♯12. Siro Snibel(シロー・スナイベル)
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「……おいおい、ちょっとやりすぎじゃないのか?」
この街のどこかに潜んでいる狙撃手の男が、呆れたように言った。
「伝統あるオペラ座の劇場で火事とか、洒落にならないぞ?」
「いいのよ、これくらいで。あの手紙を燃やせたんだから」
ふー、危なかった。
あれ以上のことを喋られたら、この街を二度と歩けなくなっていただろう。乙女の秘密を暴こうとする輩など万死に値する。まして、下着の色なんて。
「……別にいいだろう、下着の色なんて?」
「あんた。自分の娘が同じことをされても、それが言えるわけ」
「……いや、72時間の拷問にかけてから殺す」
声がマジなのが、逆に怖い。
「そういや、あんた。本当にどこにいるのよ。着弾地点を確認できて、なおかつ。私のことも見える場所なんて、あまりないけど」
「……悪いが、企業秘密だ。誰かに知られると、これからの仕事に差し支える」
「あ、そう」
私は興味なさそうに答えながら、きょろきょろと周囲を見渡す。
ここより高い建物は周囲にはあまりないし、あったとしても角度的にオペラ座の劇場か、私のことが見えなくなってしまう。ここより高くて、なおかつ視界が良好な場所は―
ふと、遥か遠くにある首都の中心街に目がいく。
そこに立っている、エッフェル電波塔。とてつもない高さを誇る近代建築物で、確か展望台なんかもあったはずだ。
「(……まさか、ね)」
私は自分の発想に呆れながら、再び望遠スコープを覗く。さて、そろそろ。あの悪魔にトドメを刺さないと―
「ん?」
違和感を覚えて、私は目を凝らす。
劇場の屋根で燃えている、一人の悪魔。何も持っていない手を握りしめて、こちらを見つめている。その目は、涙で覆われている気がした。
「……おい、気をつけろ! そいつ、まだ―」
狙撃手の男が無線越しで警告してくる。
それよりも早く、私は行動を起こしていた。
悪魔がしゃがみ込み、こちらへと飛んでくる。私は急いで赤いラベルのついたマガジンを取り外して、薬室に納まっている銃弾を解放させる。
「……何やっている! 早く撃て!」
「焼夷徹甲弾、誰かに当たるかもしれないのに! 無暗やたら撃てるわけないでしょ!」
私は慌てながら、対悪魔用の純銀弾が入っているマガジンを手に取り、銃に装着。そして、初弾を装填して、狙いをつける頃には―
もう、悪魔は目の前にまで迫ってきていた。
「ひっ!?」
小さな悲鳴が溢れる。
焼夷火薬に身を焦がしながらも、黒い翼を広げて飛んでくる姿は。まさに、悪魔としか形容ができなかった。
―神よ! お前のパンツは何色だぁぁぁっ!―
そんな叫び声を上げている悪魔に、私は『ドラグノフ狙撃銃』を抱えて、スコープ越しではなく、目視で狙い撃つ。が―
「くそっ」
銃弾は、夜の闇へと消えていく。
そして、オペラ座の悪魔が屋上の淵に足をかけ、その手を私の喉元に向けて突き出した。
まさに、その瞬間だった。
空気を切り裂く飛翔音がして、……パンッと悪魔の頭が弾け飛んだ。
「……へ?」
自分のすぐそばを、謎の銃弾が飛んでいったことだけはわかった。悪魔の姿が、黒い塵へと変わっていく。
数秒後に、とても遠くから。小さな銃声が聞こえてきた。
何が起きたのかわからず、ぺたんと私は腰が抜けたかのように座り込む。はぁ、はぁ、と肩で息をしていると、無線機越しに声をかけられていることに気がつく。それは、とても落ち着いた声だった。
「……おい、大丈夫か?」
「え? えぇ」
「……なら、よかった。娘の通う学校で、悪魔の被害は出したくなかったからな」
そう言って、狙撃手の男は、カタンッと金属の擦れる音とともに黙ってしまう。薬莢を排出させたときの音。それは、あの男が使っているボルトアクション式のスナイパーライフル。それの特徴的な音だった。
私は、直感的に。
遥か遠くに立っているエッフェル電波塔のほうを見た。ここから、1キロメートル以上は離れているというのに。
「もしかして、助けてくれたの?」
「……さぁ、何のことかな?」
ふっ、と小さく笑う気配がして、遠くのエッフェル電波塔の展望台の上で、キラッと何かが反射した気がした。
そんな、まさか!?
しかし、あり得るのか?
通常の狙撃手は、500メートルから800メートルほどの精度だという。1キロメートルの地点での精密狙撃でさえ、もはや神業と呼ばれるくらいなのに。この男は、それよりも遥かに超える距離の狙撃を、一発で成功させてしまったというのか?
なんと恐ろしい腕前だ。
狙撃手の男。そう呼ばせるだけの男ではある。
「……じゃあな、仕事は終わりだ。今度は、もっと穏やかな内容にしてくれよ」
「ちょっと、あんた。待ちなさいっ」
私が慌てて無線機に向けて声を上げると、その男はおかしそうに笑った。
「……あんた、じゃない。俺の名前は『シロー・スナイベル』だ。次は、タダで仕事はしないからな」
それだけ言って、男は無線を切った―