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♯2. Malice Town(サンメールの街へ…)


――◇――◇――◇――◇――◇――◇―― 


 私は窓の外を流れていく風景から目を離して、両手で開いている観光ガイドブックを見る。


 せっかくの旅行なのだ。

 楽しまなければ損というもの。駅のホームで、観光案内のガイドブックと軽食のランチボックスをふたつ買った。もちろん、後で経費として請求するつもりである。いやー、自分の財布が痛くないというのは実に気分がいい。


「ミーシャ先輩は、このサンメールの街に行ったことがあるんですか?」


「いや、ないわね。自然の溢れる田舎の田園地方とくらいとしか」


「このガイドブックによると。伝統的な織物や、自然の中で育てられた豚肉料理が美味しい、って書いてありますね」


「そ」


 ミーシャ先輩は、さほど興味もなさそうに答えると。

 そのまま列車からの風景を見ていた。


 仕方なく、私もガイドブックに目を落としながら、今回の件について考える。


 引っ越してきた家族が、その日のうちに姿を消してしまう。そんなことがあり得るのだろうか?


 答えは、……『YES』だ。


 東側陣営のスパイとして活動してきたときには、よく目にした事例だ。ある日、突然。複数の人間が行方をくらましてしまう。その内容は、いたって単純。……夜逃げだ。


 自分の正体がバレそうになった諜報員だけでなく、金銭トラブルなどで近所の人が姿を消してしまうなんてことは、もはや稀によくあると言ってもよい。ちなみに、私も機会があれば西側諸国に亡命したいと願っているので、その気持ちもわからなくはない。その時は、アーサー会長やミーシャ先輩を頼るとしよう。


 ……突然、姿を消した親戚からの手紙。

 それが夜逃げに関係するものか。それとも、アーサー先輩が言う通り、誘拐や監禁に関係するものか。どちらにせよ、私にはあまり関係のないところだ。


「(……まぁ、現地についてみれば、すぐにわかることかな)」


 つまり、私が考えなくてはいけないことは。

 サンメールの街を、どうやって優雅に観光をするか。それだけだ。行方不明の家族も、謎の手紙も、私にとってはどうでもいいことだ。そう思うと、この週末旅行も実に気分が良いものになる。


「(……あ、この織物の工芸品は可愛いなぁ。こっちのポーチも雰囲気が良くて安い。あー、どうしよう。お財布、足りるかなぁ)」


 にこにこと笑いながら、どの順番で観光地を回るか考えていく。そんな私を見て、ミーシャ先輩は。本当に何でもないことのように言った。


「そういえば、ナタリアちゃん。一泊する準備はしてきた?」


「もちろんです。代えの下着もバッチリ持ってますよ」


「そう。あと、……ちゃんと『ヴァイオリン』も持ってきた?」


「へ?」


 私は、マヌケな返事をしながら顔を上げる。

 相向かいのコンパートメント席の上にある荷物置き場には、小さな旅行バックと、私のヴァイオリンケースが置いてある。


 もちろん、中に入っているのは楽器などではない。


「そりゃ、持ってきてますけど。……え? 必要になるんですか?」


「わからないけど。ただ―」


 ミーシャ先輩は視線を外に向けたまま、はっきりと言った。


「観光をしている余裕はないかもよ。たぶん、この事件。……私に向いている結末になると思うから」


「へ? どういうことですか?」


「悪意をもって行動するのは、なにも悪魔だけじゃないってこと」


 そう言った、ミーシャ先輩の瞳は。

 感情が抜け落ちたように、何もない空間を見つめていた。



――◇――◇――◇――◇――◇――◇――



 サンメールの街は、首都から北に300キロメートルのところにある。

 一度、列車を乗り換えて、地方へと向かうディーゼル列車に乗り込む。線路状態があまり良くないのか、ガタガタと揺れながら二両しかない列車は田園地方を走っていく。


「……おえっ。ミーシャ先輩、ちょっと吐きそうです」


「我慢しなさい。もう少しで着くから」


 この先輩は本当に容赦ない。

 私はガイドブックを膝に抱えたまま、必死に列車酔いと戦う。

 サンメールの街に着いたのは、お昼過ぎだった。朝一番の列車に乗り込んだことを考えれば、半日くらいは移動に費やしたことになる。


「もうちょっと、静かな乗り物はないんですかね?」


「ないわ。この辺りは、第二次世界大戦でも戦火に巻き込まれたから。線路が生きているだけでもマシなほうなのよ」


 ミーシャ先輩は、自分の旅行バックを網棚から降ろすと、私のバックも代わりに持ってくれた。


 さすがに、あのヴァイオリンケースを持ってもらうわけにはいかないので、吐き気に耐えながら楽器ケースを両手で持つ。……くそ、無駄に重いな。こいつ。


「さて、思っていたよりも田舎ね」


「……そうですね」


 小さな駅のホームから降りて、駅の改札口を出る。

 そこに広がっているのは、のどかな田舎の景色だった。緑が溢れる田園地方。駅前であっても、小さな喫茶店と食堂があるだけ。綺麗なホテルがあるとガイドブックには書いてあったけど、あまり期待しないほうがいいかも。


「ミーシャ先輩。ちょっと喫茶店で休んでいきませんか?」


「却下。そんなことをしていると日が暮れるわよ」


「うぅ~、ケチぃ」


「そんな可愛い目で睨んでもダメ。ほら、行くわよ」


 ミーシャ先輩は、自分と私のバックを背負って、暇そうに昼寝をしているタクシー運転手へと声をかけていく。私はその後を、肩を落として追いかける。


「(……ん?)」


 ふと、視線を感じて振り返る。


 しかし、誰もいない。

 おかしいな。今、確かに誰かに見られていた気がしたんだけど。


「ほらっ、ナタリアちゃん。早く乗らないと置いていくわよ」


「……どうせなら、置いていってもらったほうが良いですけどね」


「あら? 代えの下着もないのに、駅のホームで一泊するわけ? あなたのバックは、私が持っているのよ」


「行きますよ! 行けばいいんでしょ!」


 まさか、私のパンツを人質に取るなんて。

 そこまで考えて、私の旅行バックを持っていたとは。やっぱり、この先輩。侮れない。


「……ふわぁ。どちらまで?」


 今の今まで昼寝をしていたタクシーの運転手が、眠そうな目でこちらを見てくる。あまり客がいないのだろう。他に待機しているタクシーは一台もない。


「このサンメールの街を治めている、サンメール伯の屋敷まで」


「……ご領主様の屋敷まで? なんで、また?」


「ちょっと話が聞きたくて、わざわざ首都から来たのよ。大丈夫、ちゃんと向こうには連絡がいっているはずだから」


 むすっ、と不機嫌そうなミーシャ先輩。

 そんな彼女の隣に座っているので。私が代わりに呆れたような愛想笑いを浮かべる。すると、彼はなぜか納得したように頷いた。


「……あー、なるほど。お嬢ちゃんたち、首都の美術学校の生徒さんだね」


「美術学校?」


「あぁ。そうさ。ご領主様は立派なお方でね。戦地に巻き込まれたこの街を、見捨てないでここまで導いてくださった。何もない田舎町ですけどね。皆が、こうやって穏やかに生きているのは、ご領主様のおかげなんです」


 そう言って、タクシー運転手は前を向いて。

 ハンドルを握りながら、車のアクセルを吹かす。


「その領主様のご趣味が、美術品の収集でしてね。お屋敷には、首都にはない美術品がたくさんあるとかで。たまに、その美術品を見たくて訪れる客もいるくらいなんですよ」


「へぇ~」


 私は、感心したように答える。

 どうやら、この街の領主様とやらは相当な人気者みたいだ。人望もある。時計塔の代表様アーサーとは、えらい違いだ。


「それじゃ、出発するよ。……あ、道が悪いから、ちょっと揺れるかもしれないけど。そこは勘弁しておくれ」


「げっ」


 私の治まりかけていた吐き気が、再び込み上げてきた―



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