01 婚約破棄
「おめでとうございます! レグルス王! 新たな王よ!」
民の歓声に包まれながらレグルス王子……いえ、戴冠式を迎え、国王陛下となられたレグルス王が手を振ります。
「…………」
私は、そんなレグルス陛下を離れた場所から見つめていました。
王子の頃よりの婚約者の立場でありながら、民の前に立つ時も、貴族達の前に立つ時さえも、彼の隣に立つ事も許されないまま。
「キーラ様。陛下に花束をお贈りください」
「……はい」
神官に渡された祝いの花束を手に持ち、おそるおそるレグルス陛下に近寄ります。
「陛下」
「……なんだ」
振り向いた彼の表情は、民に向けるものから一瞬で切り替わり、嫌悪のものへ。
憎悪すら抱かれた鋭い瞳が私を射抜きました。
「……おめでとうございます。王国の太陽に、この花を捧げます」
温かな言葉など期待する事はありません。もう、そんな心は擦り切れた後です。
「……チッ!」
他の誰に聞こえたか分からない程ながら、私には聞こえる音で舌打ちをするレグルス王。
私が手渡した花束を受け取り、民にかざすと、また一際の歓声が響きました。
そして、民に向けてはニコヤカな対応をした後で。
──バサリ。
花束は民には見えない場所で地べたに捨てられ、踏みつけられました。
「……汚らわしい。お前の持った花など。思い上がるなよ、キーラ」
すれ違い様にそう、私を罵るレグルス王。
「思い上がるなど……」
「黙れ」
私に何の言葉を返す事すら許さず、陛下は去っていきます。
そして王宮の中に入った彼の元へ。
「レグルス殿下! とても素敵でしたわ!」
「ユークディア。見ていてくれたか?」
「はい! とても素晴らしい戴冠式でした! 新たな王に祝福を!」
「ありがとう、ユークディア」
聖女ユークディアが近寄り、花束を贈るとレグルス王は柔らかな笑顔を彼女に向けて……。
「…………」
私は、その場で立ち止まったまま。
愛している、婚約者が、聖女に微笑む姿を見ていました……。
◇◆◇
私の名前は、キーラ・ヴィ・シャンディス。
侯爵である父と同じ銀色の髪と青い瞳に生まれた侯爵家の一人娘です。
国王陛下、当時は王子であったレグルス様と私の婚約が、正式に結ばれたのは当時、私が7歳であった10年前。
神官に伝えられた『神の予言』によって、私が次代の王の伴侶になる運命なのだと告げられたのです。
その為、私は幼い頃から彼、レグルス王の妻となる為に生きてきました。
それ以外の生き方を私には選ぶ余地もありません。
レグルス・デ・アルヴェニア王子は、賢君と知られた前王陛下と早くに亡くなられた王妃様のたった一人の子でした。
前王と王妃様は、なかなか子宝に恵まれず……。
ようやく生まれた王子殿下に喜ぶ間もなく、王妃様はお亡くなりになってしまいました。
それから陛下は新たな妻を娶る事はせず、レグルス王子を育てられたのです。
そんなレグルス王子と私達の関係は……良好な時など、思い返せばなかったように思います。
ただ憧れるように1人の王子に、婚約者に焦がれた私は、彼から愛を囁きかけられる事も、重ねた努力を労わられる事もついぞありませんでした。
……何故、彼にそのように疎まれ、憎まれてさえいるのか私は知りませんでした。
ただ、私は、自身が至らぬのだと思い、王妃教育に励み。
前王陛下には良くしていただきましたが、周りからの期待や要求は上がるばかりであったと思います。
努力し続けた結果として、たしかに王妃に相応しい器、能力であると多くの方に認めていただくに至りました。
けれど。
「皆、聞いてくれ」
多くの貴族が集まった場で。新しく国王となられたレグルス様は注目を集めました。
「私は、デルマゼア・ラ・ミンク侯爵が娘、神殿に聖女と認められた彼女、ユークディア・ラ・ミンクを王妃に迎える」
「……!?」
その宣言に集まった人々は、……私も、驚愕に目を見開き、言葉を失いました。
「陛下、何を!?」
「シャンディス嬢はどうされるのです!? 前王陛下が定められ、何より神の予言が神殿に下った伴侶の筈です……!」
そうです。
神の予言。神殿におわす不老の神官に伝えられる、その予言はたしかに私達、王国の民を見守る神から告げられるもの。
少なくともアルヴェニア王国では、王権よりも上の……。
「神の予言があるから。それだけで、キーラを娶れと?」
「……そ、そうです」
「ふん。……キーラ! キーラ・ヴィ・シャンディス!」
「は、はい」
レグルス王は、大勢の前で私を呼び、注目を浴びせました。
「お前はどう思っているのだ?」
「……どう、とは」
もはや貴族達の前ですら隠す事なく、その冷たい目で彼は私を睨み付けます。
「自分が王妃に相応しい人間だと、そう言うのか?」
「え、あの」
「答えろ」
……自分が王妃に相応しいか。分からない。
努力はしてきたつもりだった。王妃に必要な学びを怠った事はない。
不足なく、優秀だとも言われたけれど……上がり続ける期待や要求に、足元がフラつき始めてきたようにも思います。
「……私は。……王妃になる為に、学び、それを修めてきたと自負はしています」
「だから?」
「……だから、とは」
「だからお前が王妃に相応しいと、そう言うのだな?」
「…………」
言えなかった。王妃に相応しいか。
だって私には、必要な物が足りていないように思ったからだ。
それは能力的な話ではない。
どんなに優れていたとしても、学んで成し遂げたとしても。
私は、ただの侯爵令嬢に過ぎなかった。
王は、彼なのだ。レグルス・デ・アルヴェニア。
アルヴェニア王国の王の血を継ぐのは、彼であり、重要なのは彼だった。
そして私には……その王からの……愛がなかった。
「は! そういうところが傲慢なのだ、お前は。己の優秀さをひけらかし、自らこそが王妃に相応しいと宣う」
「レグルス様、私は」
「誰が私の名前を呼んでいいと言った?」
「……失礼しました。国王陛下」
「キーラ・ヴィ・シャンディス。お前との婚約を……、この場で破棄する」
「……!」
彼の顔には、私を甚振る愉悦さえもありません。
ただ、そこには……憎しみのような怒りが。
「なんと。陛下……そのような、」
「神の予言だと言うのなら、それは叶えてやろう」
「え?」
それは一体、どういう。だって神の予言の内容は。
「私はユークディアを正妃に迎え、キーラを側妃として迎える。……それならば不満はあるまい?」
「…………そのような事は、」
「不満だと? 自らが正妃に相応しいと?」
……言葉が通らない。
元より、彼が私の言葉に耳を傾けた事はなかった。
「婚約の破棄は……承ります……」
「なんだと?」
私の心は、折れかかっていた。いいえ。彼を愛するキーラ個人は既にほとんど死んでいるようなものでした。
「……ですが、側妃として迎えるという話は……私の一存で決められる話では……ありません。
元より……、私はシャンディス侯爵の一人娘であり……。正妃に出来ぬと、おっしゃられるならば……、父である侯爵の判断を……必要とします」
フラつき、倒れそうになる私を支えていたのは、侯爵令嬢としての矜持でした。
「……ハ! 王妃がダメなら、すぐに侯爵か。やはりお前は俺の事など見ていない。王妃の座だけしか興味のない。そういう女だったな」
「……私は、私は、そんな事は」
「もういい」
そしてレグルス王は、私に背を向け、その場を去っていきました。
後に残された私は、それ以上、何も言葉を届けられぬまま。
私は……レグルス様。私は、貴方を愛していたのです。
そんな言葉は、私の口から出る事はありませんでした。
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