#5. Broken My Heart…(それは、わずか一時間の恋物語)
「……アンジェ、だって?」
かたん、とティーカップが指から滑り落ちる。
なんて。
なんて完璧な名前なのだろう!?
……天使。……あぁ、天使!
そうだ。天使(Angel)なんて名前は、この子にこそ相応しい。むしろ、天使の輪っかと白い翼がないことのほうが不自然だ。それに名字が蜂蜜(Honey-syrup)ときた。
蜂蜜色の天使。
……か、完璧すぎる。
時計塔の仲間である黒髪美女先輩は、天使の血を受け継いでいると言っていたけど。あんな不愛想で、いつも不機嫌な人が、天使の末裔であるわけがない。……決めた。これからは、外見で人を判断しよう。
「へぇー、素敵な名前だね!」
「はい。とっても気に入っています! 昔、仲間のリーダーだった『カイチョー』さんが、つけてくれたんですよ」
ん? カイチョー?
はて、どんな字が当てはまるんだろう。なぜか、我らが腹黒リーダー。アーサー会長のことが頭をよぎってしまう。
「(……まぁ、あの腹黒会長に。こんな素敵センスがあるとは思えないけど)」
私は有りもしない妄想を、頭を振って追い出す。
「それじゃあ、私も。アンジェちゃんって呼ぼうかな」
「はい、お姉さん」
えへへ、と蜂蜜色の美少女。アンジェがころころと笑いかける。……あぁ、尊い。守りたい、この笑顔。
「それで、お姉さんは?」
「あっ、そうだね。私の名前は、ナタリア・ヴィントレス。この首都の学生で、今年17歳」
「わぁ~。わたしの仲間たちや友達と、同じくらいの年齢なんですね。びっくりです」
「そ、そうなんだ」
あれ? なんだろう?
さっきから嫌な予感という棘が、ちくちく刺さっているんだけど。……まさか、この子。悪魔と関係しているとかないよね?
「アンジェちゃんの歳はいくつくらい? 私より、ちょっと下くらいだと思うんだけど」
「えっと、年齢は。……そのヒミツで」
「ヒミツかぁ。そっかぁ」
くぅ~、可愛い。
あまり子供っぽくみられなくないのかなぁ。
ふと、視界の端で。
彼女の背後から、浮浪者のような男が近づいてくるのが見えた。ふらふらと怪しい足取りで。でも間違いなく、こちらへと近づいてくる。その様子を、私は笑う視線の隅で捉えていた。
「それじゃ、さっきも聞いちゃったんだけど。駅前には、ひとりで来てたの? それとも、家族と一緒に?」
「えーと、それは。友達に黙って出てきちゃって―」
ふらふらっ、と浮浪者の男が倒れそうになる。
そして、私たちのいるオープンテラスの席へと近寄ると、アンジェちゃんの可愛いらしいバックを掴む。そのまま、男は走り出そうとした。
だが、私がテーブル下から足を出すと。それに引っ掛かって、盛大にコケた。私は男の手からバックを取り戻すと、股間を蹴り上げて気絶させる。
……ったく、さっきから何なんだ?
ジュースが倒れそうになったり、空き缶が飛んできたり。不運なトラブル続きじゃないか。誰かが私たちの出会いに嫉妬でもしているのか? ふん、これだからモテない奴は嫌いなんだ。少しは私を見習うといい。
「そっか。友達に黙ってきちゃったのか。あ、はい。バック」
「……あ、えっと。ありがとう、ございます?」
何が起きたのか、よく理解できていないようで。アンジェちゃんは首を傾げながら感謝を口にする。
「本当は、その友達と一緒に来る予定だったんですけど。ちょっと、内緒にしておきたいというか」
「プレゼント? 誕生日とか?」
「ま、まぁ、そんなところ、です」
「もしかして恋人とか? そんなわけないか。あはは、あは―」
私が、からかうように言うと。
かぁ~、とアンジェの顔が真っ赤になった。
友達に誕生日プレゼントを贈るだけで、こんなに真っ赤になるなんて。そんなに恥ずかしがることないのに。これじゃ、まるで好きな人にプレゼントするみたいで―
「(……え、……あれ?)」
蜂蜜色の天使、アンジェちゃんは恥ずかしそうにもじもじしながら、顔を真っ赤にさせている。よく見れば、同じ色の瞳もかすかに潤んでいるし、その全身から甘ったるいオーラが放たれている。
これは、あれだ。恋の気配だ。
……おい。
……ちょっ、待てよ。
「ね、ねぇ? アンジェちゃん。確認したいんだけど。アンジェちゃんがプレゼントを贈りたい人って、タダの友達なのよね?」
「も、もちろんです! お姉さんは何を言っているんすか!?」
むんっ、と小さな両手を握って猛反発する。
ほっ、と私が安心する。
だが、それも束の間。もじもじと恥ずかしそうにしている蜂蜜色の女の子は。否定しながらも、躊躇いながらも、その続きを口にする。
「……で、でも一番、大切なお友達です。いつもわたしのことを守ってくれて、傍にいてくれて。彼がいたら何でもできる。そんなふうに思えるんです」
「へ?」
「あ、あと、できれば。……わたしの家族になってほしい。そんな人です」
「は」
私は、思考が停止した。
脳内の残っている情報が、ひとつひとつ火花を散らしていく。
プレゼント、友達、大切な、彼、家族になりたい。小さな火花は、それぞれ連鎖的に暴発していって。最後の自爆装置を押すように、私は問うた。
「ま、まぁ~。アンジェちゃん、可愛いし~。その彼も、きっとプレゼントを気にいってくれると思うよ~、うん」
「本当ですか!? やっぱり、お姉さんは優しいですね! わたし、踏み出す勇気がなかったんだけど、これでちゃんと『好き』を伝えられそうな気がするんです!」
えへへ、と笑いながら向けられるのは。
一点の曇りのない信頼の笑み。
ありがとう、優しいお姉さん。
そんな微笑みを向けられて、私は。
……心の中で、悲しみの涙を流すのだった。
「(……滅んでしまえ! アンジェちゃんが私のものにならない世界なんて、滅んでしまえばいいんだっ!)」
私は自分の淡い恋心の爆破スイッチを押しながら。まだ見たことのないアンジェちゃんの想い人と、この世界に向けて、最大級の呪詛を吐き捨てるのだった。
それは、わずか一時間の恋物語だった。