#3. Hallo Hate(ご領主様の屋敷へ)
――◇――◇――◇――◇――◇――◇――
「到着だよ。それじゃ、お大事に~」
タクシーが古いエンジンを吹かせながら悠然と去っていく。私の隣に立っているミーシャ先輩は、呆れるようなため息をついているのが気配でわかった。
「どう、落ち着いた?」
「……もうちょっと、待ってください」
道端の草むらで、私は地面に蹲っている。
こんな姿は他人には見せられない。激しく揺れる車内に、両手で口を押えていたけど。到着と同時に、外へと飛び出していた。私は涙目になって、ミーシャ先輩のことを見上げる。
「……先輩。もし、私がお嫁に行けなかったら、先輩が貰ってくれますか?」
「ごめん。私、結婚する相手はもう決めているから」
はいはい、そうですか。
一瞬。きらきらの笑顔を浮かべているアーサー会長のことが頭をよぎる。くそっ。吐き気と一緒に、胸やけまでしそうだ。
私は水筒の水で口をゆすぐと、気合いを入れて立ち上がった。
「さて、行ってやりましょう!」
「大丈夫? なんか、いろいろと空回りしているみたいだけど」
「問題ありません! こうなったら自棄です。さっさと用事を済ませて、お土産屋さんを観光しましょう!」
むんっ、と両手を胸の辺りで握りしめて、目の前の豪邸の玄関を見る。
立派なお屋敷だった。
一人で住むには、あまりにも大きな屋敷。ご領主様と呼ばれるくらいだから、きっと使用人を何人も雇っているに違いない。頑丈な鉄格子の門の向こうには、手入れが行き届いた庭園が見えた。
「じゃ、ベルを鳴らすわよ」
一度、ミーシャ先輩が確認をとってから、玄関にあるドアベルを鳴らす。その顔は、いつもと同じような自然体であった。
ほどなくすると、屋敷の奥から一人の男性が出てきた。
てっきり、年老いた使用人が顔を出すのかと思っていたが、私たちの前に現れたのは。黒スーツに身を包んだ大柄な男だった。
「(うわっ、でか!)」
咄嗟に、アーサー会長の護衛の二人を思い出す。
あの二人も黒服だが、まとっている空気が全然違う。あの兄弟は話しやすく、明るいお兄さん、といった感じだけど。目の前の男は、無機質な機械のように見えた。絶対に、使用人以外の仕事をしている人だ。
「……ご用件は?」
「初めまして。私はミーシャ・コルレオーネ。こちらは友人のナタリア・ヴィントレス。本日、こちらにお伺いしたのは、ご領主であるサンメール伯に面会を希望してのことです。事前の連絡は、首都から届いていると思いますが」
すらすらと、ミーシャ先輩は物怖じもせず答える。
戸惑う様子も、ビビっている様子もない。いったい、どれだけの修羅場を潜り抜けたら、こんな人みたいになれるんだ。
「……少し、お待ちを」
逆に、黒服のほうが戸惑った様子で、耳元のイヤホンに手を当てる。
小型の無線機か? それで誰かと無線連絡を取っているらしい。おいおい、こんな片田舎の屋敷にしちゃ、警備が厳重すぎやしないか。
「……はい、わかりました」
確認を終えたのか、黒服はこちらを見ると、玄関の鉄格子の鍵を開けた。
「どうぞ、お入りください。屋敷で、ご領主様がお待ちしております」
「そう。ありがとう」
ミーシャ先輩は慣れた様子で礼を言うと、その男の脇を通っていく。
そんな彼女の後を、私は慌てて追いかける。
屋敷の入り口までは一本道だった。
左右に広がる庭園は、几帳面なほど手入れが届いていて、どこか息苦しささえ感じる。まるで、自然に生きることを否定する無機物な庭だった。
「……申し訳ありませんが。ご領主様との面会に当たって、危険物などの持ち込みは禁じられています。もし、刃物などをお持ちでしたら、こちらで預からせてください」
屋敷に入る前に、黒服が布のかかったトレーを差し出す。
うーむ。ここまで徹底しているとは。
私はミーシャ先輩を見ると、彼女は従うようにと頷いた。なるほど、ならば仕方ないか。
「ちょっと、待ってください」
私は前かがみになると、外出用の刺繍の入ったロングスカートをたくし上げる。美しすぎる少女の白い脚線を露わにさせる。
ぎょっ、と黒服が面食らっている。そんなことを他所に、私は太ももに隠してある『デリンジャー』を引き抜いて、男が持っているトレーに載せた。
「護身用です。実弾が入っていますので、扱いには気をつけてください」
「は、はい」
黒服の額に冷や汗が滲む。
そんな彼は、私の持っている『ヴァイオリンケース』をちらちらと見る。
「……あ、あの。そちらの中も確認させていただいでも―」
「は? なに?」
私は視線をそらさずに聞き返す。
すると、男は「私は何も言っていません」と言うように。黙って『デリンジャー』を載せたトレーを持って、どこかに消えていった。
しばらくすると、男は戻ってくる。
なぜか黒服の人数は、二人に増えていた。
「……どうぞ、こちらです」
黒服たちに挟まれる形で、私たちは屋敷の中へと通された。屋敷のロビーを通った辺りで、ミーシャ先輩が囁く。
「……やるわね、ナタリアちゃん。こいつら、完全にビビってたわよ」
「……はぁ。なんでなんでしょうね?」
私は首を傾げたまま、黒服たちに促されるまま屋敷の中を歩く。