♯9. Gambling operates under the premise that greed can be satisfied by luck.
―勝者、チャンピオンを倒しちまった空気の読めない謎の男!―
レフェリーの声に、観客たちが大騒ぎになる。
これで五連勝だ。違法行為のほとんどが容認されている、この地下闘技場で。あのカゲトラ・ウォーナックルは、超人的な強さを見せつけて勝ち続けている。
炎の魔法を使う格闘家。
服の中に鈍器を隠している巨漢。
体の形を自在に変形できる異国の武道家。
勝つごとに観客たちの注目を集め、勝つごとに歓声が大きくなっていく。
そして、勝てば勝つほど。
私が賭けた大金が、オッズ比となって返ってくる作戦だ。
「(……むふふ、これで大儲けができるぞぉ~)」
にやにやと必死に笑うのを堪えながら、心のソロバンを弾いていく。
この戦いが始まる直前。
私は、カゲトラが全勝することに、ありったけの金額を賭けていた。そもそも、あの喧嘩馬鹿が負けることなんてありえないんだから。
もはや、この賭けは勝ったも当然。夜が明ける頃には、私の借金もチャラになっているに違いない。まぁ、カゲトラにはコーラの一本でも奢ってやればいいだろう。
「そもそも、お前。借金とか言われてただろう。金を持っていたのか?」
「え、持ってないよ? でも、『時計塔』のアーサー会長の名前を出したら、優しいマフィアのおじさん達がお金を貸してくれた」
……お前。本当に命知らずだな。後で、叱られてもしらないからな。
などと言われたような気がしたけど、心配はしていない。勝てば官軍。要は、バレなければいいのだ。予定では、こいつが残りの挑戦者を倒してくれれば、目標の金額に到達するはずだ。
いやー、やっぱりギャンブルは最高だぜぇ!
「さてぇ、次の挑戦者です! なんと、遥か極東の島国から来た異色のスモウレスラー! エドモンド選手です!」
そうとなれば、私の選手紹介にも気合いが入るというもの。
黒タイツに制服のスカートを翻して、観客たちへのサービススマイルも忘れない。マイクを片手に、笑顔を浮かべてあげているが、頭の中は料金メーターが占領している。
「(……おらおら! いけ、カゲトラ! そこだ、ぶっ飛ばせ!)」
両手に手汗を握りながら、アナウンス席で勝利を楽しんでいる。
すると、隣の席に誰かがやってきて座った。
ここは関係者席であり、さきほどまで極道マフィアの幹部のゲンブが座っていたロイヤル席だ。当然、あの顔中に傷跡がある強面が帰ってきたんだと思い、そのつもりで声をかける。
「あ、大丈夫でしたか? いきなり卒倒したから、びっくりして―」
「……そうですわね。あたしも驚きましたわ」
女性の、声だった。
びっくりして、そちらを向くと。そこにいたのは背の高い若い女性だった。
黒いスーツ姿に、黒いパンツスタイル。
長いピンク色の髪は、頭の上で縛ってポニーテールにしている。そして、とてもスタイルがいい。すごくいい。特に胸の辺りが。顔つきは優しそうだけど、その目はどこか鋭いものが秘められていた。
例えるなら、いつくもの修羅場を潜り抜けてきた歴戦の猛者のような。そんな緊張感すら漂っていた。
「あ、あのー。どちら様で?」
私が恐る恐る尋ねると、その女性は柔らかい表情で答える。
「あ〜、あたしですか? あまりお気になさらずに。この場所にいる観客のひとりで、あなたと同じちょっとした関係者ですよ」
そう言って、その女性は。
肩にかけている黒のジャケットから、煙草の箱を取り出す。特注なのか自作なのか、とても長い煙草だった。
だけど、隣に私がいることに気がついて「ごめんなさい」と肩をすくめた。そのまま、その長い煙草をジャケットのポケットにしまう。
「(……あ、この人。良い人だ!)」
そのちょっとした優しさに、思わず涙が潤みそうになる。
上司の『S』主任といい、銃職人のジョセフといい。私の前で煙草を吸う悪い大人が多くて困っているのだ。私はな、前途有望な未成年の女の子なんだぞ!
「それにしても、リングで戦っている彼。とても強いですわね」
「そうでしょう! あいつ、私の仲間なんですよ。喧嘩くらいしか取り柄がないから、こういうときに頑張ってもらわないと」
「仲間? お友達ではなくて?」
友達?
まさかぁ。私は首都の高等学校に通っている普通の女の子ですよ? それがどうして、悪魔を素手で殴り飛ばせる野蛮人とお友達になれるというのですか。
「友達じゃありません。同じ目的を持った仲間ですよ。いや、猛獣かな? あんなふうに、誰かを殴っていないと生きていけない哀れな奴で―、ぎゃあ!?」
突然、リングの金網をぶち破って。
挑戦者の巨体が私たちのほうへと投げ飛ばされていた。腹立たしいことに、リング状にいるカゲトラから。
「悪い。手が滑った」
とか言って、親指を下に向けやがった。
絶対にわざとだ。おのれ、カゲトラめ。うら若き乙女と、とても優しい女性がいる場所に、スモウレスラーを投げ飛ばしてくるなんて。許せん。
私は、思いつく限りの罵倒を奴に浴びせるが、聞こえないとばかりに耳の穴をほじっている。仕方なしに、次の挑戦者の入場をアナウンスして、再び元の席に戻る。驚いたことに、あのピンクの髪の女性は、まだそこに座っていた。
「ふふっ、仲が良いのですね?」
「さっきのを見て、そう思ったのなら。お姉さんには、眼科か脳外科に行くことをお薦めします」
なんだったら、腕の良い病院を紹介しますよ。東側陣営の息がかかっているけど。
「そういえば。お姉さんは、こういう場所によく来るんですか?」
「うふふ、そうですわね。お仕事の関係で、ということもありますけど。時々、立ち寄らせていただいていますわ」
「へぇ、そうなんですね」
雑誌の編集者とかかな?
それとも、見回りに着ている私服の婦警さん? でも、警察関係の匂いはしないんだよねぇ。
「そういう、あなたは? 見たところ、まだ学生のようですけど?」
「……あはは。ちょっと、いろいろとありまして。とても親切なおじさんたちの命令で、こうして働かされています」
頭をかきながら、何とか誤魔化す。
だけど、その内容を聞いて。
ピンクの髪の女性は。スッ、と目を鋭くさせた。
「とても親切な、おじさん。ねぇ?」
「え?」
その瞬間。
わずかだけど空気が熱くなったのを感じた。姉さんの周囲に、見えない『炎』が灯ったように。
「うふふ、大丈夫ですよ。お気になさらないで。……そういえば、あなたの名前は?」
「私ですか? ナタリアです。ナタリア・ヴィントレス」
ノイシュタン学院に通っていますよ、と付け加えると、お姉さんはとても嬉しそうな顔をした。うーん、なんだろう。この嫌な予感がするのは。
そうこうしていると、カゲトラが次の挑戦者を倒していた。
挑戦者たちが放つ様々な攻撃を、紙一重で躱しながら、強烈な一撃でリングに沈めていく。元・チャンピオンの男とは違うタイプだが、観客たちには好評のようで。地下闘技場の熱気は最高潮に高まっていた。
「(……よしよし、いいぞ! このままいけば、私の借金もチャラだ!)」
さっきのことは許せないが、こちらはいつまでも同じことで怒っている子供ではない。大人の余裕で対応しないと。……そうだな。奴にくれてやるコーラに鼻クソを突っ込んでやろう。
「またしても、圧勝です! 果たして、この男を倒せる挑戦者はいるのでしょうか!? さて、次のチャレンジャーは―、……チャレンジャーは?」
あれ?
挑戦者入場のための金網が開かれても、誰も上がってこようとはしなかった。
いや、厳密には。次の挑戦者はそこにいるのだ。
だが、どうしてか。
虚ろな表情のまま、そこに立ち尽くしている。前かがみになって、口からは涎が垂れている。視点もどこか怪しくて、とても普通の人間には見えなかった。
「……あー、あうー」
それから、数秒ほどして。
ようやく、その挑戦者は歩き出した。これまでの格闘家や大柄な巨漢たちとは異なり、中年太りしたおっさん、というのが最初の印象だった。
「(……え、大丈夫なの? リングじゃなくて、病院に連れて行った方が?)」
視線で、臨時でこの場を仕切っているダンディーなアフロに問いかけるが、状況がわからないと首を横に振っている。
だが、このままでは観客の熱気も冷めてしまうだろう。
この小太りのおじさんには悪いけど、さっさと次のチャレンジャーに交代してもらおう。私は適当に選手紹介をして、ゴングが鳴るのを待つ。
そして、カーンと甲高い音が鳴った瞬間。
そのおじさんの体が、内部から弾け飛んでいた。まるで、人の皮を被っていたみたいに。皮膚の破片と思われるものが、ひらひらと周囲に散って。そして、黒い塵となって消えた。
「おいおい、こいつは何の冗談なんだ?」
結果、カゲトラの前に立っていたのは。
人間の三倍はあろうかという、巨大な悪魔の姿だった。
※脚注
・ Gambling operates under the premise that greed can be satisfied by luck.(ギャンブルをするってのはな、運だけで生きている実感が持てることが前提なんだよ)