19 甘い看病
私は牢から出される事になった。
レグルス王が認められたそうだ。
(何を理由に)
間違いなく聖女ユークディアの行動が絡んでいる。
とはいえ、まだ疑っているのだろう。彼は、私を。
(とにかく今は休み、体力を取り戻す事が大事だわ)
投獄からの食事抜きの5日間。私の身体は弱っていた。
死にそうな程、には遠いが、それでもだ。
「…………」
スープを飲む。医者に言われたようにゆっくりと。
侍女が付くと言われたが、自力で飲むと断った。
今、悪いがどの侍女であろうと信用できない。
2度目の人生と違い、今の私は正妃の座を追い立てられた女。
権力的な甘い見返りが期待できない以上、王宮で勤める者の大半からは敬遠すべき存在だ。
(聖女ユークディア様が、今やレグルス王の正式な婚約者である事には変わりない)
ならば聖女が明確に『敵』と見做した私を思いやりで害そうとする者は、王宮にも多く居るだろう。
権力争いに固執するなら味方を増やすところだけど。
私は、ここを去るつもりだ。必要ない。
「キーラ」
「リュジー? どうかした?」
「俺が持ってやろうか?」
「え?」
「スプーン。まだ手を上げるのもしんどいだろう」
「え、あ、うん……え? まぁ、そうだけど」
(え、何? リュジーが優しくしてきたわ?)
「とはいえ、リハビリも兼ねる。だからこうしてやる」
「あっ」
服の下。袖の下の肌を彼の体温が移動する。
──ゾクリ、と。身体が震えた。
恐怖や嫌悪感ではない。……快感だ。
(悪魔だからかしら。リュジーに肌を触れられると気持ち良く感じるのよね……)
……私は処女だ。それは2回目の人生を含めても。
2度目の人生では結婚式の前夜に抜け出したから、初夜を迎えていない。
今回の人生など言わずもがな。
だから私は『男性』を知らない。肌に触れられる悦びも、まだ知らない。
(……想像や夢想、身体が反応する限りは、きっと、男性との行為は、このように甘く、心地いいものなのでしょう)
もちろん、それは愛する相手と結ばれてこそ。
悪魔は、もしかして肌に触れるだけで、そういう感覚を女に与えるのかしら?
思えば私は、この影の悪魔から逃れる事は出来ない。
だって彼は、服の下に入り込んでしまった影そのものだ。
髪の毛の下にも潜り込んだ影は、いつでも私の耳元で愛を囁く事が出来る。
甘美に、優しく。
そして身体中、私の肌にいつでも指を這わせる事ができる。
今と同じように常に抱擁されている感覚を与える事も。
彼に触れられた肌は熱く火照り、とろりと私の意識を蕩けさせる……。
「キーラ。ほら。こうしてやる」
「んっ……」
彼は私の腕を持った。というよりも包んだ。
そして、私の代わりに、私の腕を動かしてスプーンを持ち上げる。
「まぁ、なぁに。この感覚。変なの」
私の意識はちゃんとあるし、動かせるのに、他人に身体を操られているよう。
でも感覚としては、腕を重ね合わせて支えてくれるようなもの。
だってリュジーの肌の温度を感じるのだもの。
「ほら。ゆっくりと飲め。お前の身体が万全になるまで支えてやろう」
「……そ、その。リュジー、さん?」
「あん?」
「……凄く、その。優しくて、甘い……のだけど」
「はぁ?」
(あ、あら? もしかして無自覚? 無自覚なの、この悪魔!?)
私の頬に熱が溜まり、かぁーっと赤くなり、熱くなっていくのが分かる。
(官能的な刺激を与えて、優しくしてくれて……悪魔だから誘惑されているのかと思ったら……無自覚な優しさ!)
これでは私の方が、彼に何事かを期待していたみたいになってしまう。
悪魔であり、男である彼が何の意識もしていないと言うのに!
「なんだ? スープの味が気に入らないのか? 俺の知った事か。お前は今、味を気にして居られる立場か? 大人しくスープを飲んで安静にしてろ。
キーラが動けない、喋れないままだとつまらないからな。早く元気になれ」
(や、優しい! あ、悪魔のくせに! 何なの、この……悪魔!?)
今も抱き締められ続け、腕に手を重ね、優しく看病され、口元に食事を運ばれて。
耳元で囁きかけられ。
そして、それら全てが、甘く、快感を伴う……。
ドキドキと心臓の鼓動が速まった。
ときめきと錯覚するような脈動。
(まずいわ……)
気持ちや、恋愛感情。そういったものが芽生えたとは言わない。
だって今は愛を捨てたばかりだ。
けれど、否応なく自分の身体が反応している。
……女としての反応だ。
私は、それに抗う術を学んでいない……。
(くすぐったい)
肌を彼の存在が這う度に、ゾクゾクと震えた。
熱くなる。身体の奥が。
視界がぼやけ、唾液が多く口の中に溜まり、粘ついた。
「あっ……」
「キーラ?」
「リュジー。私、その」
「……どうした? 顔が赤いし、身体も熱い。体調が悪いならいい。食事は後で摂れ。今は横になって身体を休めていろ」
「…………うん。そう、する」
(困ったわ。本当に困った。リュジーったら優しい事に無自覚……ううん)
(悪魔に愛欲があるとは限らない。そもそも人間の女に、性的な興味を抱くかも怪しい存在)
(……つまり私ばかりが耐えなければいけないのよ。このもどかしい感覚に)
それは、まさに悪魔の所業とも言えた。
考えた事はある。
このまま、この悪魔に女としての自分を捧げれば……。
それはレグルス王に対して、そして神に対しても、この上ない復讐になるだろう。
おそらくはキーラの身の破滅と共に。
だって、リュジーは悪魔なのだから。
「…………はぁ」
(リュジーに後で1人にして貰おうかしら。少しの時間)
吐き出した溜息は、とても熱かった。