♯2. Speaking too much!?(しまった、喋りすぎたか!?)
「ねぇ、カゲトラ~。ちょっと手伝ってくれない~」
「……なんだ、猫撫で声を出して。気持ち悪いぞ?」
あん? ブッ飛ばしてやろうか?
こちらとて恥ずかしいのを承知で声を掛けているんだ。お前に、ティーカップを壊したという冤罪を着せるためになぁ!
「ま、まぁ。いいから、こっちに来て手伝ってよ」
「ったく、しょうがねぇな」
カゲトラはぶつくさ言いながら、私のところまで歩いてくると。そして、何をすればいいのかと無言で尋ねる。
「この食器棚の奥にあるティーカップを取ってくれない? このメイド服だと、奥まで手が届かなくてさ」
「は? そんなわけ―」
「いいから、早く」
こういう時は、勢いが大切だ。
私は急かすようにカゲトラの背中を押して、例の液体のりがついたティーカップを取らせる。
そして、私は。
とんっ、とコイツの肘を押してやった。
「あ」
カゲトラの声は短かった。
液体のりという、あまりにも脆弱な接着剤でくっついていたカップの取っ手は、私が押した衝撃であっさりと取れてしまい。
カツン、と小さな音を立ててカップの部分が転がっていった。わずかに気まずそうな顔になるカゲトラ。それを見て、私は含み笑いを浮かべながら、すかさず追い打ちをかけた。
「あ、ごめんね。なんか肘がぶつかったみたいで。……あれ? もしかして。カゲトラ、ティーカップを壊しちゃったの?」
「なっ!? そもそも、お前が押したせいで―」
「あ~あ、い~けないんだ。それって凄い高いブランドものでしょ。弁償しないとね? ……あ、ミーシャ先輩、アーサー会長。聞いてくださいよ。カゲトラが、誰かのティーカップを壊しちゃったみたいですよぉ~」
すかさず、他の二人にも声をかける。
既成事実。
そして、印象操作。
このコンビネーションは絶大だ。すでに出来上がっている事実に、その人の第一印象が加われば。どんな人間であっても、私を疑うことはないだろう。案の定。二人の視線は、カゲトラと転がっているティーカップに注がれている。
「(……ふふふ、まさに計画通り)」
笑いを堪えることが、こんなにも大変だとは思わなかった。
私は、まだ反論しようとするカゲトラに向かって、最後の勝利宣言を行う。
「だって、私は見てたもん。カゲトラがティーカップを持ったときに、棚にぶつけちゃったのを。きっと、その拍子に割れちゃったんじゃない?」
「だから! あれはお前が押して―」
「言い訳なんて、男のくせに見苦しいなぁ。あ~あ、高価なティーカップなのに。取っ手もなくなって、飲み口まで割れちゃうなんてぇ」
あぁ、もう限界だ。
私は顔がにやけてしまうのを隠すために、両手で顔を覆う。これで私の罪はなくなった。割れたティーカップは、カゲトラが責任をもって弁償してくれるに違いない。
そう確信した、……その時だった。
「おい、ナタリア。お前、なんで。……ティーカップの飲み口が割れていることを知っているんだ?」
「……うん?」
はて、と私は首を傾げながら両手を開く。
そこには、転がっていたティーカップを持っているカゲトラが、神妙な目つきで見ていた。
不思議なことに、そこからは怒りのようなものまで溢れていた。
「お前、まだこのカップを見てないよな? それなのに、どうして。……飲み口の部分が割れていることを知っている?」
「え? えーと?」
唇に指をあてて考える。
ぽく、ぽく、ぽく、と数秒くらい考えてようやく気がついた。
……はっ、しまった! 喋りすぎたか!?
「さては、お前。自分で割ったくせに、俺に罪をなすりつけようとしたな」
「ち、違うって! えーと、えーと、……そう! 私の超鋭い動態視力が落ちていくティーカップの欠けた部分まではっきり見えて! もしくは私の絶対音感が火を吹いてどこが割れたのか一瞬にして把握を、……って、ちょと待てぇ! 私を持ち上げてどうするつもりだ!」
人が話している最中に、カゲトラは私の着ているメイド服の襟を掴む。
まるで捕まった猫のような態勢で、そのまま私をどこかに連れていこうとする。「こなくそ、離せ!」と叫びながら反抗するも、無言のカゲトラはびくともしなかった。
そして、時計塔の二階の窓にまでたどり着くと。
ガララッ、と黙ったまま窓を開ける。
視線の先には、遥か遠くにある地面が見えた。
「ちょっ、あんた。まさか―」
私が最後の抵抗を示すも、まるで意味がなく。その彼の後ろには、呆れてものもいえないというようなアーサー会長とミーシャ先輩が立っていた。
「う、うそ。ちょっと、待っ―」
「新しいティーカップを買ってこい。いいか。高いものじゃなくていい。二個ひとつのセットになっている、ペアのティーカップだ。もし買ってこれなかったら」
ごくり、と私は生唾を飲む。
「次は、時計塔の屋上から落とすからな。自分の命は、可愛いよなぁ?」
そう言って、カゲトラは。
時計塔の二階の窓から、私を投げ捨てた。
にやぁぁぁぁっ、という猫の悲鳴みたいなものが学園中に響き渡ったという。
――◇――◇――◇――◇――◇――◇――
ナタリアの悲鳴が地面へと遠ざかっていった執務室で。アーサー会長が腕を組んだまま苦笑いを浮かべる。
「あはは。カゲト君、あそこまでやる必要があったのかな?」
「あいつはバカだからな。これくらいがちょうどいい」
そう言って、カゲトラは。
割れてしまったティーカップを持ち上げる。その目は、どこか遠い思い出を手繰り寄せているようであった。
「……割れてしまったね、ティーカップ」
「あぁ。だけど、それだけだ。器が壊れただけで、あいつらが帰ってこない理由にはならない」
カゲトラは丁寧に割れてしまったティーカップを持って、それを再び食器棚へと戻した。
そのティーカップは、ふたつで一組のペアカップだった。
少し前。本当に少しだけ前のこと。
ナタリアが来る前には、彼女が座っている場所には別に人間がいた。どうしようもないほどお人好しな少年と、どうしようもないほど自分を卑下している女の子。この部屋で笑い声がするときは、いつだって彼らが中心だった。
その二人は、今はいない。
もう、帰ってこない。
「……帰ってくるわよ。絶対に」
それまで黙っていたミーシャが、不機嫌そうに唇を尖らせる。
「あの二人は何も間違っていなかった。だからこそ、私たちも正しい選択ができた。今は『裏切者』の烙印を押されようとも、あのバカたちは絶対に帰ってくる」
そして、彼女は。
迷いのない視線を外へと向けた。
「そんでもって、帰ってきたら絶対にブン殴ってやる。勝手に二人で何もかも決めちゃって。どんな言い訳をしても許さないんだから」
ふん、と鼻息を荒くさせているミーシャを見て。
アーサー会長は、静かに笑った。
「……時計塔の脱走者。僕たちを裏切った男。……裏切者の『LOST–No.』。君たちは、今どこにいるんだろうね?」
その呟きは、風と共に。
この首都のどこかへと消えていった。