♯1. Lost Letter(行方不明者からの手紙)
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……お久しぶりです。
今もあなたは、元気で過ごされていますか? もし、大きな病気にかかることなく、普通の日々を送っているのであれば。私にとって、これ以上に幸せなことはありません。
突然のお手紙に驚かれているでしょう。
ですが、私には。あなたしか頼れる人がいないのです。
お願いです。
どうか、私たちを助けてください。
自分勝手なことをいっていると理解しています。
単なる悪戯だと思われても仕方ありません。
それでも、私には。
あなたしか縋れる人がいないのです。
どうか、どうか。
私たちを見つけてください。そして、ここから救い出してください。
あなたの従妹、リーゼロッテより。
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人間は、嘘をつく生き物だと思っている。
それは、ミーシャ・コルレオーネがこれまで生きてきた経験において、最も正解に近い言葉のひとつだと思う。
そう例えば。
隣のソファーで、美味しそうにプリンを頬張っている銀髪の女の子。
彼女の名前は、ナタリア・ヴィントレスちゃん。
彼女自身の言葉を借りるなら、どこにでもいる普通の女の子だそうだ。
もちろん、嘘だということは気がついている。
どこの世の中に、制服のスカートの中に拳銃を隠していて、いつも持ち歩いているヴァイオリンケースには見たこともない最新式の銃を隠していて、自分の部屋のギターケースに狙撃銃を保管している女の子がいるだろうか。
だが、同時に。
彼女の人間性には、信頼できるものがある。
実際。これまでの悪魔との戦いで、逃げ出せる機会や、裏切れるチャンスなんていくらでもあったのに。彼女は今もこうやって、時計塔の執務室のソファーで美味しそうにプリンを食べている。その嬉しそうな表情を見ていると、こちらまで心が緩んでしまいそうだ。
「ミーシャ先輩? 食べないんですか?」
「欲しければあげるわよ」
ミーシャがそっけなく言うと、彼女は嬉しそうに、そして何の遠慮もなく。私のプリンを持ち去ってしまう。この素直さは、私も見習うべきかもしれない。そんなふうに思ってしまうほどだ。
……さて、話を戻そう。
人間は、嘘をつく生き物である。
それと同時に、本当のことを言っている可能性だって十分にある。それがわかるのは神さまだけか。それとも悪魔か。
「(……さて。このお客様は、果たしてどちらかな?)」
ミーシャは、興味なさそうに頬杖を突きながら、向かい側のソファーに座っている女子生徒を見る。彼女の手には、一通の手紙が握られていた。
「さぁ。話をまとめようか」
執務机に座っていたアーサー会長が、おもむろに口を開く。
彼の手元には、先ほどのお客さんである女子生徒が持ってきた手紙と、一枚の家族写真があった。
私は二個目のプリンをありがたく頂戴して、舌鼓を打つ。ミーシャ先輩も勿体ないことをする。こんなに美味しいプリンを食べないなんて。
「昨日のことだ。僕の元に、一人の女子学生が尋ねてきた。名前は、カレラさん。この学校に通う一年生だ。出身は、北にあるサンメール街。古くから領主が治めてきた片田舎だね」
ここからだと、移動に半日はかかる距離だ。
「彼女の話だと、数日前。宛先不明の手紙が自宅のポストに投函されていたらしい。差出人の名前もなく、切手も消印もない。初めは、誰かの悪戯だと思っていたんだけど、中を見てみると。それは予想外の人物からの手紙だったそうだ」
「へぇ、誰なんです?」
私がプリンにスプーンをさしながら尋ねる。
すると、アーサー会長は少しだけ間を置いて答えた。
「カレラさんの従妹だよ。……三年前から行方不明になっているはずのね」
「へ?」
ぽとり、とスプーンからプリンが零れ落ちた。
私は思わず言葉を失ってしまう。そんな私を横目に見て、ミーシャ先輩は要点がよくわからないという顔で質問する。
「つまり、なに? 行方不明と思われていた、その従妹さんは。実は、この首都のどこかで暮らしていて、久しぶりに会えないかと手紙を出してきた、ってこと?」
「いや、実は。事態はそれほど単純ではないみたいなんだ」
はぁ、とアーサー会長が重い息をつく。
その表情からは、疲れとも、憂鬱とも取れるものが滲んでいた。
「カレラさんの従妹、リーゼロッテ・ブインさんだけどね。行方不明になっているのは、彼女だけじゃないんだ。……彼女の家族。その全員が消息不明とされている」
「……は? どういうこと?」
ミーシャ先輩も難しい顔をして、眉間にしわを寄せる。
「もちろん、警察は捜査をした。事件と事故、両方の可能性を考えてね。だけど、何も見つからなかったそうだ。彼らが住んでいたサンメールの街から引っ越した後は、まったく足取りが掴めなかった」
「だったら。まだ、その前の街にいるんじゃない?」
「いや、それはないらしい。その街の不動産や引っ越し業者たちに確認したところ、間違いなくサンメールの街から出ている。書類も確認済みだ。引っ越し先で家具などの受け取りも済ませているし、近所の人からは、楽しそうな一家が引っ越してきたと喜んでいたみたいだ。……だけど、その日から―」
忽然と、家族全員が姿を消した。
ミーシャ先輩は表情を暗くさせたまま口を閉じる。
「そんな経緯のある家族の一人から。突然、こんな手紙を受け取って、どうしたらいいのかわからなくなった。そこで、僕のところへ相談に来たらしい」
「ふーん」
ミーシャ先輩は長い黒髪をかき分けながら、アーサー会長の机にある手紙を手に取る。
それと一緒にある、色あせた家族写真を見た。
さっきまでいた女子生徒ではない。別の女の子を中心に、家族が穏やかそうに笑っている。服装も質素で、静かな生活を望んでいるような家族だった。
「……『あなただけが頼りです』、『私たちを見つけてください』か」
ミーシャ先輩が手紙を読み終えると、正面にいる彼が口を開く。
「正直。僕は嫌な予感がするんだ」
そう話すアーサー会長は、いつになく険しい表情をしていた。
「引っ越した直後に、消えてしまった家族。三年も経って、前触れもなく送られてきた手紙。その内容を見る限り、もしかしたら急を要するものかもしれない」
「急を要する? 例えば?」
「……誘拐。もしくは、監禁に類する事件かも」
アーサー会長の目つきがどんどん鋭くなっていく。
「もちろん。ただの悪戯だっていう可能性もある。だけど、こうやって彼女の従妹の名前まで出すのは、どうも手が込みすぎている。……皆には悪いけど、この週末。僕は出かけることにするよ」
「出かける、って。どこにいくつもり?」
「現地だよ。サンメールの街に行って、この目で確かめる」
アーサー会長は真顔だった。
他人のために、そこまで行動できるとは。とても私には真似できないな、とプリンのカラメルソースを混ぜながら他人事のように思っていた。
「はあ? あんたが行ったからって、どうなるのよ?」
「まずは、サンメールの街を治めている領主に話を聞こうと思う。それから、失踪したブイン一家が住んでいた家を訪ねて、何か手がかりがないか調べてみるよ」
「一度は、警察が調べたんでしょ? 何も出ないわよ」
「そうかもしれない。でも、僕は行くよ。なんだが、自分で確認しなくてはいけない気がするんだ」
アーサー会長は本気だ。
傍に立っている黒服のペペに、週末の予定をキャンセルするように伝えると。書類をまとめて、旅行バックに詰め込んでいく。
そんな彼を見て、声をかけたのは。
やっぱり、ミーシャ先輩だった。その顔は、ちょっとだけ呆れつつも笑っている気がした。
「別に、あんたが行く必要はないでしょ。その家族が失踪したのは三年前。悪魔が出現することになった『悪魔の証明』事件よりも過去の話なのよ。あんた。悪魔が関係していないと知っていて、それでも調査に行くわけ?」
「それでも、見て見ぬフリはできない。人の命が掛かっているかもしれない」
「もし、誰かの悪戯だったら?」
「その時は、僕のことを笑えばいい」
一歩も譲ろうとしない、アーサー会長。
執務机に寄りかかって、前のめりになるようにこちらへ問いかける。そんなアーサー会長の姿を見て、やれやれとミーシャ先輩が肩をすくめる。
「まったく、言い出したら聞かないわね」
「……ごめん」
「謝るくらいなら、もっと仲間を頼りなさい。あんたの悪い癖よ、それ」
そう言って、ミーシャ先輩は長い黒髪をなびかせた。
その瞳の奥には、彼への優しさが溢れていた。
「いいわ。この手紙の件は、こっちでやる。私たちが現地に行くから、あんたは誰が手紙を郵便受けに入れたのかだけ調べなさい」
「私、たち?」
アーサー会長が首を傾げる。
そんな彼に、ミーシャ先輩は不敵な笑みを浮かべる。
「えぇ、そう。私たち。……そうでしょ、ナタリアちゃん?」
「あ、はい。……はいっ!?」
突然、こっちに振られて飛び上がってしまった。
空になった二個目のプリンの容器が、ころころと絨毯の上を転がる。
「ちょっ、ちょっと。なんで私を巻き込むんですか!? 調べるんだったら、ミーシャ先輩だけで行けばいいじゃないですか!?」
「へー、そういうことを言うんだ。せっかく、私のプリンをあげたというのに」
「うっ?!」
私はわかりやすく顔を強張らせる。
「大丈夫よ。ちょっとした週末旅行みたいなものだから。現地のホテル代も、時計塔の経費から落ちるし」
「え~。そうだとしても―」
「何だったら、買い物も付き合ってあげるわよ。サンメールの街は可愛いお土産屋さんで有名だから」
「なら行きます!」
きゃぱっ、と急に真面目な表情になる。
そういえば、最近は近場ばかりで、遠出して買い物に行ってなかったなぁ。この際だから、部屋の模様替えもしちゃおう。ホテル代もタダとなれば、これはもう行くしかないよね。
などと考えている私のことを、ミーシャ先輩はどことなく心配そうな目で見ていた。『あー、本当にちょろいな。なんか、この子の将来が心配になってくる。変な男に捕まったりしなければいいけど』。なんだか、そんなことを思われている気がした。
私が不機嫌そうな顔を向けると、彼女はにっこりと笑った。
「じゃあ、今度の週末。朝一番の列車で出発よ。向こうで一泊する予定だから、ちゃんと準備しておいてね。……あと、アーサー。黒服のペペを借りてもいい? ちょっと調べさせたいことがあるの」
・今回は、サスペンス・ホラー的な話です。話の長さ的には中編といったところですね