♯1. Tapioca Milk tea(タピオカミルクティー)
――◇――◇――◇――◇――◇――◇――
……雨は嫌いだ。
男は駅の改札口を抜けて、どんよりと曇った空を見上げて目を細める。
首都にあるノイシュタン学院の制服。同じ学生たちに比べて、明らかに高い身長に、鋭い目つき。無駄な筋肉など一切ない。野生のライオンを思わせる風貌であった。そして、顔から頭にかけて、大きな火傷の跡が刻まれている。
……男の名前は、カゲトラ・ウォーナックル。
ノイシュタン学院の時計塔に所属する『No.』のメンバーにして、悪魔を狩る人間の一人であった。
「……ちっ」
カゲトラは舌打ちをしながら、しとしとと降り出した雨の中を歩いていく。
今日は傘を持っていなかった。
元より、手に持ったもののせいで。傘を持っていても広げることはなかった。
深い藍色の花束。
リンドウの花だ。この花に、特別な意味があるわけではない。ただ、あいつが好きだったから。それだけの理由。だけど、いつの間にかお見舞いには必ず持っていくようになっていた。
「少し雨が強くなってきたな」
小雨だったのが、いよいよ本降りになって。
仕方なく、カゲトラも歩を早める。そして、駅の改札口から徒歩5分のところにある、……その病院の玄関へと入っていった。
「……」
鼻につく、消毒液の匂い。
外の曇り空と同じような辛気臭い空気。
白衣を着た看護婦たちが忙しそうに働いていて、受付の待合室には若者から老人まで、様々な人間が黙ったまま座っている。どいつもこいつも生気がなく、自分は病人ですとアピールしているみたいだ。そんな雰囲気も、カゲトラが嫌いな理由でもあった。
カゲトラは、リンドウの花束を持ったまま、面会用の受付へと顔を出す。
もはや、見知った顔の事務員と言葉を交わして。「今ならリハビリ室にいるから。顔を見せてあげなよ」と、お節介なことまで言ってきた。
反射的に顔をしかめてしまう。
初対面の人間が相手なら、それだけでも逃げ出していくところだが。この病院には何度も通っているので、事務員たちも微笑ましい笑みで返してくる。その優しさも、カゲトラが苦手とするところだった。
「……くそっ」
仕方なしに、カゲトラはリハビリ室へと向かう廊下を歩いていく。
こちらのほうは、あまり来たことがない。
いつもは病室のある階にいって、ナースステーションにいる看護婦に花束を渡すだけだ。あいつには顔も見せていない。見せられるわけがない。自分が何もできなかったばかりに、今もこの病院で生活することになっているんだ。どんな面を下げて会えばいいんだ。
……リハビリ室は、こっちだよ。
通りすがりの職員に道を聞いて、廊下を曲がり、真っ直ぐに進む。
そこは手狭な体育館のようであった。
板張りのフローリングに、運動用の機材がたくさん並べられていて。一人の患者に対して、必ず一人の職員がついていた。立ち上がる練習をしているもの、テーブルの球を掴もうと右手を動かそうとしているもの。
そんな連中たちに紛れて、歩行練習のための平行棒がある場所に。
……あいつがいた。
歯を食いしばり、必死に両足を動かして、それでも笑顔だけは忘れていない。
あいつは、とびっきりの美人というわけではない。
どちらかといえば、地味な奴だ。体も小さく、性格も生意気で。そのくせに、よく笑って。あの笑顔に何度、救われただろうか? もはや、数えることすら馬鹿馬鹿しい。
そんな、どこにでもいるような普通の女の子。
自分と同じスラム街生まれだったけど、あいつなら人並みの幸せを掴むことも難しくなかったはずだ。あいつの兄だって、それを望んでいたはずなのに。
あの日。
あの雨の日。
全てが狂ってしまった。燃え盛る炎に、高笑いをしている不気味な悪魔。奴のせいで、俺たちはすべて失った。住むところも、一緒にいることも、そして健康な体も。こうして歩く練習ができるようになるまで、どれほどの挫折をしてきたのだろうか。そして、そんな時に。どうして自分は傍にいてやれなかったのか。そう思うと、自分が許せなくて。ますます、あいつの前に姿を見せられなくなる。
きっと、あいつは許してしまうだろう。
こんなにも弱い自分のことを「そんなこともあるよね」と、笑って許してしまうだろう。
それは、ダメだ。
俺は許されてはいけない。あの日、お前を救えなかった俺は。いつまでも後悔と苦しみの中にいなくてはいけない。……この首都にいる悪魔を、全て殺すまで。
「……火傷の跡が、疼くな」
雨の日は嫌いだ。
何もできなかった自分を、どうしても思い出してしまうから。
カゲトラは近くにいた職員に花束を押し付けると、逃げるようにその場を後にした。その帰る間際に、ちらりと彼女のことを見る。ゆっくりと、ゆっくりと前に進もうとする少女を見て、どこか寂しいと感じている自分がいた。
――◇――◇――◇――◇――◇――◇――
次の日も、雨だった。
久しぶりに学校へ顔を出してみたが、顔を合わせた奴が次々と逃げるように去っていく。
もう慣れたものだ。
それに雨の日では仕方ない。自分でも抑えられないほどイライラが溜まっている。できることなら、どこか適当な場所に悪魔が出て、そいつを思いっきり殴り飛ばしてやりたいほどだ。だが、今のところ何の命令もない。
仕方なく、カゲトラは授業をサボり。時計塔へと足を向けていた。そして、執務室の扉を開いて、部屋の中にいた奴に、……少なからず驚いてしまった。
「おっ、カゲトラ。ちょうどいいところに来た。これから、一緒にタピりに行かない?」
銀髪の少女、ナタリア・ヴィントレスが。
スカートの中が見えそうなほど行儀の悪い姿勢で、カゲトラに声をかけていた。
「おねーさん、タピオカミルクティー。ふたつね」
電車を乗り継いで、首都の中心街にある喫茶店が並んでいる通りに来ていた。今、カゲトラたちがいるのは店頭販売だけのカフェで、店内に座る場所はない。唯一、注文口の近くにある、年季の入った木製のベンチだけだ。
そんな店で、ナタリアは慣れた様子で注文をしていた。
よく来るのか、と質問しようとしたけど。面倒だったのでやめた。そもそも、この女とは。それほど仲の良い関係ではない。同じ悪魔と戦う『No.』の仲間であること以外は、共通点など何もない。
それに、カゲトラ自身も。これ以上、自分の交友関係を広げようとは考えていなかった。どうしようもなく戦闘と血を好む自分には、大切な人など少ないほうがいいに決まっているから。
……どうして、俺はここにいるんだろうか?
今にも雨が降りそうな曇天に、カゲトラは自然と視線を鋭くさせる。
周囲の人間が、怯えている。
自分から離れようと、距離を取る。
そんな張り詰めた空気の中で。店頭販売の喫茶店で注文していたナタリアが、こちらに向けて手を出していた。
「んっ」
「あ? なんだ?」
「だから、お金。私、財布を持ってきてないから、カゲトラが払って」
……は?
……はぁっ!? 無理やり連れてきておいて、この俺にたかろうってのか!? カチンと頭にきて。ナタリアの小さな頭を片手で押しつぶす。
「あたたたっ!? なにすんの、女の子に向かって!?」
「黙れ! てめぇは金もないくせに、こんな女向けの店に連れてきやがったのか! そもそも、なんだよタピオカって。聞いたことねぇぞ!」
「し、新触感のスイーツなんだって! とりあえず、頭から手を放しなさいよ!?」
それから、ナタリアは暴れる猫のようにもがいて。
逃げ出した後は、頭を抱えながら睨みつける。そのまま学生鞄から手鏡を取り出すと、律儀に髪型を直す。
「……まったく。元気がなかったから、せっかく連れ出してやったのに。たまには、私の優しさに感謝しなさい!」
「元気がない? 俺が?」
「なぁに? 自分では気づいていなかったの? 雨の日のあんた、機嫌が最悪じゃない。なんか、過去に嫌なことでもあったの?」
別に答えなくてもいいけど。
そう言って、ナタリアは店頭から透明なカップに入ったミルクティーを受け取ると、そのひとつをカゲトラに手渡す。
「……おい、なんだ。この下に沈んでいる黒い物体は?」
「……これが、新触感らしい。けど」
予想外の見た目に、同時に言葉をなくす。
そして、二人は同時に。ずずっ、とストローでミルクティーを飲みだした。
「まずっ?!」
「うまっ!?」
評価は、お互いにバラバラだった。
このタピオカなるものの食感が悪いと言い放つカゲトラに、ナタリアは眉間にしわを寄せながら反論をする。
「このモキュモキュ感がわからないとか、マジでないわー! あんた、味覚が終わっているんじゃない?」、「ふざけんな! こんなの飲み物じゃねーだろうが!」、「残念でしたー! これは飲み物じゃなくてスイーツで〜す! 甘いドリンクと楽しい食感が楽しめる、まったく新しい……」、「だーかーら、その食感がいらねぇっつうの!?」、「はぁ!? このバカトラが。そんなことを言っていると、女の子とデートできないんだぞ!?」、「いいんだよ! どうせ、あいつはこんなもの飲むわけが―」、「ちょっ、待って。あいつって誰?」、「だ、誰でもねーよ!」、「嘘つきなさい! さぁ、白状しろ。さもないと、その鼻の穴にタピオカを突っ込んでやるから」、「上等だ、こらぁ! 表に出やがれ!」
それから10分ほど、見るも情けない言い争いをした後に。店員が呆れたように笑いながら―
「あはは。面白いと思ったんだけど、それが笑えるほど売れなくてねぇ。もう販売をやめようかなって。また、新しい商品にチャレンジしてみるよ」
次は、ナタデココって奴を試してみようかなー。と呑気に笑う店員の女性に、カゲトラもナタリアも争うことが阿呆らしくなって肩を落とした。
帰りも、雨だった。
さらさらを降っている霧雨に、カゲトラとナタリアは肩を並べて歩く。
「おい、制服が濡れて下着が透けてるぞ」
「見るんじゃねーよ、ばーか」
「それに制服のスカートも短すぎ。風邪をひいても知らんからな」
「ご心配なく。それについては対策済みだから」
本当にどうでもいいことを言い合って、駅への道を歩いていく。
雨が降っているというのに。
不思議と心が軽かった。
「……ねぇ、カゲトラ」
「あ? なんだよ」
不機嫌そうな返事をするカゲトラに、ナタリアは楽しそうに答える。
「雨も、たまには悪くないでしょ?」
その言葉に、思わず。
カゲトラは苦笑して肩をすくめた。
「……あぁ。このタピオカミルクティーがなければな」
ずずっ、とストローに噛みついて、クソマズい紅茶を啜った。
相変わらず、雨が降っているのに。
ちっとも嫌な感じがしなかった―
『Chapter11:END』
〜One day, Rainy day(ある雨の日のこと)〜
→ to be next Number!
次回は、ちょっと長い中編。また新しいメンバーが出てきます(笑)
※脚注
・タピオカミルクティー:未来のスイーツ。この物語の1956年には、まだ早すぎた。おそらく60年後くらいには、誰もが知っている飲み物となるだろう(……たぶん)