#1.Casino terror
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……どうしてだ。
……なぜ、こんなことになってしまった。
私、ナタリア・ヴィントレスは。
自分で言うのもなんだが、いたって常識的な人間だ。礼儀正しく、社会のルールを守る。法律を破ったことなど、それこそ片手で数えるくらいしかない。
そんな真面目で清く正しい女の子であるはずの、この私が。
……なぜ、こんなことに。
「ふぅ~。……ほんで? 覚悟は決まったんかいなぁ、嬢ちゃんよぉ?」
暗い小さな部屋に、葉巻の煙が充満する。
くそ、未成年の前で葉巻なんて吸うんじゃない。健康に悪いだろ―
「あん? なんか文句あるんかいのぉ!?」
……いえ、何でもありません。
ガクガク、ブルブルと体を震わせては、現実逃避をするように視線をそらした。
私がいるのは、閉め切られた暗い部屋だ。
カーテンはおろか、窓すらない。
それもそのはず。きっと、この部屋は。とある目的でしか使用されない。そのためにも、外から見えないほうが都合がいいのだろう。……今の私の状況のように。
ぽたり、と冷や汗が握った手に落ちる。
これほどの窮地、これまであっただろうか。紛争地帯に駆り出されて、銃弾もないのに戦えと言われたとき以来か。いや、雪行訓練中に遭難して、ナイフ一本で生還したときに近い。まさに生と死の間をさまよっている。
「……あ、あの~。なんとか、なりませんかね?」
私は必死に愛想笑いをしながら、彼らのご機嫌を取ろうとする。
だが、それは無駄な抵抗だった。
この閉ざされた部屋にいる男たち。誰も喋らない重い沈黙。葉巻を吸い、コートの襟を立てて、刃物のように鋭い目つきを向けている。コートの上からでもわかる、胸ポケットの不自然な膨らみ。あからさまに銃を隠しているのがわかった。
見るからに危なそうな男たち。
その中心にいる壮年の男が、重々しく口を開く。
「ほぉん、ワシらを誰だと思っちょるんじゃ?」
どっしりとした男だった。
黒スーツの上からでもわかる屈強な体。そこから見える素肌と顔面には、刃物の傷や、銃弾の傷で溢れていた。今まで、どれほどの修羅場を潜り抜けてきたのか。そんな男が、とても人とは思えない威圧感を放っている。
一言で説明するなら、裏社会を牛耳っている『マフィアの幹部』だった。
「嬢ちゃんよぉ。ワシらも言っとったじゃろうが。もう、そのへんで止めとけ。まだ引き返せる。……それなのに嬢ちゃんときたら、ワシらの忠告を無視しよった。こればかりは、どうにもならんのぉ」
「そ、そんなぁ~」
私がか細い声を漏らす。
だが、彼らに同情など通用しない。ここは首都における暗黒街。マフィアや犯罪者が好き放題にしている無法地帯だ。その裏社会を牛耳っている怖いおじさんたちに、優しさや常識など通用するはずもない。
「ふぅ~、こうなっちまったもんは仕方ない。嬢ちゃんも、ハラぁ括れや」
そして、その男は。
口に咥えていた葉巻を灰皿に押し付けると。この世のものとは思えないほどの怒鳴り声を上げたのだった。
「うらぁ、この小娘っ!? ウチのカジノで破産するなんぞ、いい度胸しとるのぉ。その肩に背負った借金、返せるまでお日様を拝めると思うなよ、ボケがぁ!!」
「ひいいいいっ!?」
悲鳴を上げながら、恐怖でチビりそうになる。
私、ナタリア・ヴィントレス。
清く正しく生きてきた普通の女の子は。本日、カジノのギャンブルに沼のようにハマってしまって、全財産をスッた挙句。
……とても返済できそうにない借金を、背負ってしまいました。