#4.Angel Honey-syrup(女の子の名前は、アンジェラ・ハニーシロップ)
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「あ、あのー。そんなにジロジロと、見ないでください」
「え~、なんのことかな~?」
にこにこ、と笑っている私のことを。先ほど出会った可憐な女の子が不安そうな目で見ていた。
場所は、首都の繁華街から少し離れた喫茶店。
その店のオープンテラス席で、私はその女の子と向か合いになって座っている。両手で頬杖をついて、じっくりと目の前の美少女を鑑賞する。
蜂蜜色の髪は、ゆるふわのミディアムロングヘア。
愛くるしい顔立ちは、小動物のような幼さが際立っている。
服装は、ギンガムチェックのワンピース。
身長もちっちゃくて、私よりだいぶ小さい。たぶん、140㎝くらいしかなんじゃないかな。ほっぺたもプニプニして柔らかそうだし、今にも泣いちゃいそうな目元は、私の中に眠っている母性を呼び覚ます。
……あー、持って帰りたい。お菓子で釣ったら、一緒に来てくれないかなぁ(興奮)。
「あの、お姉さん?」
「お、お姉さん!?」
ズキュン、と再びハートを撃ち抜かれる。
あぁ、まさかこんな可愛い子から、『お姉さん』なんて呼ばれるなんて。
いつも仲間からは、頭のネジが足りていない女とか、お金に目がないバカとか、車で酔ってゲロ吐いた奴とか、そんなふうに呼ばれていたから。こうやって上目遣いをされたら、もう恋に落ちるしかないじゃないか!?
あぁ、可愛い。
本当に可愛いよぉ。年齢は、いくつかな。私よりは年下みたいだけど。
「だ、大丈夫ですか? さっきから、変な顔をしたり、うねうね体をくねらせていますけど」
「大丈夫ですよ! なんたって『お姉さん』ですから!」
むんっ、と発育途中のなだらかな胸を張る。
いかん、いかん。
この子の前では、しっかりとしたお姉さんでいないと。
私は軽く息を整えて、余裕のある笑みを浮かべる。……いや、余裕なんて微塵もないけど、表情筋を動かして無理やりにでも作る。あー、スパイ養成所の訓練が、こんなところで役に立つとは思わなかった。
とりあえず、当たり障りない話題で会話を盛り上げよう。
私は脳内のスパイ閻魔帳を開いて、他愛ない会話の糸口を探る。そうだなぁ。「今日はひとりなの? それとも、家族と待ち合わせしてたの?」……うん、これだ。
私が女の子に声を掛けようとする。
だが、ちょうと同じタイミングで、ウェイターが注文していたものを持ってきた。むむぅ、タイミングが悪い。
「お待たせしました、紅茶とオレンジジュースです。……あっ!」
ウェイターが焦った声がして、トレイに載せていたオレンジジュースがゆっくりと傾いていく。
その瞬間。私は落ちていくオレンジジュースのコップを掴むと、そのまま少女の前に置いた。
「えーと、そうそう。今日はひとりなの? それとも、家族と待ち合わせしてたの?」
私は固まっているウェイターから紅茶を勝手に取ると、優しい笑みを浮かべながら問いかける。ふふん、返答に困らない問いかけ。それこそが会話の第一歩なのだよ。
「(……って、あれ?)」
だけど、いつになっても彼女から返答はなかった。
驚いたような目で、オレンジジュースの入ったコップを見ている。さっきから、ウェイターは固まったままだ。むむぅ、何かミスったか?
「あ、ごめんね。もしかして、答えにくかった?」
「い、いえ! そんなことは、ないです」
蜂蜜色の髪の少女は慌てて答えると、オレンジジュースのストローを口にくわえて、おずおずと飲みだす。……あぁ、口もちっちゃい。それにジュース飲んでいる姿も可愛いぃ~。今からでも、ストローに生まれ変われないかな(混乱)。
「さ、さっきは、ありがとうございました。助けてもらって」
「いや~、そんなことないよ~。気にしないで。『お姉さん』は優秀だから!」
「で、でも。あんな危険なことに巻き込んで。……あ、怪我はありませんでしたか?」
「私? 全然、大丈夫だよぉ。それよりも、あなたこそ何ともない?」
そうだ。
まだ、私。この子の名前も知らないんだ。こんな時こそ、スパイ養成所直伝の会話テクニックを使って―
「あー、そういえば。まだ名前も知らなかったね。あなたの名前は?」
ブロロッ、と遠くからトラックが近づいてくる音が響く。
ちょっと強い風が吹いて、空き缶が喫茶店の前を転がっていく。コロコロと転がっていく空き缶が、トラックの走る道へと不自然なほど向かっていく。
「そ、そうでした! 危ないことに巻き込んでしまったのに。本当にごめんなさい! わたしの名前は、アンー」
ブロロロッ、と狭い道をトラックが走り抜けて。
転がっている空き缶を弾き飛ばした。
グシャ、と形が変形した空き缶は。
狙っていたかのように、蜂蜜色の髪の少女へと飛んでくる。私は、それを振り向くこともなく素手でキャッチすると、そのままゴミ箱の中に投げ入れた。
「え? ごめん、トラックの音で聞こえなかった。もう、こんな細い道をトラックが走るなんて。常識がないんだから」
「……は、はい。お姉さん。それと、近いです」
「あはは、ごめんね。それで、名前は?」
むはー、と鼻息が荒くなってしまう。反射的に吐息がかかるくらい顔を近づけちゃったけど。やばい、この子。毛穴まで可愛い。
……いかん、いかん。こんなときに前のめりになるのは年上のお姉さんがすることではない。私は落ち着くように自分に言い聞かせて、目の前にまで迫ってしまった蜂蜜の女の子から離れる。
「わ、わたしの名前は、……うぅ」
自分の名前を言おうとしていた少女。
だが、なぜか肩を落として、しゅんとしてしまう。
どうして!? また、私がドジを踏んだのか!? 表情には出さず、頭の中で躍起になっていると、少女は少しだけ悲しそうに口を開いた。
「実は、わたしには名前がないんです」
「名前が、ない?」
「はい。そのことは、あまり他人に言ってはいけないと」
他人という言葉に、胸がチクッと痛む。
でも、いいもん! これから仲良くなればいいだけだもん!
「だ、だけど! 仲間が、大切な友達が、名前をつけてくれたんです! それが、わたしのことを指すんだって思うと、とっても胸が暖かくなるんです。……お姉さんは、とても良い人だから。ちゃんと本当のことを言わないといけないって、そう思って―」
「~~~~~っ!?」
「お、お姉さん。その、大丈夫ですか? どこか悪いところでも?」
「大丈夫だから! 気にしないで!」
全身を迸る電流のような衝撃に、私は体をくねくねとさせる。
くはーっ! なんて良い子!
可愛らしくて、いじらいしくて。それでいて礼儀正しいとか、もはや最強じゃん。あー、持って帰りたいなぁ。言葉巧みに学園内に誘い出して、私の部屋に閉じ込めれば、ギリギリ犯罪にならないかも。……はっ、そうか。これが愛か!?(錯乱)
「……わ、わたしの名前は、アンジェラ・ハニーシロップです。仲の良い人からは、アンジェと呼んでもらっているので。お姉さんも、そう呼んでいただけたら嬉しいです」
蜂蜜色の髪の少女。
アンジェは、はにかむように笑った。