15 ケイト・マクダリン
「…………」
ユークディア様が訪れてから既に1日過ぎ、3日目。
無言のメイドがコップ1杯の水を運んできたわ。
「朝のお水ね」
まだ1日、2日。この程度なら平気よ。
身体は違うけれど、私は騎士の訓練もこなしてきたし。
辛くはあっても、耐え切れない程じゃない。
(これから、どんどん耐え難くなってくるのでしょうけど)
このまま食事抜きの日が過ぎれば、もって2週間か3週間程度の命。
私がボロボロになった頃合いを見計らってユークディア様は、再度ここを訪れるのでしょうけれど。
……彼女、水だけで人が何日間、生き延びられるか。
そういうのは把握しているのかしら?
私がそうした知識を持っているのは、2度目の人生で騎士として生きようとしたからだ。
遠征する騎士は、サバイバル的な知識もないといけないからね。
(食事がしっかり摂れれば、牢の中で身体を鍛えるのも良いと思っていたけれど)
これじゃダメね。可能な限り、体力を使わないように生活しなくちゃいけないわ。
幸い、別に私が動かなくても黙っていてもリュジーは不満を言わない。
悪魔的には私がこの境遇で足掻いている事自体が楽しいのかしら?
身近な同居人が、愚痴を零さず、ただただ私の話し相手になってくれるのは大きいわ。
(朝のお水を飲んだら、またリュジーとお喋りして過ごしましょう)
彼は人間の事を知っているようで知らない。
知らないようで知っている。
色々と人間を観察してはきたのでしょうけれど、それは悪魔的な視点からだ。
意外にも彼、悪魔リュジーは人間の生活そのものに対する興味を持った。
『楽しそうだ』と語ったのだ。
王妃候補として育った、最初のこの人生の話は微妙かもしれないけれど、騎士として生きようと足掻いた2度目の人生は、彼を楽しませた。
(私も、様々な見識を広める事が出来たわ)
周りからすれば、一晩で私の価値観ががらりと変わったように見えるかもしれない。
されども私はキーラ・ヴィ・シャンディス。
本人である事には変わりないから違和感は覚えども、別人とは疑われないでしょう。
まぁ、私が変わった一晩は、前後からしてずっと地下牢だったから……。
人が変わったのは投獄された事が原因だ、と思われておしまいでしょうけれどね。
「ありがとう」
と。水を運んできたメイドに声を掛ける。
(あら?)
何か。何か彼女に違和感を感じた。
(一体、何が)
考える間もなく。
──ガシャン! バシャ!
「…………」
私が水の入ったコップを受け取ろうとした瞬間。
メイドはコップの載ったお盆を手放した。
「……申し訳ございません。落としてしまいました」
「…………そう。いいのよ? 片付けはどうしましょう? 私は別に置いておいても構わないけれど。
檻を開けて、貴方が掃除してくださるの?」
「道具をお持ちします」
「道具?」
「はい。片付け終わりましたら、こちらの鉄格子の傍に置いておいて下さい。私が回収致します」
「…………ふ」
つまり。
『お前が自分で片付けろってさ。キーラ。いやいや、高貴なシャンディス侯爵令嬢?』
私にだけ聞こえるように、耳元で囁きかけるリュジーの声は楽しそうだ。
(この悪魔……)
「貴方の言いたい事は分かったわ。でも、掃除の道具よりも新しい水を持ってきてくださる? 朝のお水がまだなのよ」
「それは出来ません」
「はい?」
「水を運ぶのは1日に2度と決まっております。次に運ぶのは午後でございます」
「……貴方が、朝の水を落とし、私は受け取っていないわ」
「私は、檻の中へ水を、既に運びました。……檻の中で起きた事は、すべて貴方様の責任でございます。その為、その責任は負いかねます」
「…………」
私は絶句してしまった。こんな事、初めての経験だ。
レグルス王のように理不尽に怒鳴ったり、罵ってきたりするのとは違う。
(嫌がらせ、だわ)
私の初体験だ。一種の感動さえ覚えたわ。
「でも、私は水を飲めてないの」
「……飲み物が必要でしたら、そこに。まだ乾いておりませんよ」
そう言って、メイドは地面を指差した。
切り揃えられた石の床。貴人牢であるが故に、地下牢のように見た目は汚くはない。
そこには割れたコップの欠片と……床に零れた水がある。
つまり、彼女はこう言っているのよ。
この私に。キーラ・ヴィ・シャンディス侯爵令嬢に。
──地面に零れた水を、床に這いつくばって、啜れ、と!
『ははっ』
「ふっ。ふふふ! あははは!」
リュジーが笑うのに釣られて私も笑った。大笑いした。
「…………」
メイドは私が怒り狂うか、それとも泣き出すとでも思っていたのか。
笑い始めた私の反応に驚き、そして一歩、後退った。
(狂ったとでも思ったのかしら? ふふ)
「──ケイティ。ケイト・マクダリン男爵令嬢」
「っ!?」
自分の名前を言い当てられたメイドは、驚愕の表情を浮かべる。
「匿名の何者かを気取るのはお止めなさい? 自身の事など何も知らないだろう、と。
安全な場所から、私を一方的に攻撃しても、己は反撃されないと。
そう思い込むのは止めなさい?
貴方は『名無しの、顔の見えない誰か』じゃあないのよ、ケイト・マクダリン。
私はキーラ。キーラ・ヴィ・シャンディス。
かつては王の婚約者として学んだ女。
王宮で働く貴族令嬢の名と顔を、知らないとでも思っていたの?」
「……あ、」
「貴方は自ら足を踏み出したわ。
冤罪すら引き起こし、無実の相手を投獄する。そんなおぞましい王宮の争いに。
貴方は自ら私を敵に回したわ。
八侯爵家がひとつ、シャンディス家の一人娘を。その家門を。
私は父、カイザム・ヴィ・シャンディス侯爵から注がれる愛を疑っていない。
マクダリン男爵家は、シャンディス侯爵家を今、敵に回したの。
お分かりかしら?
貴方が将来、何の罪がなかろうとも投獄される日も来るでしょう。
そうして食事も与えられず、水すらも与えられない日も来るでしょう。
それだけで済めば良いのだけれどね?
どうするの?
報復を恐れるのならば、ここで死に物狂いで私を殺して見せないと……ふふ。
貴方に『明日』は来るのかしら?」
「……っ」
メイドのケイティは震え始めていた。
誰を相手にしているのか。それに対して己が何者なのか。
それを刻み付けてやった。
「ひとつ、貴方に良い事を教えてあげるわ、ケイティ」
「う……あ? 良い、こと?」
「ええ」
私は、ニコリと微笑んで見せた。
少しだけ油断したような、赦されたかのような表情を浮かべる彼女。
「レグルス王は、私を虐げる事をお喜びになるでしょう。けれど。
──彼は、私の死を望まないわ。
少なくとも、このような形で私が衰弱し、死んでしまう事は。
……ふふ。いいえ?
自分以外の者が、このキーラを虐げる事もお喜びになるかは、分からないわね?
自らの手で傷つける事を喜ぼうとも。
他人の手で私が傷つけられる事には、レグルス王はお怒りになられるかもしれない。
私が今、牢に閉じ込められているのは、王の意向。
キーラ・ヴィ・シャンディスが罪人か否かなど問題ではないのよ。
ケイティ。貴方は今、王が自ら箱に入れた宝石を傷つけている。
……そうでない確信が、貴方におありになって?
王の目に宿る、私に対する炎が。貴方には見えないかしら?
ねぇ、ケイティ。男女の仲には色々とあるものなのよ……?
貴方の目には、私がどう見える?
王に見捨てられた哀れな女? それとも狂王が大切に保管した宝物?
……私が後者でないと、貴方に判断する術はある?
ふふふ。それとも、レグルス王に報告する?
『あの悪女がキーラをこんなにも貶めて見せました』と!
王が見捨てた女だと確信するのなら、むしろ大手柄だわ! きっと彼は褒めてくださる!
だけれど。
レグルス王が、今なお、歪んだ形ででも……私を愛していたら?
ケイティ。貴方は、私と彼の間に、勘違いで勝手に入り込んだ邪魔者でしかない。
その場で王に切り伏せられないといいわね? ふふ」
「……! ……っ!」
私は悪魔の如き微笑みと、言葉で彼女の心を制圧した。
「──ケイト・マクダリン。今すぐ水を持ってきなさい。
そして割れたコップを片付けるのよ。
私と彼と、そしてユークディア様が立つ、この舞台に。
貴方が立ち入る隙など一つもない。
身の程を弁え、名無しのメイドに徹しなさい?
貴方の役割は、私に水を運び、食事を運び、貴人牢の主の世話をする。
ただ、それだけよ」
「……は、はい……!」
ケイトは慌てて走り去って行ったわ。
そして。
時間を置かずに、新しい水の入ったコップを持ってきた。
その後は床の片付けをして去って行ったわ。
『ふはっ! お見事。キーラ・ヴィ・シャンディス』
ただ、悪魔だけが、私の小さな戦いを褒めてくれたのよ。
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