20 クソ喰らえですわ
「キーラ様」
「……エルクス大神官様」
王宮の部屋で療養していた私の元へ、大神官様が訪れた。
地下牢ぶりの再会です。
「体調は如何ですか?」
「はい。徐々に戻ってきております。軽めの食事は摂れるようになりましたわ」
「それは良かった」
私は手振りで大神官様を招く。心持ち、少し離れた場所へ移動。
リュジーについて気取られるワケにはいかないわ。
彼、不老の大神官、エルクス・ライト・ローディアは、私がただの人間であれば素直に味方と言えただろう。
けれど私は悪魔と手を結んだ女。
神に仕える大神官とは、最も対極の位置に居る。
彼からの救いの手は、常に翻される危険を孕んでいるのよ。
「……何か望みのモノはありますか?」
「望みのもの?」
「はい。今、貴方は侍女さえ遠ざけていると聞きます。周りが信用できないのでしょう」
「……ええ、まぁ」
私に対して悪意を持つ者は居るのだ。
聖女も然り。王も然り。そして毒殺犯も然り。
「私はどうでしょう? 信用できませんか?」
「エルクス様を?」
「はい。貴方が神を裏切る事をしていないのであれば、私が貴方に害なす事は決して致しません。ね? この王宮で一番、信用できる相手でしょう?」
「…………」
ノン。残念ながら、最も恐ろしい敵のようです、大神官。
悪魔憑きと知られた時が恐ろしいわ。
処刑、火刑も辞さないかもしれない。
レグルス王に囚われるよりも、よっぽど恐ろしい最期を迎える気がする。
しかも一族郎党を巻き込んで。
ある意味、レグルス王以上の、油断ならない敵なのだ。大神官エルクスは。
「……ふふ。そうですわね。私は神に背く事などしておりませんから。貴方は私の一番の味方ですわ」
ニコリと私は微笑んだ。
『くくっ』
そんな私の態度に対して、小さく笑うリュジー。
楽しいのでしょうね。この悪魔。
「では、手紙を届けて頂けるかしら?」
「手紙ですか」
「ええ。お父様に。カイザム・ヴィ・シャンディス侯爵に対して手紙をしたためたく思います」
「……そうですね。侯爵は長く王都を離れていましたから。
あちらに報告が行くまでに時間が掛かり、さらに彼が動くのにも時間が掛かった事でしょう」
「ええ。お父様。ご無事だと良いわ」
私の父、カイザム・ヴィ・シャンディス侯爵がこの状況になってもまだ姿を見せないのは理由がある。
お父様は、ずっと隣国との紛争地帯の指揮を執っていたのだ。
シャンディス家はアルヴェニア王国の古くからの名門であり、そして騎士団を保有する家門。
だから必要な時は騎士を率いて遠征する事もある。
そんな家門であるから、私も2回目の人生では騎士を目指した。
父から、いずれはシャンディス侯爵を継ぎ、女侯爵になろうとしたのだ。
「……父親を恨んでいますか?」
「え? どうしてお父様を恨むのですか?」
私は理由が分からず、首を傾げた。
「貴方は侯爵令嬢だ。にも拘わらず、初めは不当に地下牢などに投獄された。そして確たる証拠もないまま貴人牢に囚われ、かように虐げられもした。
それ以前に陛下からの婚約破棄です。
キーラ様は、神が予言した王の伴侶でした。その為、幼い頃からそうなるべく努力を重ねてきた。
1人娘であるにも関わらず、自らの家を引き継ぐ選択肢を選ぶことも出来ず」
「……そうですわね」
「そんな貴方が、本当はレグルス王の伴侶になどなりたくなかったと言う。つまり、今までの人生は貴方にとって、常に理不尽で、不当で、苦しく、残酷なものでしかなかった。
たとえ神の予言であろうとも……そんな運命に進ませた父を恨みはしていないか、と」
「ああ、そういう事ですか」
神の予言によって私は王の伴侶として名を挙げられた。
けれど、実際には人間が、色々な手続きを踏む。
つまりアルヴェニア王家とシャンディス侯爵家の間で、政略結婚として私達の婚約が成ったのだ。
……父が何かを変えようとすれば、或いは神殿に懇願すれば。
私とレグルス王の婚約は成らなかったかもしれない。
エルクス様はそう言っているのだ。
こんな目に遭ったのも、元を正せば娘の為に戦わなかった侯爵のせいだ、と。
「ふふ。まさか。お父様を恨みなど致しませんわ。
お父様は私を愛してくださいます。
きっと私がレグルス王と婚約したくない、と言えば運命に共に抗ってくださったでしょう」
……事実として。
2回目の人生で、お父様はそうしてくれたのだ。
必要だったのは私の真剣な訴え、ただそれだけだった。
「エルクス様は勘違いなさっているようですが」
「勘違い?」
「いくら私でも、最初から……。最初から一度もレグルス王を愛していない、或いは愛そうとしなかったなどとは申しませんよ」
「……ほう?」
「愛そうとはしました。事実、おそらくは愛していた時期もありました。ですが……ふふ。これは人ならば、女ならば、誰もがそうだと思うのですけれど。
レグルス王のあの態度で、彼を愛し続ける事は私には無理です。
婚約破棄や冤罪による投獄など、もはや普段の態度の延長線でしかありません。
私にとってレグルス王は『そういう事を平然と私にしてくる男』でした。
……ね? あのような事を、視線を、言葉を、いつも、常に、私に向けてくる男を。
何故、愛せると言うのです? とうに私の中の彼への愛は冷え切っておりましたの」
「……なるほど」
「ふふ。ですので婚約を決めた当初のお父様の決断や、カラレス王の決断を責めたり、憎しむ事はありませんの。
このような事態に陥るに当たり、誰が悪いか、誰が至らなかったか。
と聞けば、それは……ねぇ?」
「レグルス王を恨んでいる、と?」
「まさか! いえ、理不尽な投獄に対しては、もちろん恨みますけれど。
それはそれとして、もう愛していない彼からの婚約破棄は望むところでしたから。
あのような痛ましい事件さえなければ、私も今頃は侯爵家に笑って帰っていたのですけどね」
「……そうですか。ちなみに。今の段階で神殿が調べた事には興味がありますか?」
「まぁ。教えてくださるの?」
「ええ。貴方の立場もありますから。手紙も受け取りましょう」
「ありがとう存じます」
私は、牢の外で起きていた出来事の経緯を、神官様から聞きました。
そして話を聞きながら父への手紙も同時にしたためます。
「──予言書が燃えた?」
「はい。貴方が王の伴侶となる予言も。ユークディア様が聖女となる予言も。他のすべてが」
「……それはまた」
「そして予言書が燃えた灰で文字が描かれました。
『大きな間違いを犯している』……と」
「大きな間違い」
「ええ。……キーラ様は。貴方は、一体誰が『大きな間違い』を犯していると思いますか?」
「ええっと。その予言がなされた時期は、いつ頃?」
「貴方が地下牢に投獄されてから数日が経った時です」
「地下牢、数日後……」
──私だ。
大きな間違いを犯している。
神が予言する程の、間違い。
そんなもの、悪魔と契約した事に違いない。
人間の犯す間違いは見過ごせても、悪魔と結ぶ間違いは見逃せないという事だろう。
いよいよ、私は神に目を付けられた大罪人という事になった。
しかし、とはいえ。
神に間違いなどと言われる筋合いがどこにある?
地下牢に私が投獄された時ではなく、地下牢の中で私がリュジーと手を組んだ時にだけ間違いだと訴える。
……ハッ!
では何? 私が犯していない罪で、貴人牢ではなく地下牢へと投獄される事が『間違いではない』とでも?
そして、それで尚も『王の伴侶となる』予言は覆さずに良いとでも?
婚約破棄をされて! 正妃ではなく側妃ならば、などと見下されて!
冤罪で投獄されて!
それらを『間違い』とは言わないと?
レグルス王が、やはり私を愛しているからか?
投獄から彼が改心し、私の元に跪き、2回目の人生のように愛を囁く結末こそが、神の予言した未来と言うの?
2回目の人生のように。
『王様と令嬢が結ばれる事こそが、それだけこそがハッピーエンド』で物語は締めくくられる、と?
……バカバカしい!
私は悪魔の手を取った事を後悔するつもりはない。
「レグルス国王陛下でしょうね。大きな間違いを犯しているのは」
「……ほう」
「彼は、真に愛する人をユークディア様だと定められました。
その彼女が毒殺されそうになって……その犯人を間違って捕らえたのですよ?
言うなれば王妃を殺そうとした者をみすみすとり逃す選択!
……これが大きな間違いでなく、何だと言うのです?」
「……まぁ、そうですね。私もそのように思います。
もっと言えば、貴方の投獄こそが間違いだと思っていましたが」
「ええ。それも当然、間違いですわ。私が保証致します。ふふ」
「あはは」
私と神官エルクスは笑い合った。
内心で敵と定めていながらも、朗らかに。
「エルクス様。レグルス王は、歪んでおられます」
「…………」
「私に対して異常な憎しみを抱いておられる」
「……それは感じました」
「はい。多少ならば仕方ありません。前王カラレス様は、私をよく認め、褒めてくださいましたが……レグルス様にはとても厳しく接していました。
それは王の考えあっての事ではありますが……。
彼が欲した、父としての愛を前王は、彼にお与えになりませんでした」
「……それは」
「嫉妬心です。私への。カラレス王の寵愛。そして、おそらくは私の母からの親愛も。どちらもレグルス王が欲して止まなかったものでした」
「……貴方の母親? たしか亡くなられている筈」
「ええ。既に亡くなっています。レグルス王が幼い頃の話です。
私の母が、王に『母親の愛』というものを感じさせたのです。
ですので、すべてを持っていた私を、彼は憎んでいる。
すべて持っていてなお、己からの愛さえも欲する、強欲な女だと疎んでいる」
「……そのような王の心を、貴方は誰から聞いたのですか?」
「レグルス王を見ていれば誰にでも分かる事です。
彼の、内に隠した寂しさ。愛を求める子供のような弱さ。
誰かが彼に愛を注ぐ必要がある。
そうでなければ、彼は王として完成に至らない。
それは私の母のように優しく。
それは前王のように優秀な者が、彼を認めて。
そうしてこそレグルス・デ・アルヴェニアは完成し、この国の王となられるのでしょう」
「……、……。……そこまで。
そこまで彼を理解している者は、この国で貴方だけでしょう。
キーラ・ヴィ・シャンディス。
貴方の母のように、彼へ愛を与える事も。
かの者を褒め称えて、それが価値がある程の優秀さを備えた者も。
どちらの条件も満たせる者は、この国において。
いいえ、世界において貴方しかおりません」
「…………そうかもしれませんわね」
だけど。
「知りませんわ」
「え?」
「知った事じゃありませんわ」
「……!」
「何事にも限度がありますでしょう? 彼を甘やかす役目を、私が担うにしても。
そこまでしてやらなければならない王など。ふふ。
何を褒めればいいのです? 何を認めれば良いのでしょう。
王の器になりえずとも、王は立てます。
その血で。人徳が伴わぬままだとしても……それを正すのは、もう私の役目ではありません。
聖女、ユークディア様のお役目でしょう?
私は、けっこうでございますわ。
側妃になど取り立てられてから、ひたすらに長い時を、誇りを踏みにじられて。
そうして果てに彼が私を愛するようになったとして。
私にとっては時間の無駄でございます。
手早く他の殿方を捕まえて、その方に愛され、共に愛ある生活をし、共に生きていく方がよほど有意義。
そうでしょう?
ねぇ、大神官様。かの王が改心されるまで、どれほどの時間を必要とするのです?
それまで私は、若い女の時間を、どれだけ浪費すれば良いのですか?
幸福に過ごせる筈の時間を、どれだけ棒に振れば良いのでしょう?
ドアの前に敷く布のように、ひたすらに踏みつけられる時間など、私には不要ですわ」
私は、極上の笑顔で微笑んで、大神官にこう告げた。
「──クソ喰らえですわ。そんな運命。
ふふ。これ、私のとても大事な友人の受け売りなの。気に入っている言葉なのよ」




