18 釈放
「何のつもりだ」
「れ、レグルス様……。私は」
「何のつもりだ。ユークディア」
レグルス王は、聖女ユークディアに問い詰めていた。
キーラの食事を抜き、著しく衰弱させた事。
それは間違いなくユークディアの仕業だった。
「は、反省して欲しかったのですわ、私は。キーラ様に」
「……反省?」
「そうです! 彼女は私に毒を盛った! レグルス様もそうお考えだからこそ、彼女を投獄されたのでしょう!? だというのに彼女に罪を悔い、改める素振りはありませんでした!
ですから私はキーラ様に反省を促したのです! けして殺すつもりではありませんでしたわ!」
「…………、反省、か」
レグルスは、椅子に腰かけ、呟いた。
「たしかに反省はしていなかったな」
「そ、そうでしょう!? あんなにおぞましい事をしでかしたと言うのに!」
レグルスの態度に安心し、そう言い募るユークディアだったが。
「いやぁ。彼女、反省する必要はないんですよねぇ」
「きゃっ!?」
「……また貴様か。大神官」
2人の居た部屋を神官エルクスが訪ねてきた。
「はい。陛下。聖女毒殺未遂事件についての調査報告書をお持ちしました。取り急ぎ、容疑者キーラ様について」
エルクスは紙にまとめた物をレグルスに手渡す。
「…………」
ニコニコと微笑んだまま、神官エルクスは、王と聖女を見守る。
レグルスは無言で報告書に目を通すと、バサリと机の上に投げ捨てた。
「……何の意味がある」
「キーラ様が犯人ではないと。確定致しました。彼女の釈放を」
「……そんな筈ないわ!」
「聖女は黙っていていただけると。思い込みでしか動かない方のようですし」
「何ですって!?」
「未確定の容疑者に対して、暗殺まがいの命令を下したとか」
「っ!」
「陛下。報告書にあるようにキーラ様が、聖女へ毒を盛る事は不可能です」
「……誰かにやらせたのだろう」
「その証拠は? あるのですか?」
「…………」
「ないのでしょう。ある筈がない。初めから貴方の、貴方達の思い込みで彼女を投獄した。
レグルス王よ。貴方は王権を誤解なさっているのでは?
王だからとて不当に人を裁いて良いワケではない。
王権とは神に与えられたものである事をお忘れなく。
これを否定するならば、多くの信徒が貴方を否定しましょう」
「……っ! 忌々しい男だ!」
「それはどうも。ともかくキーラ・ヴィ・シャンディスは、今回の毒殺の実行犯ではありません」
「だからそれは誰かにやらせたに決まってるでしょう!?」
「ですから、その証拠は? 神官達が目を光らせています。今更、彼女に濡れ衣を着せる為の捏造証拠など出させませんよ。絶対に」
「なっ。何故? 私は聖女、貴方は神官なのよ?」
「……はぁ。だから?」
「では何故! 私の言葉を信じず、キーラ様の言葉を信じるのですか!」
「信じる信じない以前の話なのですが……。あえて答えましょう。その様で貴方の何を信じろと?」
「なっ!?」
「聖女ユークディア。キーラ様を信じているのではありません。貴方が信じられないのです」
「な、何を言っているの!?」
「……レグルス王」
エルクスは聖女から目を背け、王と向き合った。
「……なんだ」
忌々しそうにレグルスは応える。
「1つ。キーラ様には直接、毒殺に関わる事は出来なかった。その証言は出揃いました。確かな証拠もございます。まず、現行犯・実行犯として彼女を投獄する事には無理があります」
エルクスは指を1本立てた。
「2つ。貴方と聖女を始め、キーラ様に対する心証的な疑いがある事は事実です。彼女は、貴方に婚約破棄をされた、正妃になる筈だった女性。その座を奪われ、追い立てられた。
そして毒殺されかけた者が聖女であった以上、彼女が一番に疑われてもおかしくはない」
「そ、そうよ」
「黙りなさい。今、王と話をしています」
「っ!」
エルクスは聖女を冷めた声で一喝し、口を噤ませる。
「3つ。キーラ様を投獄する根拠を心証的なものだけとするのなら……ここで新たな容疑者が浮上する事になり、その者の投獄も公平に行われなければならない、と。神殿は提案します」
「……」
レグルスは顔を上げて、神官エルクスを見た。
「……誰の事だ」
「それはもちろん」
ニコリ、と笑うエルクスは。手を上げ、そして指を差した。
「──聖女、ユークディア・ラ・ミンク侯爵令嬢。彼女を投獄して下さい」
「なっ……! なんでよ!? 私は被害者なのよ!?」
「レグルス王。理由を話しても?」
「……ユークディア。黙っていろ。そして、少し下がれ」
「陛下……!」
「黙って下がれ」
「くっ……!」
レグルスが睨み付けると、ユークディアは渋々といった体で一歩下がった。
「……なぜ、ユークディアを投獄せねばならない?」
「キーラ様と同じく心証的な問題です。聖女毒殺未遂事件。ですが、聖女ユークディア様はこのように元気に過ごされております」
「それで?」
「はい。ユークディア様が元気なのとは正反対に、キーラ様は療養が必要な程、追い詰められました。他ならぬユークディア様の手によって」
「……それが?」
「であるならば、事件の真相は、加害者と被害者は逆であった可能性が浮かび上がります。
ユークディア様は、明白にキーラ様を害したいとお思いで、そして行動に移された。
……ならば、毒殺事件の事も、そして彼女がその疑いを真っ先に掛けられた事も。
すべてはユークディア・ラ・ミンクの企みではないか? そう考えられるのです」
「な……!」
「バカな事を。ユークディアがそんな事を、」
「するわけがないと? 心証ですか? では私も一言。
『キーラ様がそんな事をする筈がない』
……ええ。神に仕える大神官として、信徒達に訴えかけましょう」
「貴様……」
「ふふ。ですから水掛け論なのです。しかし、今回の件で、そう。
ユークディア様の側からキーラ様を憎むワケがない、という言葉は成り立たなくなりました。
以前までは立場上、そうではなかったのですがね……。
ユークディア様は、キーラ様に対して、並々ならぬ悪意を抱いておいでなのです。
それは、毒殺事件を『偽装』してもおかしくない程に」
「ば、バカな事を言わないで! あんなに苦しい思いをして! あれが私の自作自演ですって!? ふざけないで! 私が生き残れたのはただの偶然、いいえ、神が助けてくださったからよ!」
「口先だけならば何とでも言えるのでは? やはり、ここはキーラ様と同じぐらいに疑わしい彼女を投獄すべきと、神殿としては考えるしかありませんね。
なにせ、疑わしき者は問答無用で牢に入れよ、が新王陛下の方針だ。
弁明の機会さえ与える必要なし。ええ。神殿は、王のそのご意向に従わなければなりません」
「…………」
「れ、レグルス様。そんな事なさいませんよね? 私を信じてくださいますよね? 私は、毒殺の偽装などしておりません!」
「…………」
「既に部屋の前には神殿騎士を揃えております。陛下が許可されるなら、すぐにでもユークディア・ラ・ミンクを捕まえ、牢に連行いたします」
「ふざけないで!」
「……出過ぎた真似だぞ、神官。ここをどこだと考えている」
「レグルス王の傍に、王国を揺るがす毒婦が居るかもしれない。そのように危うい場であると考えております」
「ハ……」
レグルスは、笑った。
「れ、レグルス様?」
「ユークディアを投獄する事は認めない」
「……ほう」
「レグルス様!」
「もし私がそう言えば、なんだ? キーラを解放しろと、訴えるのか?」
「当然そうなります。心証だけ、という事であれば、もはやユークディア様の方が疑わしいのです」
「な、なんでよ!?」
「……貴方は明確にキーラ様の殺害を目論みました」
「殺そうとなんてしていないわ!」
「ふっ……そう思いますか? 陛下。陛下はキーラ様が衰弱したご様子を見たそうですが。
本当に殺意を、キーラ様の命の危機を感じませんでしたか? 危なかったのではありませんか?」
「…………」
「れ……」
「黙れ。ユークディア」
「っ!」
「……レグルス・デ・アルヴェニア王。
どうか正しい判断を。
婚約者が毒殺されそうになったのです。そのお怒りを理解する臣下は多くいましょう。
故に、初めのキーラ様の投獄について、深く否定する者も多くはいない筈。
ですが、怒り狂い、いつまでも正しい判断を下せぬ王だと思われてはなりません。
今回の件は、以前の決断を見返すに足る事件です。
幸いにして、まだ誰も死者は出ていない。
王宮で起きたこの事件を、正しく見つめ直し、そして真の犯人にこそ然るべき罰をお与え下さい。
王よ。まだ取り返しはつくのです」
「…………」
「キーラ・ヴィ・シャンディスの釈放を。
或いはユークディア・ラ・ミンクの投獄を。
どちらかをお選び下さい、レグルス王。神殿はそのご意向に沿いましょう」
「…………」
長く。長く。長く、王は沈黙した。
そして。
「……キーラを、キーラ・ヴィ・シャンディスを牢から出す事を、許可する」
そう神官に宣言したのだった。