#4. Bolt Action(ボルトアクション式のスナイパーライフル)
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じゃー、と化粧室から水の流れる音が聞こえる。
私は少し恥ずかしそうに顔を赤くしながらも、ハンカチで手をふいてスカートのポケットに綺麗に折りたたむ。
「(……まさか、あそこまでキレるなんて。想像もしてなかったよぉ)」
とほほ、と藪蛇に突っ込んだ気分になりながら、元のテーブル席へと向かう。
私は、東側陣営のスパイだ。
だけど、ずっと東側の構成国にいたわけではない。10代の後半。つまり、高校生の時は、この国の学園に通っていた。それこそが、私がこの国で諜報員として活動していた理由でもある。
その学校の名前は、オルランド魔法学園。簡単に説明するなら、魔法が使える学生を集めた超・実力至上主義の軍学校だ。世の中の奇人変人を極めた奴は、だいたいここの卒業生である。……まぁ、私のような常識に満ちた人間も稀にはいるけど。
あの男は、まだテーブル席に座っていた。
お願いだから待ってて、と言ったのは私だけど。こうも律儀に待っている人間も珍しい。
「あ、マスター。カフェ・ラテをおかわり。今度は、砂糖をいっぱい入れてね」
カウンターで控えているマスターも、迷惑そうな顔をしながら頷く。そんな渋々な態度を見て、私は納得する。……うん、なるほど。こういった事態は、時々あるらしい。
私は、自分のいた席には座らず、男と同じテーブル席に腰を下ろす。相向かいになった男の顔から、すごく不機嫌そうな視線が向けられたが、それは学生時代から変わらないので気にしないことにする。
「それで、俺に何の用だ?」
男のほうも、コーヒーをおかわりしたのか。熱そうな湯気が立っているコーヒーカップを、ゆっくりと傾ける。もちろん、男のスナイパーライフルは鞄の中に戻してある。だが、その鞄の蓋が、わずかに開いていることに気がついて、私は再び落ち着かなくなった。
この男は、凄腕のスナイパーだ。
そして、私の学園時代の同級生でもある。
過去の戦争にも参加したことがあり、少年将校ながら何人もの敵将を狙撃してきた。その腕前は、敵国からも恐れられて。ブラックリストに入れられたほどの化け物だ。確か、狙撃の死神とか、そんな異名をだったかな。
「えーと、そうそう。あんたに狙撃の依頼をしたいんだけど、今はフリーなの? それとも、どこかに所属してる?」
「おい。人のことを、金を積めば誰でも始末する殺し屋みたいに言うのは止めろ」
男は、不機嫌そうに眉間にしわを寄せる。
似たようなものだろうに。お金を払うのが、国か、個人か。その違いくらいだ。
少し、話題をそらしたほうがいいかもしれない。
そう感じて、私は視線を男の脇に向ける。蓋がわずかに開いたままの、細長い頑丈な鞄。その中について、尋ねてみた。
「……あんたの使っている銃って、もしかして『M24』だったりする?」
「だとしたら、なんだ?」
男の視線は、依然と険しい。
ボルトアクション式のスナイパーライフル『M24』。
レミントン社が開発した、高精度の狙撃銃だ。有効射程距離は800メートル。装填数は5発。銃弾は、狙撃用の7.62㎜を使用している。
最大の特徴は、やはりその性能だろう。『精密狙撃』という一点においては。現行において、最高性能を誇っている銃といってもいい。
それを可能にしているのが、ボルトアクション式という構造だ。
最近の銃は、自動装填が主流になっていて、引き金を引いても、すぐに次の銃弾が装填される仕組みになっている。
だが、このボルトアクション式では、次の銃弾を自分の手で装填しなくてはいけない。銃弾を撃った後、薬室に残っている空薬莢を、銃の引き金の上にあるボルトハンドルを上げて、手前に引くことで排莢。そして、再びボルトハンドルを押し込むことで、次弾を装填する。
一見すると、手間がかかる旧式のように感じるかもしれないが、これが馬鹿にできない。自動装填とは違い、シンプルな構造ゆえに、高性能で高精度。しかも、故障も少ない。つまり、一発だけで目標を撃ち抜く自信があるなら、これ以上の選択肢はないのだ。
一発必中。
そんな古き伝統を受け継ぐスナイパーライフル。
もはや時代遅れの理想でしかないのに、この男は呼吸をするように平然とやってのける。まさに、本物の化け物だ。
「自動装填のスナイパーライフルに変えないの?」
「必要ない。俺たちは、戦争をやっているわけじゃない」
「ふーん。てか、それ。射程距離を伸ばすために改造しているでしょ」
「お前が知る必要はない」
男は突き放すように言った。
まぁ、どんな銃を使おうが個人の自由だし、別にいいけど。
そういえば、銃職人のジョセフ爺のところにも、魔改造されたスナイパーライフル『M24』があったけど。まさか、ねぇ。
……ん?
……俺たち?
「ねぇ、あんたって。どこか特別な部隊か、部署にいるわけ?」
「話すわけがないだろう。それを聞きたいなら、まずは自分のことを話すんだな」
俺は、お前の名前も知らないんだぞ、と男は呆れた表情になる。
それも、そうか。
交渉や商談というものは、まずは自分から手の内を明かさないといけない。それは、信用に関わることだ。私は、この男の腕を信用しているし、信頼もしている。だが、この男にしてみたら、正体不明の人間が仕事を押し付けようとしているようにしか見えない。案の上、この男は私を相手にしようともしない。
「ふん。まぁ、お前みたいな怪しい奴が、自分から正体を明かすことなんてあるわけが―」
「私の名前は、ナタリア・ヴィントレス。東側陣営の所属する諜報員よ。今は、この首都での情報収集と機密保全のために活動している」
かたんっ、と男のカップが手から滑り落ちた。