#7. Hello & Good-Bye (さようなら。そして、こんにちわ)
「なかなか、良いものが見つからないねぇ~」
「そ、そうですね」
私が頭の後ろで手を組みながら、後ろを歩くアンジェちゃんへと振り返る。どうしてか、彼女の顔は。呆れたような笑顔だった。
「う~ん。どうしてだと思う?」
「それは、たぶん。……お店に入るたびに、お姉さんが大暴れするからじゃないですか?」
彼女の背後には。アンティークショップの窓ガラスから、上半身だけが飛び出た老人の店長がいた。その顔には、殴られたような拳の跡があった。
「いやー。生理的に受け付けない奴を殴り飛ばしたら気分が清々しいよねぇ」
「そうじゃなくて。そんなことをしているから、ティーカップ探しが進まないんですよ?」
「えー。だって、ありえなくない。あのクソ爺。こともあろうに、アンジェちゃんの御手に触れようとしたのよ!? ただの下民のくせに、天使のようなアンジェちゃんに触ろうなんて。冒涜以外の何ものでもないって!」
「お姉さん。声が大きいです。周囲の人たちが、変な目で見ていますよ」
「安心して、アンジェちゃん! たとえ、火が降ろうとも、槍が降ろうとも。この私が守ってあげるから!」
「ナタリアお姉さん。お願いだから会話をしてくれませんか」
だんだん、アンジェちゃんの視線が。尊敬から呆れたものになっていく気がする。
アンジェちゃんと街中を散策していると、次から次へとトラブルが降りかかってきた。空からは植木鉢やらレンガやら落ちてくるし、ひったくりや強盗も絶え間なく襲ってくる。
しまいには、ティーアップのお店に入るたびに、店員たちがアンジェちゃんに絡もうとするのだ。これは保護者(自称)として、ちゃんと守ってあげないと。そう思って、張り切って撃退してきたというのに。
むー、このままでは年上の威厳が保たれない。もっと気合いを入れて、この娘を守らないと。
「むっ、野良猫! ……おらぁ、ナニ見とんじゃあ! ウチのアンジェちゃんに媚び売ろうなんぞ、一億万年早いんじゃ、ボケェ!」
「……お姉さん。お願いですから、やめてください。恥ずかしくて泣きそうです」
かぁ~、と恥ずかしそうに顔を隠しているアンジェちゃんと、野良猫に向かってマジの喧嘩を売っている私のことを。すれ違う人たちが、ヒソヒソと声を立てながら見ていた。
「ふぅ~、あの野良猫め。手こずらせやがって。……あ、アンジェちゃん。ちゃんと追い払ったから安心してね」
私が満面の笑みを向ける。
そして、アンジェちゃんが軽蔑の目で返してきた。
「……お姉さんのこと、もっと真面目な人だと思っていましたけど。ちょっと考えを改めたいと思います」
「えぇ~、真面目じゃん! 野良猫がアンジェちゃんを襲うかもしれないから、こうやって追い払って―」
「そういうところが、変だと言っているんです」
ジドッ、と疑うような視線。
そんな彼女を見て、私は「呆れたアンジェちゃんも可愛い! アンジェちゃん、マジ天使!」と心の中で叫んでいた。
私とアンジェちゃんは、心温まるコミュニケーション(と、私は本気で思っている)を交わしながら、この首都の住宅街を歩いていく。
少しずつ陽が傾いて、人の往来もなくなっていく。
綺麗に敷き詰められた石畳に、通路の壁のように隙間なく建てられた住宅地。夕方の風が吹けば、どこからか美味しそうな香りが漂ってきそうな。そんな閑静な街並みだった。
「もう、陽が落ちちゃいそうだね。そろそろ、本気でお店を探さないと!」
「そうですね」
アンジェちゃんが気のない返事をしながら、唇を尖らせた。
彼女の疑う視線を向けられるたびに、なぜか心の距離は開いていた気がする。なぜだろう? 私は、こんなにも愛しているのに。
「おねーさん。やっぱり、ちょっと変わっているかも」
「そんなことないって! 全然、フツーだって! アンジェちゃんのためなら、どんな奴だってボコボコにしてやるし」
「そういうところが、変だって言っているんです」
ぷくっ、と柔らかそうな頬が膨らむ。
だけど、すぐに。
その表情は、楽しそうな笑顔に変わった。
「……でも、そういうところが、ジンタに似ているかも」
「ジンタ? 誰それ?」
「私の友達です。どんなときも一緒にいてくれると言ってくれた、とても大切な友達です」
そう口にする彼女は、はにかむような笑顔だった。あれだ、恋する乙女の顔だ。
当然、私は頬を引きつらせながら歯ぎしりをする。そうか、ジンタ君というのか。アンジェちゃんの想い人は。よし、覚えておいてやろう。……きっと私は、このことを忘れないだろう。
「あ、また来た」
「そうですね」
前のほうから、ふらふらと男が歩いてくる。
狭い住宅街の路地では、あまり距離を開けられない。私たちは警戒するように道の端へと身を寄せると、なぜか男も同じほうに寄ってくる。そして、男がアンジェちゃんの鞄に目掛けて手を伸ばしたところを、私が軽く蹴り飛ばす。
べちんっ、と住宅の壁に叩きつけられた男は、そのまま目を回したように気絶していた。
「まったく。どうして、アンジェちゃんばっかり狙われるのかな? もう、これで三回目だよ?」
「まぁ。わたしは慣れていますけど」
アンジェちゃんは蜂蜜色の髪を揺らしながら、ちょっとだけ肩を落とす。
「ナタリアお姉さんもわかったでしょう? やっぱりわたしは、不幸なことを呼び寄せる体質なんだって」
「だーかーら! そういう考えはよくないって言ったでしょ!? アンジェちゃんは何も悪くない。悪いのは、さっきみたいな奴よ」
「それでも、わたしと一緒にいるから。お姉さんも巻き込まれてしまって」
「あはは、気にしないで。私、こう見えて強いから!」
むんっ、と腕拳を握る。
筋肉などまったくない、ぷにぷにとした腕だった。そんな私を見て、アンジェちゃんは呆れたように笑う。今度は、ちゃんと笑ってくれた。
「ふふっ、まったく。お姉さんは変な人だけど、面白い変な人ですね」
「こらっ。変は余計だっての」
「いいえ。ナタリアお姉さんは、変で、面白くて。そして、優しい人です。……だから、そろそろお別れしましょう」
アンジェちゃんが、哀しそうに笑った。
「もうじき、夜が来ます。夜になったら、昼間からは考えられないほど危険になります。お姉さんは優しい人だから、これ以上。迷惑をかけたくありません」
「えっ? もう、さようなら? もうちょっと一緒に遊ぼうよ」
「ダメです。お姉さんはまったく理解していない。わたしがどんな存在なのかを。どれほどの不幸を周囲に巻き散らしているか。それに、お姉さんは勘違いしています。わたしは、あなたが思うほど立派ではありません。知らない他人がどうなろうと、別にどうでもいいんです。それよりも、……お姉さんみたいに優しい人が傷つくところを見たくない」
悲しみを堪えるように唇を噛んでいる。
本当は、もっと自由に遊びたい。
今日のことを振り返って、一緒に笑って、一緒に街を歩いて。私が暴れるたびに、彼女が呆れて。本当の友達になれたような気がした。そう言っているのが見て取れた。
「今日は楽しかった。本当に楽しかったです。……なので、さようならです。優しいお姉さん。わたしは、あなたのことを忘れません。でも、あなたは今日のことを忘れてください。わたしを見かけても、近づいてはいけません」
彼女の精一杯の気遣いに。
絞り出すような本音に。
私は、ボリボリと頭をかきながら。彼女の背後に立つ。
「だーかーら。そういうことを言っちゃダメだって。私もアンジェちゃんと一緒にいて楽しかったよ? だから、また一緒に遊ぼう」
「ダメです。もう、わたしに近寄ってはいけません。あなたが不幸に巻き込まれることだけは―」
「大丈夫だって、さっきから言ってるじゃん。私、そこそこ戦えるって」
「い、いけません! 本当に危険なんですよ。だって、この街に潜んでいるのは―」
「だーかーらーっ!」
私はいい加減に頭にきて。
腰に挟んでいる『デリンジャー』を引き抜きながら、彼女のことを守るように背中に隠す。
そして、背後にいる存在に向けて。
銃口の狙いをつけた―
「私たちが楽しく話しているのに、邪魔するんじゃねーよ。このクソ悪魔が」
私の目の前にいたのは。
あの野良猫だった。
無邪気にあくびを漏らしながら、傾いた夕陽を浴びている。
その夕陽に伸びた影から。
2メートルは越えようかとしている、影絵のような怪物が立っていた。体のおかしなところがら手足がぐちゃぐちゃに生えていて、今にもこちらを襲おうと両手を広げている。
ひっ、とアンジェちゃんが息を飲む声が、背中越しに聞こえた―