♯3. Cafe & Gun (カフェと寡黙な男と、…スナイパーライフル)
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平日の朝。
その男は、いつもと同じカフェに入ると。いつもと同じコーヒーを注文して、いつもと同じテーブル席に座る。
店の外では、通勤ラッシュでせわしなく移動する人たちで溢れかえっている。会社員、学生、子供連れの母親。そんな光景を前にしても、男は急ぐ様子はない。カフェのマスターが入れてくれたコーヒーを飲みながら、持ち込んだ新聞を広げる。
平凡な男に見えた。
よく見かけるメーカーの男物のスーツに、デパートで売っている安物のコート。あまり人付き合いがよくないのか、その表情は常に険しい。
ただ、ひとつ。
目を引くものがあるとすれば、頑丈そうな細長い楽器ケースだ。
まるで高級な楽器でも持ち歩いているかのような頑丈さだ。大きなサックスか、あるいは長いトロンボーンか。そうして見れば、この男も。不愛想で寡黙な音楽家に見えなくもない。……彼からわずかに漂う、硝煙の匂いに気がつかなければ。
「……」
男は、その細長い楽器ケースを手の届く場所に置きながら、視線だけは新聞から離さない。
外の喧騒とは違い、ゆったりとした時間が流れていた。
男は、この時間が好きだった。
仕事に行く前の、わずかなひと時。時折、視線を上げて、外の風景に目を向ける。忙しいながらも平和な街並みを、どこか無関心に見ていた。そして、コーヒーカップを傾けて、再び視線を新聞に向ける。
そんな時だった。
カラン、カラン、とカフェの扉のベルが鳴って、別の客が来たことを告げる。
この時間帯に、男以外の客はいない。
その『新しい客』は、マスターに何かを注文すると、真っすぐ男のほうへと歩いてくる。
「……」
男は、顔を上げない。
視線を新聞の記事に向けたまま、意識だけは新しい客へと向けていた。
だが、その新しい客は。男の脇を通り過ぎると、隣のテーブル席へと腰を下ろす。そして、男と背中合わせになるように座った。
男は静かに、自分の頑丈で長細い楽器ケースを引き寄せる。新聞を読むフリをしつつ、自然な素振りで飲みかけのコーヒーカップを遠ざける。わずかな切っ掛けさえあれば、男はすぐに行動を起こすつもりだった。……空気が張りつめるのを感じた。
―どうぞ、カフェ・ラテです。
マスターも不穏な空気を察したのか、注文された品をテーブルに置くと、そそくさと離れていく。そして、新しい客が、そのコーヒーカップに触れて。男が鞄の中身を取り出そうとした、その瞬間―
「そんなに殺気を立たせるな。こっちは交渉に来たんだ」
「っ!?」
背後の客から、声がした。
どこか無理やりに声色を変えたような声だった。男はしばらく黙ったあと、背中越しの人物へ返事をする。テーブルの隅に寄せた、コーヒーカップに手を伸ばしながら。
「……交渉? なんのことだ」
「惚けるなよ。あんたが、この店に通っていることは知っている。まずは依頼の内容を聞くべきじゃないか?」
「悪いが、話が見えない。俺は、しがない会社員だ」
「知っているさ。保険会社のサラリーマンだろう。……表向きは、だ」
コトッ、と背中越しに、コーヒーカップをテーブルに置く音が聞こえた。
交渉か? 本当に仕事の依頼に来ただけなのか?
それとも、自分の命を狙いにきた殺し屋か。男がこれまでしてきたことを考えれば、邪魔な存在として命を狙われても不思議でない。実際、これまでに何人もの刺客が送り込まれてきた。
……そして、その全てを返り討ちにしてみせた。
「話は終わりか? 悪いが、これから仕事なんだ。失礼する」
男が新聞紙を折りたたみ、テーブル席から立ち上がる。
そして、その長細く頑丈な鞄に手を触れた、……その瞬間。
「逃げるなよ。それだと、あんたの家族がどうなっても知らないぜ。凄腕のスナイパーさんよ?」
ピキッ、と男の額に青筋が走る。
その言葉が何を意味するのか、頭が理解するよりも早く。男は、その頑丈な鞄を開いていた。そして、流れるような熟練とした動作で、鞄の中から『それ』を取り出すと、背後の席にいる人物に向けて構えていた。
それはまさに、一瞬の早業だった。
……今、なんて言った?
男は見開かれた目で問いながら、人差し指を引き金に掛ける。
男がいつも持ち歩いていた頑丈な細長い楽器ケース。その中に入っていたのは、楽器などではなかった。
黒い銃口。長細い銃身に、狙撃に特化した望遠スコープ。
ボルトハンドルはすでに定位置に収まっており、初弾は装填済み。安全装置など、とっくに解除されている。
男が構えていたのは、一丁のスナイパーライフルだった。
そして、ちょっとでも引き金を絞れば、銃弾を放てる態勢でもあった。何より、無機質な殺意に溢れている。そんな男の姿を見て、背後に座っていた客は―
……泣き出しそうな声で叫んでいた。
「ぎゃぁぁぁぁ! 待って待って待って、そんなに怒んないで! 嘘に決まってるじゃん! 冗談よ、冗談。そこまでマジになるなんて思ってなかったんだから! ね、ねっ!? お願いだから、撃たないでぇぇっ!?」
というか、もう泣いている。
顔を真っ青にさせながら、両手を上にあげて。ガクガク、ブルブルと全身を震わせていた。このまま放っておけば、今にもチビりそうなくらい、ビビりまくっている。
そんな首都の高等学校の制服を着た、銀髪の少女を目の前にして、ようやく。
その男は、首を傾げるのだった。
「……誰だ、お前?」