♯9. Stand By...(ステンバーイ、ステンバーイ)
「……ッ!?」
アーサー会長は言っていた。
その悪魔はラジオを通して、冴えない男の恋文を唄うのだと。ならば、この雑音こそが。悪魔の出現した合図に他ならない。
「とうとう来やがったか!」
私はチョコレートを口に咥えながら、屋上に腹ばいになって、スナイパーライフルを構える。
そして、狙撃用のスコープを覗き込み、オペラ座の劇場の屋根を見た。
……いやがった。
まるで劇団員のような派手な衣装を着た、痩せ型の悪魔。
ゆらゆらと長い尻尾を揺らして、礼儀正しく頭を下げている。まるで、これから自分の演目を見てもらう、舞台主演の挨拶のようだった。
そして、その顔の容姿は。
清々しいほど、爽やかなスマイルだった。どこか頭のネジが緩んでいるような表情が、さらに私を苛立たせる。
「(……落ち着け。焦ってはダメだ。確実に狙える瞬間を待つんだ)」
狙撃手の仕事のひとつに『待つ』というものがある。
標的に気づかれることなく、確実に狙撃するためには。絶好の機会が訪れるまで、息をひそめる必要がある。本来なら、観測手が狙撃のタイミングを図ってくれるのだが、あの男はもう信用できないからな。
私は『ドラグノフ狙撃銃』のコッキングレバーを引いて、初弾を薬室に装填。
安全装置を解除して。
いつでも狙撃できる態勢を整える。
「……大丈夫。私は冷静だ。何があっても、絶対に、取り乱したりはしないぞ」
自分に言い聞かせるように、私は静かに呟いた。
標的が姿を見せても、すぐには引き金を引かないのが、プロというもの。私は鋼の精神をもって、確実なタイミングで狙撃してみせよう。断じて、感情のままに撃つなど、あるわけがないー
――◇――◇――◇――◇――◇――◇――
嗚呼、人間は良い。
自分の感情を胸に秘めて、静かに他人を想うことができる。人を愛する。その目的のために、手段を選ぶ尊さがある。
我々のような悪魔とは違う。
悪魔は、手段のためには目的を選ばない。快楽を得られる行為であれば、何でもしてしまう。例え、どんな結果になろうとも何も感じない。
自分が快楽を得られればいい。
それが悪魔の本質だ。
だから、あの学園に通っている彼のように。ひっそりと好きな人のことを想いながら手紙を書くなど、我々では考えつかないことだ。好きなものがあるなら、どんなことになっても奪えばいい。そう笑う、我らが同胞は多いだろう。
だが、我は違う。
我は、彼の恋文に感銘を受けた。
ここまで素直で純粋な想いが、この世界にあったなんて。
ただ一人。たった一人。その少女のことを想い、手紙をしたためる。
嗚呼、なんと儚くて美しい光景だろうか。
悲しむべきは、その彼が。
勇気を持てず、その手紙を渡せないことだった。
その様子を想像するだけで切なくなる。なんと勿体ない! あの手紙が想い人へと渡れば、必ずや両想いとなれるのに。それだけの純粋な恋慕が綴られているのに。
……ならば、我は応援しよう。
今宵も、恋のキューピッドとなって、彼の恋を応援するのだ。
この街に。
この国に。
彼の純粋な恋心が伝わるように、我は高らかに歌う。その恋文の歌は、きっと。彼の想い人へと届くと信じて。
我は胸のポケットから、一通の手紙を取り出す。
数日前に彼が綴った新作だ。今宵は、どのような純粋な想いが綴られているのか。今から、胸が張り裂けそうになる。
「……これは、哀しき恋の手紙。紳士淑女の皆様、どうか」
どうか、どうか。涙をふくハンカチを用意して聞いてください。
我は静かに前を済ませると、この寝静まった街に向けて高らかに歌い上げる。
「嗚呼ぁ~、愛しのナタリア・ヴィントレス様ぁ~。今日も、あなたは美しいぃ~。綺麗な銀色の髪に、儚く笑う表情~。そして、なにより~。……階段の下から見える、そのスカートの中の下着ぃ~。今日のパンツの色はぁ~、くろおおおぎゃっ?!」
ズドンッ、という銃声と共に。
我の頭に、銃弾の衝撃が貫いていた。
……それは、悪魔が歌い出してから。わずか数十秒後のことだった。