♯1(:Re). Holiday(黒服たちの休日。…任務、ナタリアちゃんを調査しろ)
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―おはようございます。本日は快晴。爽やかな休日になるでしょう。さて、今日のニュースですが、隣国のガリオン皇国から外務省大臣が来訪する予定でしたが、突然のキャンセルに政府は説明を追われて……
「えっ、今なんて言いましたか。会長?」
今日は快晴だ。
こんな日は、釣りやアウトドアに行きたくなるけど。もちろん、休日だからといって、仕事が休みになるわけもなく。俺たちは、時計塔の執務室で書類と睨めっこしていた。
執務室のカラーテレビで流れているニュースを聞きながら、疲れた目頭を押されてソファーに寄りかかる。時計塔の執務机には、いつものように。アーサー会長殿が涼しい顔で激務を熟している。
俺の名前は、ペペ。
アーサー会長の護衛をしている、黒服のひとりだ。
本名は、ペペロンチーノ・ボーノ(訳:ペペロンチーノはおいしいよ)。もちろん偽名だ。仕事柄、いくつもの名前を使い分けているが、最近はこの名前を使うことが多いかな。アーサー会長の護衛役の他にも、いろんな雑務を引き受けている。
外見は、赤髪の優しいお兄さんだ。
常に黒服のスーツを着ていて、懐には銃を隠し持っていて、鍛えているから無駄な脂肪もない。特技は、CQC(軍隊式格闘技)。いつ戦闘になってもいいように、予備のマガジンと、手榴弾を持ち歩くことも忘れない。
俺の主な任務である会長殿の護衛には、常に二人一組で当たるようにしてる。その任務の相棒は、あっちの安楽椅子で。降参したように書類を顔に乗せて不貞寝している男だ。
奴の名前は、ナポリ。
本名は、ナポリタン・ボーノ(訳:ナポリタンもおいしいよ)。もちろん偽名だけど、俺の実の兄貴だったりする。俺とは対照的な青髪に、部屋の中でもサングラスを外さないのがトレードマークだ。
そう、俺たち。黒服兄弟こそが。
激務のアーサー会長を影から助ける、縁の下の力持ちってわけだ。今日も朝から、アーサー会長の書類業務を手伝っていたわけだけど。会長殿から、思いもよらぬ任務を言い渡された。
「本気ですかい? ナタリアちゃんの身辺調査って」
「うん。今日一日、彼女に張り付いて、何か怪しいところがないか。調べてきてほしいんだ」
会長殿は書類から目を離さず、淡々と言った。
思いもよらない任務内容に、思わず兄者のほうを見るけど。あのクソ兄貴は、寝たふりをしたまま、こちらを見ようとはしない。このぉ、後で覚えとけよ。
「どうしたんだい、ペペ。気乗りしないかな?」
「いや、気乗りしないっていうか。……なんていうか、今更っすね?」
俺はぼりぼりと頭をかきながら、思ったことをありのまま口にする。
「ナタリアちゃんが怪しいかって? そりゃ、怪しいに決まっているでしょう。どこの世界に、あれだけ銃器に精通していて、あんな特殊な銃を自分で調達して。あまつさえ悪魔を返り討ちにしてしまうような、そんな普通の女子学生がいると思っているんですか?」
最近、時計塔の『No.』の仲間になった、女の子のことを思い出す。
銀色の髪が印象的な、小柄な女の子。
一見すれば、守ってあげたい可憐な淑女に見えなくもないけど。……まぁ、美しい花には『毒』があるという良い例だな。それこそ、俺たちが本気で身辺調査なんてしたら、とんでもない量の埃が出てきそうだ。
「でも、どうしたんです。急に、ナタリアちゃんを調査しろなんて」
俺は首を傾げながら、自分の雇い主を見る。
このアーサー会長殿は、怪しいだけで人を疑ったりしない。自分の目で見て、信じられると思ったら、どこまでも信頼してしまう御人だ。
だからこそ、このタイミングで身辺調査なんて。どうにも腑に落ちない。そんな俺の視線を感じたのか、アーサー会長は少しだけ疲れたような顔を見せた。
「……僕が、本気で彼女を疑っていると思うかい?」
「というと?」
「上の組織からの命令だよ。『悪魔を狩る者たち』。特別顧問のヴェル・ブラッド卿が、新人について報告しろってさ」
「それは、まぁ。ご愁傷さまで」
俺は心の底から同情する。
時計塔の『No.』は、彼らの下部組織である。自分たちが学校の生徒を守ったり、街の人を悪魔から助けたりするのが役目ならば。奴ら悪魔を狩る者たちは、それこそ悪魔を始末することに特化した戦闘集団だ。
どいつも、こいつも。粒ぞろいの曲者たち。その中には知り合いもいるけど、あまり関わり合いにならないほうがいい奴らばかりだ。悪魔を始末するためには、歴史的建造物を破壊することさえ躊躇わない連中だからなぁ。
「はぁ、僕だって気が進まないよ。彼女のプライバシーを覗くようでね。……それでも、形だけでも調査をしなくちゃいけないから、こうやって君たちにお願いしているわけさ」
「なるほど。納得しました」
俺はソファーから立ち上がると、ボキボキと肩を鳴らす。
「まぁ、ここで書類仕事をしているよりは気晴らしができそうっすね。それじゃあ、女子学生の私生活をこっそり覗き見してこいという任務、確かに承りましたよ」
「そんな嫌な顔をしないでくれよ。僕だって、本当は嫌なんだから」
むっ、とアーサー会長が不機嫌な顔になる。
おっと、珍しい。この御人が感情を表に出すなんて滅多にないぞ。それほどまでに嫌がっているということか。
「それで? 会長殿は、どうされるんです? なんだったら、ミーシャ姫とデートにでも行かれたら?」
「そうできたら、どれだけ良かったことか」
はぁ、と会長殿がため息をつく。
そして、無言のままニュース番組をやっているカラーテレビを見る。隣国のガリオン皇国から来るはずだった外務省大臣が、急遽。キャンセルになったニュースをやっている。
「僕は別件で忙しくなりそうだから。代わりに、ミーシャが好きそうなお菓子でも買ってきてよ」
「了解っす。……おら、兄者。行くぞ。仕事だ」
俺は黒服の襟を正しながら、まだ安楽椅子で狸寝入りをしている兄を見る。
だが、声をかけても返事がない。
くかー、とわざとらしい寝息まで立ててやがる。
……ブチッ!
「おらっ!? 仕事だって言ったんだろうが、このクソ兄貴!」
俺は怒りに耐え切れず。安楽椅子で寝たふりをしている兄に向って、ドロップキックをかましてやった。
「ったく。お前のせいで、ギリギリだったじゃねーか」
「あん!? 元はといえば、兄者が不貞寝こいているからだろーが!」
混雑している路面電車で、俺は兄に向って噛みついている。
休日であっても、首都の電車は乗客でいっぱいだ。さすがに出勤時間のラッシュアワーほどではないけど、俺も兄者も体が大きいほうなので、ちょっと窮屈だ。
「……ちっ。こんなことなら、俺のバイクを使えばよかったぜ」
「それじゃ、ナタリアちゃんを見失うだろう? 一応、会長殿に報告しなくちゃいけないんだから。ちっとは真面目にやってくれよ」
「はいはい。そういうところは律儀だな、我が弟よ」
ふわぁ、と兄者が退屈そうに欠伸を漏らす。どうやら、俺以上にやる気がないらしい。そりゃ、俺だって。女の子のプライバシーを覗くようで気が引けるし。ぶっちゃけ、こんな任務はやりたくないけど。これも仕事だ。仕方ない。
「(……さて、ナタリアちゃんは)」
彼女に気づかれないように、こっそりと視線を送る。
いつもの黒服だと、一瞬でバレてしまうので。今日は街の住民に溶け込めるような服装を選んでいる。安物のジャンバーに、安いチノパン。街によくいる同年代の服装だ。ちなみに兄者も似たような格好だ。
それに比べて、ナタリアちゃんは。
……うん。悪い意味で目立っている。
今日は買い物に行くと聞いていたので、余所行きの恰好なのだろう。
白色のミニワンピースに、脚線がわかるスキニーなジーンズ。足首が見えるお洒落なサンダルに、小さな肩掛けバック。どれも大手衣料量販店で揃うシンプルなデザインだけど。それ故に、素材の良さが目立ってしまう。
乗客の何人かは、それも男性客はちらちらと彼女のほうを見ている。
無邪気に外の景色を楽しんでいる姿は、同年代の男共にとって。眩しすぎるくらいの美少女に見えていることだろう。
「(……まっ、将来は美人さんになるだろうな)」
ふっ、と思わず気を緩めて笑う。
その時だった。
突然、彼女がこちらに振り向いたのだ。俺は慌てて、視線をそらす。そして、電車内の広告を見ているフリをしながら、なんとか動揺を押さえつける。
「(……馬鹿な!? 俺の視線に感づいただと!?)」
ありえない、と俺は正直に思った。
視界の端にいる彼女は、不思議そうな顔で辺りをきょろきょろと見渡していた。しばらくすると、彼女も気のせいだったと思ったのか、再び視線を外に向ける。
「……兄者、すまん。バレたかも」
「……は? 何を言っているんだ、お前?」
サングラスの奥の目を開きながら、兄者が片方の眉を上げる。そんな兄に、俺は小声で喋る。
「……ヘマしたつもりはないんだが、突然。こっちに振り返ってな」
「……視線は合ったのか?」
「……いや、それは大丈夫だと思う。……たぶん」
怖くて、これ以上は視線を向けられそうにない。
次に違和感を持たせたら、今度こそ本当にバレかねない。ならば―
「……兄者。悪い、俺の代わりに見てくれないか?」
「……ったく。しょうがねぇ弟だな」
ふわぁ、と欠伸を漏らして。
兄者は乗客の影に隠れながら、ナタリアちゃんがいる方へと視線を向ける。乗客が邪魔で、完全に死角になっている位置。そんな場所で、兄者はサングラスをわずかに外して、その青い瞳を開く。その瞳には、淡い輝きが灯っていた。
「……あぁ、視えた。大丈夫そうだな。あの子、俺たちの存在には気づいてないようだぜ」
「本当か?」
「あぁ。のん気に外の景色を見ながら、にこにこと笑っているぜ。……おっ、今日のキャミソールはピンク色だぞ。良いセンスだ。どれどれ、下着は―」
「何を視てるんだよ、このクソ兄が!」
これ以上、余計なことを視ようとしたなら、力づくでも止めなくてはいけない。弟として、兄に引導を渡すのはやぶさかではない。
「冗談だって。俺は、ガキに興味はないからな。……って、腰のベルトに『デリンジャー』を隠してやがる。相変わらず危ないお嬢さんだな」
「まるで、俺たちみたいだな」
そう言って、俺はジャンバーのポケットにある、銃を確認する。もちろん、いつ戦闘になってもいいように、予備のマガジンと手榴弾もある。
「むっ。そろそろ降りるみたいだ。俺たちも降りる準備をするぜ」
そう言って、兄者はサングラスをかけ直す。
瞳の青い輝きは、少しずつ消えていった。
ナタリアちゃんが降りた駅は、若者の洋服店が並ぶ地区だった。
主に若い女性向きのブティックが並ぶ通りで、彼女は上機嫌にウインドウショッピングを楽しんでいる。その後ろ、少し離れた場所から。俺たちは後を追いかけていた。
「普通に買い物に来た感じだな」
「まぁ。学生に休日といったら、そんなもんだろう」
俺と兄者は、あまり目立たないように道の端を歩きながら、適度な距離を保っている。
可愛い服や小物を扱っている店が多いため、歩いている人も若い女性が多い。俺は、女性にぶつかる度に謝りながら、何とか尾行を続ける。
「ぐぬぬ。やりづらい」
「まぁ。俺たちの仕事場は、どちらかというと銃弾の飛び交う戦場が多かったからな。こういう場所は不慣れだぜ。……おっ、あの店に入ったぜ」
「よし。手前のカフェで張り込もう」
正直、少し休みたいというのが本音だった。
俺と兄者は、ナタリアちゃんが入ったブティックが見える場所の席に座って、アイスコーヒーを注文する。時折、店内にいる彼女が見えるが、楽しそうにショッピングしているようにしか見えない。うーむ。鋭いのか、天然なのか。よくわからない娘だなぁ。
「結構、時間をかけているな」
「これくらい普通だろう? 女の子の買い物なんて」
それから、またしばらく時間が経って。二杯目のアイスコーヒーが空になったくらいに、ようやく彼女が店から出てきた。満足のいく買い物ができたのだろうか。洋服屋の紙袋を持つ彼女は、実に嬉しそうだった。
「よし。尾行を再開するか」
「あぁ。……いや、ちょっと待て」
立ち上がろうとした俺を、兄者が慌てて制す。
何事かと彼女のほうを見てみると、なぜか見知らぬ男に声を掛けられていた。あれは、もしかして―
「……ナンパか?」
「……ナンパだな」
俺たち兄弟は似たような感想を抱いたに違いない。
あの男。なんて間抜けなんだろう。ちょっと見ただけで、相手の女の子が高嶺の華であることはわかりそうなのに。その証拠に、他の男たちも、お近づきになりたくて、ちらちら見ているだけで、声をかけていなかった。その男は、あからさまに軽薄で。ちゃらちゃらとした外見や、着ている服の色合いも、まったくセンスがなかった。
「まぁ、さすがに。あんなナンパについていくわけないよな」
「そりゃ、そうだろう。完全に下心が丸出しになってるし。どんなにちょろい娘でも、ついていくわけが―」
ははっ、と俺たちが笑っていると。
軽薄なナンパ野郎と会話が弾んでいるみたいで、そのまま薄暗い路地へと連れていかれそうになっていた。
「「どんだけ、ちょろいんだよ。あの娘は!?」」
そこからというもの、俺たちの行動は早かった。
まず、俺がチャラ男の背後を取って、攻撃する隙を待つ。そして、ナタリアちゃんが視線を外した瞬間に、特技のCQCで背後から首を絞めて気絶させる。そして、近くの植木へと隠れては、そのまま建物の裏側に回って様子を窺う。
ナタリアちゃんが植木に気を取られている隙に、今度は兄者が気絶してるチャラ男を引っ張って、薄暗い路地へと捨てた。
きっと、ナタリアちゃんにしてみたら、何が起きたのかわからなかっただろう。実際、きょろきょろと辺りを見渡した後、首を傾げたまま歩いていった。
それから、というもの。
ナタリアちゃんは、お洒落なカフェでのんびりしたり、街の公園を散歩したり。その姿は、どこから見ても。休日を満喫している普通の女の子だった。あまりの平和っぷりに、見ているこちらも気が抜けてしまうほどだった。
「兄者。そろそろ帰ろうぜ?」
「そうだな。もう、これくらいでいいだろう」
離れた場所から、双眼鏡で観察していた兄者は。肩をすくめながら答えた。
確かに、ナタリア・ヴィントレスという女の子は。控えめに言っても平凡ではない側面がある。銃の取り扱い、射撃の技術、そして超直感とも呼べる勘の鋭さ。知識だって、会話の節々から相当なものだとはわかっている。
だけど、そうであっても。
こうして、公園で小鳥と戯れている少女を見ていると。どうしても危険な人間だとは思えない。それが彼女の素質であり、魅力なのだろう。きっと、これから多くの人たちが、彼女に触れて救われていくはずだ。未だに、大きな謎は残ったままだけど、今日はこれくらいでいいんじゃないか?
「よし、引き上げよう。兄者、帰りはどうする?」
「そうだな。ピザ屋に寄ってもいいか? 腹へったぜ」
もうじき夕方だ。
尾行中は、いつでも動けるように軽いものしか口にしていなかったので。正直なところ、俺も腹が減ってしょうがない。兄者の提案に乗る形で、学園方向への電車の時間を確認する。
その時だった。
兄者が、わずかに切迫詰まった声を上げた。
「ん? ちょっと待て。あの子、学園とは逆方向に行く駅にいるぞ!?」
「はぁ? もう夕方だぞ。まだ、買い物を続けるのか?」
「だとしても。ここから向かう先は、首都の寂れた地区しかない。そんなところに、いったい何の用だ?」
俺たちの間に、わずかな沈黙が流れる。
だが、判断は早かった。兄者は俺に双眼鏡を投げつけると、近くの公衆電話へと走っていく。
「俺のバイクを持ってくるように手配する。お前は、あの子を見張ってろ」
「あぁ。この時間帯じゃ、さすがに同じ電車には乗れないからな」
それから、彼女が待っていた路面電車が駅に着くのと、兄者のバイクが到着するのは、ほぼ同じタイミングだった。俺は、兄者が運転するバイクの後ろに乗って、彼女を見失わないように路面電車を追いかける。渋滞している自動車の隙間を抜けて、彼女を乗せた電車はどんどん寂れた地区へと向かっていく。
そして、ナタリアちゃんが降りたのは。
もはやスラム街の直前に近い、寂れた住宅街だった。
駅の周辺には、もう誰も住んでいないボロアパートが並んでいるのと、潰れたスーパーマーケットやボーリング場があるだけ。こんなところに、いったい何の用があるんだ?
「……急に、キナ臭くなってきたな」
「……まぁ。普通の女子学生は、こんなところに来ないよな」
兄者が肩をすくめる。
その視線の先には、洋服屋の紙袋を持った少女が何の警戒感もなく歩いていた。どこに向かっているのか。もしかしたら、その先に、彼女の秘密があるのかもしれない。
「……いくぞ、兄者」
「……あぁ。遅れるなよ」
俺たち兄弟が、建物の隙間から身を乗り出して、空き地へと飛び出す。
ここからが仕事の本番だ。
そう、思っていた―
「あら。お呼びでないお客さんね?」
どくんっ、と心臓が鼓動した。
背後から女の声がしたのだ。今、この瞬間。駆けだしている自分たちの、すぐ後ろから。そんな馬鹿な。ありえない。周囲の警戒は怠っていない。近くに人がいたら、気づかないはずがない。それなのに、足音すらなく。……いや、気配すら感じさせることなく。
その女は、そこに立っていた。
「っ!?」
「何者だ?」
俺たちは姿勢を整えて、臨戦態勢に入る。
いくつもの修羅場を潜り抜けてきた経験が、警笛を鳴らしている。
この女は、普通ではないと。
「ふふっ、誰だっていいじゃない? それよりも、あなたたち。私の部下、……いえ、私の可愛い子猫ちゃんを追いかけて、ここまで来たみたいだけど。ちょっと首を突っ込み過ぎたかもね?」
妙に妖艶な話し方だった。
妙齢の美女。外見は、化粧品でも売っていそうなキャリアウーマンだが、その瞳から放たれている気配は。普通のそれとは違う。そして、どうしてだか。異様にサディスティックな雰囲気を醸し出している。まるで魔女だな、と俺は密かに思った。
「このまま大人しく帰るなら、見逃してあげてもいいけど。そうでないなら、……ふふっ。どうしましょうかねぇ?」
夕陽が、女の影を伸ばしている。
黒い、黒い影。
その影の中に、……何か(・・)がいた。獣のような唸り声が、その影の奥から響いてくる。
「……」
ここは引き返す選択肢しかないだろう。
この女は、危険だ。
危険を冒してまで、この先に進むべきではない。会長には、何もなかったと報告すればいいじゃないか。そんなことを思って―
「おいおい、そこまで言われたら引き下がれないよな。なぁ、兄者?」
「おうよ。この際、ナタリア嬢がどこに行ったかなんてどうでもいい。折角の美女の誘いだ。ここで断ったら、男が廃るだろ?」
訂正。俺たち馬鹿でしたーっ!
こんな簡単な挑発に乗ってしまうような、負けず嫌いな兄弟でしたーっ!
喧嘩上等。
据え膳食わぬは男の恥じよ。
ギラギラとした超好戦的な態度。そんな俺たちのことを見て、逆に女のほうが呆気に取られていた。
「まぁ、驚いた。この私を前にして、逃げ出さなかった男は随分と久しぶりよ。……でも、ちゃんと相手をできるかしら? 私のダンスは激しいわよ?」
「「上等だぜっ!」」
そして、俺たち兄弟は。
謎の美女との死闘を繰り広げていった。
「おらっ、食らいやがれ!」
「おいおい! 何で、銃が効かないだよ! 卑怯だろ!」
「うふふ。いいわよ、ウチの子はいつだって空腹だから。全部、食らい尽くしなさい。……って、嘘。あれ?」
ドカ、バキ、ボコ、ドカドカッ。
荒れ地で暴風雨のような戦闘が繰り広げられる。手傷が増えていく一方だったが、俺たち兄弟は笑ったままだった。
「まだまだ行くぜぇ! 『魔力解放』。俺の速さについてこられるかな!?」
「ヒヤッハー。悪いけど、こっちも本気を出すぜ! 俺の『魔眼』を舐めるなよ!」
「ちょっ、あなたたち何者!? 素手だけで、私の子を屈服させるんなんて!? 」
「まだまだ! おらよ、手榴弾を喰らいな!」
「たっぷりと噛み締めろよ!」
「は? 馬鹿じゃないの!? こんな街中で爆弾なんて、あなたたち正気なの!? ……あっ、本当にピンを抜いた―」
ドカドカ、バキバキ、ドスッ、ギャオーン。
……ぴんっ、ドカーン!
寂れた地区の空き地に、汚い花火が咲いて。
騒ぎになる前に、謎の美女は姿をくらましていた。そして、俺たちも我に返ると、慌てて退却することにした。
「それで、どうだったかい。ナタリアちゃんの調査は?」
夜の時計塔。その執務室で、アーサー会長が尋ねる。その表情は、どこか頬を強張らせていた。それは、そうだ。俺たち二人そろって、ボロボロの服装。あちこちに服が焦げていて、いくつもの擦り傷ができていた。
そして、兄者にいたっては―
「次に会ったら、絶対に勝ってやる!」
そう言って、お気に入りのライフルの手入れを始めている始末。それも仕方ないことだ。あれほどの死闘は随分と久しぶりだった。学生時代にあった文化祭の余興。死人使いによる、全校生徒vsゾンビ大乱闘事件を思い出させるほどだ。
あはは、と俺は愛想笑いを浮かべて、敬愛する会長殿に一言だけ報告する。
「何もなかったっすよ。ナタリアちゃんは、普通の女の子です。……深く首を突っ込まなければ、ですけどね」
俺の答えに、会長は疑問符を頭に浮かべながら首を傾げていた。
俺と兄者。
ペペとナポリの黒服兄弟は、今日も会長殿のために任務をまっとうしています。
『Chapter6:END』
〜Natalia's Holiday(ナタリアちゃんと黒服たちの休日)〜
→ to be next Number!
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・次回、ナタリアちゃんによる、スナイパーライフルでの狙撃の話です。(中~長編を予定)