#7. Peperoncino TEL(ペペからの電話)
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ホテルの一室で、シャワーが流れる音がする。
先にシャワーを浴びた私は、パジャマに着替えてベッドに寝転がっている。ミーシャ先輩が取ってくれたホテルは、この街で一番良い部屋らしく。内装も、とても綺麗だった。
もちろん、二人部屋。
テレビはあるけど、まだ旧式の白黒テレビだ。面白い番組がなかったので、テレビを消して備え付けのラジオを流す。哀しい曲調のピアノソナタが、雑音混じりに聞こえてきた。
「さて、ミーシャ先輩がシャワーを浴びている内に」
私は、旅行バックから銃のお手入れセットを取り出すと、枕の下に隠していた『デリンジャー』を取り出す。
一度、あの屋敷に預けたときに、何か変な細工をされていなければいいけど。そう思って、銃弾を抜いて確認するが、変わったところは何もなかった。マズルやトリガーも問題なさそう。私はガンオイルと布を手にして、最低限のお手入れを済ませると、再び枕の下に『デリンジャー』を隠した。
「ついでに、こっちもやっちゃうか」
そう呟いて、ヴァイオリンケースの蓋を開ける。
その中に眠っているのは、試作型の消音狙撃銃『ヴィントレス』。私はケースの中から銃を手に取って、おもむろに両手で構える。マガジンを取り外したり、コッキングレバーを操作したり、動作に問題がないか確認。最後にお手入れを済ませて、再びケースに戻すと。ミーシャ先輩がバスルームから出てくるところだった。
「すんすん。……なんか、油臭いんだけど」
「気のせいです」
私はきっぱりと否定すると、風呂上がりのミーシャ先輩をじっと見る。
「先輩って、スタイルいいですよね。手足も長いし」
「そうね。でも、ナタリアちゃんだって、可愛いわよ?」
「いえ、私は。……幼児体形ですし」
「それもそうね」
そこは否定してほしいのに、と思いながら頬を膨らませる。すると、ミーシャ先輩は訝しむように、私のことを見た。
「ナタリアちゃん。もしかして、髪を乾かしていない?」
「え? あー、そうですね」
いつも適当にタオルで乾かしていたから、気がつかなかった。そんなことを言うと、ミーシャ先輩は呆れるように肩を落とす。
「……こっちに来なさい。髪、拭いてあげるから」
「え、いいですよ」
「よくない。あなただって、年頃の女の子なんだから。せっかく綺麗な銀色の髪なんだし、ちゃんとお手入れしないと」
「え~、面倒くさい」
「面倒じゃない。その様子だと、お肌の手入れもしていないでしょ」
「うっ」
「まったく。ほら、化粧水と乳液。今日は貸してあげるから、学校に戻ったらちゃんと買いなさい。いいわね?」
「ぜ、善処します」
うわー、厳しいな。
私は頭を左右に振られながら、ミーシャ先輩に髪を拭いてもらい、最後にドライヤーで丁寧に乾かしてもらった。
「おぉ~、いつもよりサラサラ、……な気がする!」
部屋に備え付けの鏡を覗き込んで、自分の髪に触ってみる。と、その時だった。ジリリリッ、と部屋の電話が鳴りだした。
「わっ!? びっくりした」
「あー、たぶん。ペペからの電話ね。取っていいわよ」
そう促されて、電話の受話器を取る。
電話の主はホテルのフロントからで、ミーシャ先輩に向けて外線が掛かっているとのこと。そのまま外線に繋いでもらうと、聞きなれた男の声がした。
「……あー、もしもし。俺だ。ペペロンチーノだ。ミーシャ姫、電話は大丈夫か?」
「あ、すみません。パスタの注文をしていませんよ。それに私は、ペペロンチーノよりもカルボナーラのほうが好きなので」
「げっ!? その声はナタリアちゃんか? 姫、……じゃなかった。ミーシャ嬢はいるか?」
「いますよ。今は、代わります」
髪を拭いていたタオルをハンガーにかけている先輩に向けて、電話の受話器を差し出す。
「黒服のペペって、ペペロンチーノって名前だったんですね?」
「あら、知らなかったの? もう一人の黒服のナポリだって、本名はナポリタンよ」
ペペロンチーノに、ナポリタンって。
随分と美味しそうな兄弟がいたものだ。
「もちろん、偽名だけどね」
「偽名って!? ……てか、ミーシャ先輩。あの二人にも『姫』って呼ばせているんですか?」
「違うわよ。向こうが勝手に呼んでいるだけ。……まぁ、実際のところ。私はお姫様みたいなものだしね」
はいはい、そうっすか。
じゃ、お姫様。早く電話を取ってくれませんか? これ以上は、受話器のコードが伸びないもんでね。
「はいはーい。ペペ、首尾はどうだった?」
ミーシャ先輩がいつもの調子で電話に出る。
それから何度か頷いてみて、しばらく黙った後。確認するように聞いた。
「つまり、何も出てこなかった。そういうことね」
うん? どういうことだ?
私も電話の内容が気になり、受話器の反対方向から耳を近づける。
『……あぁ。近所に聞き込みを回ってみたが、まるで手がかりがねぇ。役場への書類は完璧なくせに、実際に人が住んでいた痕跡がない。ここに誰かが引っ越してきたのは事実だろう。だが、その人物が失踪したブイン一家とは限らないってことだ。これは、巧妙な偽装だぞ』
「そう。……ねぇ、ペペ。あんたなら、今回の件。どう考える?」
私が隣で聞いているのを承知で、ミーシャ先輩は問いかける。
『そうだな。残念だが、家族はもう全員死んでいる。死体が出ないのは、誰にもわからないところで処分されているからだろう。だが、ここまで大掛かりな偽装は、とても個人ではできない。不動産屋、引っ越し業者、ブイン一家に成りすました偽物の家族。……さっき、依頼人の学生にも確認したことなんだが、宛先のない手紙の主。リーゼロッテ・ブインはとても大人しい娘だったそうだ。だが、引っ越してきた女の子は、元気活発な子だったらしい』
「へぇ、なんでそんな食い違いが?」
『こいつは印象操作なんだよ。大切なのは、その女の子が大人しいかどうかじゃない。……誰かが、ここに引っ越してきた。そんな印象を記憶してもらえれば、それでいいんだ』
私は言葉を失ったまま、ペペの電話の声を聞く。
『姫。その街はヤバいぞ。何かの事件に巻き込まれる前に、早く離れたほうがいい』
「そう。悪いけど、こっちも引けないのよ。色々とわかったことがあるから」
『はぁ、そうだよなぁ。あなたが素直に手を引くわけがないもんなぁ。……あ~、どうしよう。姫に何かあったら、会長に怒られるのは、俺なんっすよ? 姫に怪我でもさせようものなら、俺の命なんていくつあっても足りないっすわ』
「じゃあ、もうひとつ。新しい命令をするわ。それで自分の首を繋げなさい」
悪魔か、この人!?
そんな率直な感想が、口から零れそうだった。
「ペペ。今いる場所から、このサンメールの街まで。どれくらいかかる?」
『そうっすね。車で飛ばせば、4、5時間ってとこっすね』
「わかった。じゃあ、今からすぐ。ここに来て」
『はぁ!? 今からって、到着するのは夜明けっすよ!? ミーシャ姫、あんた本物の悪魔っすか!?』
「泣き言なんか聞きたくないね」
『は、ははっ。……はぁ~、ったく! この仕事は楽しいな!』
どうやら、彼も腹をくくったらしく。
泣き声とも笑い声ともとれる口調で返事をする。
「あと、ちなみに。この電話の内容はナタリアちゃんも聞いているから。合流した時に、変な言い訳はいらないわよ」
『え、ちょっ! それマズくないっすか!? だって、姫は―』
「はい、電話終わり。明日、朝の五時に起こしにきなさい」
ガシャン、と受話器が下ろされる。
そして、にやりと楽しそうに笑っているミーシャ先輩を見て。
「……先輩。本当に最低ですね」
黒服のペペに、心から同情していた。