーラの首が落とされる時になっても、あの男は黙って見守っていただろう。
(だと言うのに)
神の予言があった為に、大神官が動いてしまった。
そうして、処刑される筈のキーラは、惨めに地下牢で過ごす筈が、貴人牢へと移され……。
あろう事か、王宮を無傷の身体で出て行ってしまった。
(邪魔なのだ。キーラは)
王宮を出たのだから。もう王政の場に関わる事は、ほぼないのだから。
王の婚約者でさえなくなったキーラに発言権はほぼ与えられない。
しかし、それだけでは……デルマゼアは満足できなかった。
せっかく良いところまで進んでいた計画だったのだ。
キーラの心が絶望に染まり、地下牢で惨めに汚れていき、そして愛した男が他の女を愛する様を見ながら、愛する男の手で首を切り落とされる。
……そうなる筈だった計画を遂行しなければ満足できなかった。
神の手違いにより邪魔をされた運命に、デルマゼアは執心していた。
キーラの死と絶望は、デルマゼアにとって福音であり、祝福だ。
だから何としてでも達成しておきたい希望であるし、今後の彼の人生や、娘のユークディアの豊かで満たされた人生にとって有害なキーラは、早く惨めに死ぬべきだった。
「……レグルス王の疑いは晴れていないのだな?」
「はい。王とシャンディス侯爵令嬢の和解は成立せず、仲違いしたままの離縁となりました。令嬢は側妃にさえなるのを拒むと」
「そうか」
(ユークディアの為に使い潰される運命を受け入れるなら、それも一興だとも思ったがな)
キーラが側妃となった後も、アレに一人の女としての幸福など与えぬつもりだった。
ただ、ユークディアの責務を支える役目に徹させ、愛した王からは憎まれ、蔑まれる影に貶める予定だった。
そんな人生を歩むというなら、デルマゼアの溜飲も少しは下がったというもの。
「……では、こうしよう」
レグルス王のキーラへの疑念は未だ晴れていない。
ならば、そのまま死ねばいい。
今、彼女が死ねば、王に疑われたまま、その疑いは晴れる事はない。
何より、邪魔なキーラが居なくなる。
それはデルマゼアにとって欠かせない幸福への道標だ。
「上手く、やれ」
そして、デルマゼアは、キーラを始末する為に動いた。
これでキーラは、シャンディス侯爵家に帰る事さえもないだろう……。
そう思いながら。




