#1. 『S』(私の上司は…)
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目が覚めたら、病院のベッドの上だった。
首都、ノイシュタン=ベルグ。
第二次世界大戦の時に、奇跡的に無傷で守られたことから、戦争の傷跡はなく。今も美しい風景を残している。別名、花の都とも呼ばれている。
そんな街の総合病院の、個人用の病室で。
私は、……上司にイジメられていた。
「あん? だーかーら、言っている意味がわかんないんだけどさぁ?」
包帯が巻かれた私の頭に、ボールペンの先でぐりぐりと押し付けられる。
それが怪我人に接する態度ですか? と問いたくなるけど。相手にしているのは、日頃から無茶苦茶な任務を押し付けてくるスパイの女上司だ。まともな対応を期待するほうが間違っている。
「もう一度、ちゃんと説明してくれない? 昨日、何があったの? どうして、君がそんな状況になっているわけ? この私の、お馬鹿な頭でも理解できるように言ってくれませんかねぇ?」
彼女は、私の頭にボールペンを突き刺しながら、尋問さながらの質問を繰り返す。
見た目は、美しい女性だった。
清潔感のあるスーツ姿。化粧品会社にでも勤めているような服装は、社会人として規律を保ちながら、自然と女性らしさを滲ませている。胸元が開かれたワイシャツなど、男性のウケを狙っているとしか思えない。
だが、その正体は。
東側陣営から、敵情を探るように送り込まれたスパイだった。この首都を担当するスパイの管理主任。その優しそうな表情を一枚めくれば、サディスティックな素顔を見えてくることを、私は現在進行形でわからされている。
本名は知らないが、同僚たちからは『S』で通っている。理由は、よくわからない。主任『S』は、私の名前を何度も呼びながら、ぺしぺしとボールペンで頭を叩く。
「ねぇ? あなたに与えた任務は、喫茶店で政府要人から重要書類を盗んでくることだったよね。それが、なに? 爆発事故に遭遇して、任務は失敗して、魔法が暴発した挙句、気がついたら見知らぬ女子生徒の体になっていました? そして、その原因は全て、……悪魔の仕業だったと!?」
んふっ、と主任がサディスティックな笑みを浮かべる。
あー、やばい。私は冷や汗をだらだら流しながら、恐怖に怯えていた。
「ねぇ、私ね。うだつの上がらない男をイジメることが大好きなの。無能な男どもを、ベッドに縛りつけて、朝まで優しく罵詈雑言を浴びせてあげるの。その時の快感といったら、生きている実感を感じるほどよ」
私は仲間の同僚が。一度の失敗で、男として再起不能になってしまい、母国に強制送還されたことを思い出していた。
「だから、あなたのことも気に入っていた。特に才能もなく、輝くセンスもない。どんなに足掻いても、凡人の域を出ない。あるのは、相手の意識を少しの間だけ奪う魔法だけ。いつか、大きなミスをしてくれるんじゃないか、って期待していたんだけど。真面目に任務をこなすもんだから、目立つ失敗をしてくれなかったわ」
はぁ、と残念がるようにため息をつく。
失敗していたら、どんな目にあっていたのだろう。私は、今までの努力が無駄ではなかったのだと実感していた。
「でもね! こうしてあなたは初めてミスをしてくれた。これで思う存分に可愛がってあげて、……じゃなかった。その責任を追求できる。こんなに嬉しいことはないわ!」
ぱぁっ、と嬉しそうに笑みを浮かべる。
黙っていればクール系な美人なのに、今は本心がダダ洩れになっている魔女にしか見えない。悪魔がいるんだから、魔女がいたって不思議ではないだろう。たぶん。
「んふふ、それにね。私、大人の男をイジめることも好きだけど、こうやって可憐な女の子を可愛がってあげることも。……むふっ、大好きなの」
ぺろり、と猛禽類のような笑みを浮かべて、主任は私のことを見る。ぞわわっ、と生理的な嫌悪感が背筋を走り抜けた。
昨夜から引き続き、私の体は。
あの見知らぬ少女のままだった―
脚注
・第二次世界大戦:我々の世界でも起きた世界規模の戦争。(1939〜1945年)この物語の時系列でも、戦争が終わってから10年近くが経過している。