12 聖女の寝室で
「……もう大丈夫なのか、ユークディア」
「はい、レグルス様。王宮医の処置が適切だったようです」
ベッドに横たわるユークディアを、私、レグルス・デ・アルヴェニアは見舞っていた。
王城では、大神官エルクスが主導で、聖女ユークディアの毒殺未遂事件の調査が行われている。
彼女の容態の確認も神殿が改めて行ったが、快復しているらしい。
「……犯人は分かったのですか?」
「そんなものキーラに決まっているだろう!」
「それは、そうかもしれませんけど……」
「何がそれはそうなのでしょうかね」
「きゃっ!?」
「……貴様」
侍女や護衛が控えている場とはいえ、王とその婚約者の逢瀬に、大神官エルクスは現れた。
「神官殿は権利を履き違えているようだ」
「おやおや。国王陛下がそれをおっしゃいますか? 真っ当な手続きを取らず、証拠もない中でユークディア様を毒殺しようとした犯人を、キーラ様に仕立て上げた、その口で」
「キーラ以外に誰がユークディアを狙うと言うのだ!」
「……そうですね。前にも言いましたが、レグルス王にとってはご無事な聖女よりもキーラ様を貶める方が重要なご様子ですから」
「ふざけるな!」
「ふざけていると思うのですか? 侯爵令嬢を謂れもないまま貴人牢にすら入れず、地下牢に放り込むような真似をして。王国に残った唯一の王族とはいえ……それでは臣下は従いませんよ」
「貴様っ……!」
「へ、陛下……落ち着いてください」
「っ! ユークディア」
私は、いつも私を癒してくれるユークディアに手を取られ、頭に昇った血を引かせていく。
「……第一、お話しましたようにキーラ様には、ユークディア様を殺す動機がありません」
「動機ならば、」
「ないでしょう。だって彼女は、レグルス王を愛していない」
「ッ! そのような言葉は、ただの出任せだ……!」
「ぶはっ!」
と。私の言葉に対し、神官エルクスは噴きだすように笑った。
……神官でさえなければ、切って捨てているところだ。
「出任せ? 出任せですか? あはは……! いえ、出任せではありません。彼女は堂々とおっしゃっていましたよ。レグルス王を愛していないと! 貴方達の仲を祝福すると!」
「……そ、そんなの。口では何とでも言えるではありませんか? 神官様」
「それはそうですね。ですが、そういう問題じゃないのですよ、ユークディア様」
「ど、どういうことです?」
「ええ。失礼。動機の話でしたから、これは私の話運びが悪かったですね。ユークディア様。キーラ様の疑い自体を消す根拠は、まだ見つかっておりません」
「では、やっぱり?」
「そして、貴方を毒殺しようとした証拠もまた全くありません」
「……えっと」
「つまり。彼女が疑われてるのは、ただただ心証だけなのですよ。それもレグルス王の、身勝手な思い込みに基づいた話です。疑う根拠さえないのと同じ」
「誰が身勝手なものか!」
「身勝手ではないですか。だって陛下。彼女の言葉を否定する必要はありません。
彼女が犯人であるかもしれない事と、貴方を今、まったく愛していない事は両立するのですから」
「……ッ!」
「どういうことですか、神官様」
「簡単ですよ。ユークディア様。事件以前の彼女の心は分かりませんが……少なくとも今の彼女は、もうレグルス王を愛していないだけです。そりゃあそうでしょう? 誰が自分の言葉をまるで聞かずに、それも地下牢に放り込むような男を愛するというのですか」
「……それは。でも。キーラ様は」
「貴方の目からはレグルス王を愛しているように見えた、と?」
「は、はい。愛していたと思いますわ」
「……ふふ」
「な、なんでしょうか」
「キーラ様の気持ちをそう判断しながら、彼女が婚約者であると知りながら、レグルス王との仲を深めたと?」
「なっ! そ、それとこれとは別の話です!」
「一体、何が別なのやら……」
「いい加減にしろ、神官。王である私どころか聖女すら愚弄するのか?」
「──愚弄しているのは、お前だ」
「……!?」
神官エルクスは、そこで声を厳しく低い声に変えた。
警戒と緊張が部屋の中に充満した。
この男は得体が知れない存在感を放っている。
神官。神の代理人。たとえ王とて簡単には手が出せない者……。
「神の予言を身勝手に覆し、踏みにじるような真似をしておいて、よくもぬけぬけと言う」
「…………」
低くした声を、神官は和らげてから続けた。
「……陛下。ユークディア様。私が言いたいのはですね。彼女が貴方を愛していない事を、出任せだと罵った貴方の言葉がおかしい、という事ですよ」
「……何がおかしいと言うのだ」
「だって、そうでしょう? まるでそれでは。レグルス王は、彼女に自身を愛していて欲しいかのようではありませんか」
「……ッ!」
「えっ」
「別の事なのです。陛下。彼女の今の愛と、事件が起こった時の彼女の感情は。罪人として彼女を糾弾したいならば、冷静に指摘すればいい。……ですが。貴方は、彼女の気持ちこそが大きな問題と捉えているように見えます」
「…………」
「陛下。ですが、陛下は私を」
「……もちろん。私が愛しているのはユークディア。君、ただ1人だけだ」
「…………」
「ふふ。それでは問題ありませんね。少なくともキーラ・ヴィ・シャンディスを、レグルス王の側妃に据える必要は無くなりました。神殿の方でもそのように正式に動きましょう」
「何だと!?」
「え、その。でも、どういう?」
「国王陛下が彼女をそこまで疑い、牢にまで入れました。正式に婚約破棄を突き付けもしたようで。そしてキーラ様ご自身も側妃などなるつもりはないとのお言葉があります。そして、何より重要な事なのですが……」
「……え、ええ」
「──神は、予言を否定されました」
「……な」
「え?」
「陛下には既にお話したように、現存する予言の記録がすべて神によって焼かれ、灰となってしまいました。つまりは神は予言を否定したのです。
これにより『キーラ・ヴィ・シャンディスを王の伴侶とする』必要性はなくなりました。
また『ユークディア・ラ・ミンクを神に仕える聖女とする』必要もなくなったのです。
……よろしいでしょう?
お2人の望み通りになります。聖女として神殿に入る必要のなくなったユークディア様ならば、正式に王妃に迎えても信徒達はもう否定しません。
お2人の間に愛があるならば尚の事。
ミンク侯爵家という家柄も悪くはありませんし。
ユークディア様には良い事尽くし、というものですね?」
「それは……そう、なのかしら? でも聖女と呼ばれなくなるということですか? 困ったわ。意外と気に入っていたの、その呼び方を」
「貴方は王妃となるのでしょう? 流石に王妃と聖女の両立は難しい。
予言が燃えたのは、神からユークディア様の婚姻への祝福とも解釈できますね」
「まぁ!」
「そしてキーラ様はお二人を祝福すると言い、側妃の立場も辞退されました。
ユークディア様が王妃と正式に迎えられるならば、側妃を迎える必要もありません。
大神官として国王陛下の前で宣言します。
キーラ様を王の伴侶にする必要は、もうありません」
「……ッ! 貴様は……」
「まだ床に伏せるユークディア様に良い報せを伝えたつもりなのですが……。お気に召さないのですか? お2人の婚姻を神殿が認めて祝福し、王の唯一の妃に据えて良いと申し上げているのに」
「そ、そうね。それは嬉しいこと、喜ばしいこと、だわ。そうですよね? 陛下」
「あ、ああ……だが、それは」
「安心して下さい。ユークディア様。私が、王の伴侶を貴方のみとするよう、神殿を挙げて訴えますからね」
「あ、ありがとうございます! 神官様! 私、神官様を少し怖い方だと思っていました!」
「ふふ。素直でいいですね」
「あ、でも。私は、私を毒殺しようとした人が誰か分からないままなのは怖いわ。今、神殿が調査を担当されているのでしょう? 犯人はしっかりと突き止めて欲しいの」
「……ええ。全力を尽くします」
「その。それがキーラ様であっても、罪人は罪人だから変に庇わないで欲しいのだけれど」
「……ご安心を。罪に対して罰を与える。神官として、その事を違えるつもりもありません。神殿の者達もです。ですが、ここは王宮。疑わしい、だけの人物ならいくらでも用意できる事をお忘れなく。
私は、真実でなければ人を裁く事を認めません」
「でも……キーラ様は」
「ユークディア様が安心できるように言葉を持ってきたのですけれどね。
……そうだ。ユークディア様。貴方もキーラ様にお会いされては?」
「えっ?」
「何だと! 何を考えている! キーラはユークディアを毒殺しようとした女だぞ!? そのキーラにユークディアを会わせるなどと!」
「……まだ犯人と決まっていませんよ。証拠もないと言っています。
ユークディア様。貴方も、彼女の口から、レグルス王を愛していない事を聞くといいでしょう。
きっと貴方の事も恨んではいませんよ。
もし、罪悪感を抱えていらっしゃるならば、これから唯一の王の妃となるに際して、貴方の心の支えとなるでしょう」
「……、それは……はい。神官様がおっしゃるのなら……」
「ユークディア!」
「まぁ、体調がもう少し良くなってからで良いと思いますけどね」
「……分かりました。キーラ様は、牢の中なのですよね?」
「ええ。今のところは」
「鉄格子が、私達の間にちゃんとあって……彼女は檻の中に閉じ込められている?」
「……そうですよ。もちろん、彼女の潔白が証明された後で会いに行っても構いませんが」
「……近い内に会いに行きますわ。だって神官様がそう勧めてくださったのだもの。ね、陛下。良いでしょう?」
ユークディアは、そう言って私に微笑みかけた。




