14 レグルスという男
「食事抜きですって。リュジー。ふふ」
「大変だなぁ」
他人事のように悪魔は私の耳元で囁きました。
悪魔ですからね。問題の深刻さが分かっていないのかもしれません。
私は、ベッドに横になりながら彼に話します。
「人間というのはね。リュジー。水を飲まなければ4、5日で死ぬそうなの」
「ほう」
「食事抜きなら……、水と、まぁ睡眠も? ちゃんと摂っていれば2週間か、3週間ぐらいは生きられるそうよ」
「ふむ」
「まぁ、きっと2週間後とかになれば喋る体力もなくなっているのでしょうけれどね」
「そうか」
「……貴方、いつまで私の事を見守ってる?」
「うん?」
私は、天井を見ながら話し続ける。
「私が死ぬ、その瞬間までこうして傍に居てくれるかしら?」
「…………」
「悪魔に抱かれて死ぬ。そういうのも神への反逆のようで良いと思わない?」
「……そうかもな」
「ふふ。でもリュジーとしてはつまらないかしら? もっと派手な立ち回りがお好みだった?」
「どうかな」
地下牢でないだけマシかしらね。
ベッドの上で死ねるのだから。
そう口にすればユークディア様はまた私を地下牢へ運ぼうとするのかしら?
「あの女は、何の権限でキーラの食事を抜く?」
「権限?」
「あれは王ではないだろ。聖女は神殿で神に祈るだけの存在だ。
お前とあの女は共に侯爵の娘でしかない。アレに権限があるとは思えないが?」
「……まぁ、私。公式で王が閉じ込めた罪人扱いですもの。
そしてユークディア様は聖女にして、今やレグルス王の婚約者よ」
「あれがか?」
「そうねぇ」
彼女も侯爵令嬢として教育を受けている。
目立って抜けている事があったワケではない筈だけれど。
「あれは、王を愛しているというより、お前に執着があるようだな」
「そうなのかしら」
どうしてかしらね。王に寵愛されたなら、それで良いでしょうに。
「ま、女が自分の男を他の女に自慢したがるのは、性というものだ。快感なのさ。アレもそれに突き動かされているのだろうよ」
「……それなら友人に広めれば良いのではないかしら」
「他でもないお前に自慢したいのさ。キーラが悔しがり、惨めに泣く姿が見たい。そうする事で、あの女は初めて『勝った』と思えるんだ。くくっ。いや、人間だな。本当に人間だとも」
「……私からすれば、とても迷惑だし、気持ち悪いわ」
「仕方ない。あの女にとってお前に勝つ事でしか幸福を掴めないのさ。だから、そのお前が王を愛していないなどあってはならない。だから否定する」
「ふぅん」
ユークディア様がそう思っているとしましょう。
「では、レグルス王はどうお考えかしら?」
「……さて」
「彼は私を愛しているそうよ。ええ、まぁ、この世界では、それが憎んでいるに変わった後でしょうけれど」
「2度目の世界で、キーラはあの王の何を見た? 聞いたんだ?」
「それは」
思い出す。2回目の人生。
最初の人生では、あれほどに私を疎んでいた筈のレグルス王が、私を求めるように追いかけてきた。
拒絶した。悲鳴を上げた。逃げようとした。
それなのに私を追いかけてきたのだ。
「……真摯だったわ」
嘘のように。
自らの至らなさを恥じ入り、私に尽くそうとした。
かつて欲しかった、彼の愛を体現するような……偶像。
「……前王、カラレス・デ・アルヴェニアはレグルス王子を厳しく躾けていたの」
「うん?」
「次代の王が傲慢にならぬようにと。王子に意見が出来る者など限られているが故に。前王カラレス様は、レグルス様を厳しく躾けた。彼に優しい言葉を王は掛けなかった」
「うむ」
「……それは親心であり、王の判断でもあったわ。けれど」
「けれど?」
「レグルス・デ・アルヴェニアは、父親に対して『愛』を求めていたの。厳しい言葉も聞く。王として学びもするけれど。……その中で、自身が頑張って来た事を父に褒めて欲しい。認めて欲しいと願っていらしたわ」
「…………」
「けれど、前王が死ぬまで、ついぞ求めた親としての愛や優しさは与えられなかった。
カラレス王が遺したものは、その全てが『王』としてのものだったの。
王として語り、未来の王へのみ言葉を掛けた。
息子よ、愛している──そんな言葉は今際の際でもなお、カラレス王の口からは紡がれなかったわ」
「……まぁ、お可哀想な王子様らしいが。それとキーラを憎む事に関係あるか?」
「あるのよ」
「ほう?」
「私は、カラレス王に可愛がって貰ったわ。王妃教育に励む姿を褒めていただけた」
「……それはまた。レグルスの目の前でか?」
「目の前ではない。けれど離れた場所から見られていた事はよくあった。
私が彼の姿を見つけた事もある。……将来、結ばれると分かっている王子様。
私は、彼に無邪気に微笑みかけた事も何度かあったわ」
「……おうおう」
「そして私のお母様」
「母親?」
「ええ。もう亡くなっているけれど。幼かった頃、レグルス様は私のお母様に優しくされたらしいの」
「ふむ?」
「髪の色や瞳の色は私と違うけれど、顔立ちはそっくりなお母様。
レグルス王は、ひとり泣いている時、私のお母様に何度か慰められて立ち上がった経験をしたそうよ。
彼には母親……王妃様が居ない。早くに亡くなられたから。
レグルス・デ・アルヴェニアにとって私の母は、本当の母親のように感じていたらしいわ」
そして、お母様は私の事を愛してくれていた。
「……父親であるカラレス王に褒め称えられる私。
母のように慕っていた私の母、アミーナ・ヴィ・シャンディスには娘として愛情を注がれる私。
レグルス王は、そんな私を見続けた。
己の欲しいモノをすべて持っている癖に、なお。
なお、自分からの愛さえも求め続ける傲慢な女。
それがレグルス王にとってのキーラ・ヴィ・シャンディス」
私は、王妃教育を頑張っていた。
それを王に労われる事は、私に与えられるべき報酬だった。
そして実の母に愛されていた事が罪だなどとは思わない。
……婚約者であり、将来の夫になる筈の彼を愛し、愛されたいと思った事が傲慢だと言うのなら、私は傲慢でいい。
「随分と拗らせている。よくぞ、それで2回目の人生では結婚する事になったな?」
「……私は彼を拒絶したの。最初は逃げようとしたのよ。もう二度と、このような人生は嫌だったから。彼との婚約を何とか解消し、白紙のものとしようと頑張ったわ」
「ふむふむ」
「婚約者の道を回避しようとする、という事は王宮で彼と接する機会が激減するという事よ。そして、傲慢にも王妃の座を狙う女だなどという、格好の攻撃性も発揮できない。
疎んでいた程度の私だけれど、どうも自分が嫌われ、避けられているらしいと悟ったそう。
避けられ、逃げようとされれば、彼の中の興味を余計に惹きつけてしまった」
どうして逃げる? どうして避ける?
何かをしただろうか? と。
政略などは関係なかった。彼は唯一の王子だ。
「……彼は、私の事ばかりを考えるようになったそう」
「ほう」
「後は時間が、私達を結び付けた。彼は私の愛を求め、私は彼に愛を捧げたわ──」
だけど。
「キーラ。お前は、その愛を投げ捨てた」
「……ふふ。そうよ。私は、レグルス王への愛を捨てたキーラ」
彼への愛は2回目の人生の私に置いてきた。
……きっと、私じゃないキーラが彼の傍で生きていく。
それでいいのよ。
だから。
──この世界の私は、二度と彼を愛さない。