#10. Ah...KILL(私と、彼女の日常のために…)
「(……ちっ、外したか)」
本当はヘッドショットを狙ったんだけどな。
私は、そのまま蛾の群れを振り払うと、瞬時に状況を把握。
悲鳴を上げている悪魔。ヴァイオリンの練習を強要させている女講師と、泣きながら演奏している女子学生。私は呼吸を置く間もなく、女子生徒に向けて地面を蹴り出した。そして、鞭で首を絞めている講師の女を遠慮なく蹴り飛ばす。……私だって、この女に音楽教室から蹴り飛ばされたんだ。これで、おあいこだ。
ドガッ、と壁に激突する女講師。
そのまま気を失ったように地面に崩れ落ちるが、そんなことは無視する。それよりも、解放された女子生徒を優しく抱きとめて、彼女の首に巻き付いた鞭を引きちぎる。かすかに息があることに安堵の溜息が漏れる。かたん、とそれまで演奏していたヴァイオリンが床に落ちた。
演奏が、中断した音楽教室で。
銀髪の少女は長い溜息をはきながら、静かに口を開く。
「……はぁ、まったく。どうして、こんなことになるかなぁ。こっちは普通の学園に通っている、普通の女の子だっていうのに。なんで、次から、次へとトラブルに巻き込まれるわけ?」
女子生徒と優しく床に横たえて、悲鳴を上げている悪魔へと向か合う。
「結局、こうして悪魔を『駆除』する仕事までやらなくちゃいけないなんて。残業代と危険手当は、あんたが払ってくれるのかな?」
呆れて、ため息をつく。
やれやれ、と言わんばかりに肩をすくめる。
だが、その瞳に宿っているのは。戦うという意思を越えた、静寂な感情だった。氷のように冷たく、ナイフのように鋭利な、人間の持つ冷酷な悪意。
……あぁ、殺そう。
……この悪魔を殺すという、私の意志を過去に置き去りにしよう。
「キィ、キィィッ!」
女悪魔は悲鳴を巻き散らしながら、自分の腕を吹き飛ばしたのが誰なのか。ようやく理解したのか、わかりやすく激高した表情を向ける。やれやれ、感情的になった人間は嫌いなんだけど。……あ、人間じゃなかったか。
「きぃーきぃー、うるさいなぁ。この女子学生が目を覚ますじゃないか。寝起きに聞こえてくるのが悪魔の悲鳴だなんて、最悪の目覚まし時計だろ?」
ふっ、と私は冷たく笑う。
「まっ、せめて。お前の断末魔で我慢してもらうかな。……アラームの設定は10分後だ。ちゃんとセットしろよ」
10分もあれば、お釣りがくる。
左手で制服のスカートを捲り、そこに隠してある予備の銃弾を取り出す。弾丸に銀を使った、対悪魔用の純銀弾だ。
そんな私の姿を、悪魔は血走った目で睨んでくる。
だが、私は揺るがない。
もう、意志の決定は過去に置いてきた。今、必要なのは、引き金を引く指先と。こいつをどうやって始末するか考える、鋭利な思考だけだ。
「聞きなさい、悪魔よ。私には嫌いなものが3つある。……ひとつは、感情的になって喚き散らす奴。ここが防音室だからといって、近所迷惑を考えなさい。……ふたつめが、自分勝手な奴。てめぇに才能がないことを認めないで、この貴族街に住むために借金をしてる女講師とか。自分が楽しみたいために、他人の人生を弄ぶような奴とか。しかも、女子学生をおもちゃのようにして遊ぶだと? ますます、そんな奴は嫌いだね」
キィ、キィィッ、と女悪魔は怒りを向けてくる。
それを前にして、なお。私は見下すような視線で対峙する。
「そして、最後に。……私、虫って嫌いなのよねぇ。目の前にいると、踏みつぶしたくなるの」
……あぁ、どうしてだろう?
私の中で、怒りが治まらない。この女悪魔を許してはいけない、という強い感情が溢れてくる。良くないなぁ。無駄な思考は指先を鈍らせる。どうして、私はこの悪魔を許せないのか。わずかばかりの思考を巡らせてみる。
……だが、答えは。
……とても単純だった。
「あぁ、そうね。その通りだ。私としたことが、こんなことに改めて気づかされるなんて。……蛾の女悪魔よ。私はお前たちの存在なんて、本当はどうでもいいんだ。神様でも天使様でも、存在しようがしまいが、私には興味も関心もないことだ。……許せないのは、お前のやったこと」
防音室の床で横たわっている女子学生。
数日間も、食事も寝ることも許されず、ヴァイオリンの演奏を強いられていた。顔色は青く、あのままでは本当に死んでしまっていただろう。
だけど、それだけじゃない。
お前は、この瞬間。
私の最大の禁忌に触れているんだ。
銃を握っている、白くて小さな手。綺麗な銀色の髪には、硝煙の火薬をたゆらせて。目の前の悪魔には命を狙われている。その状況に、……我慢できないんだ。
「お前は、……このナタリア・ヴィントレスの命を狙った。傷つけようとした。それだけは許してはおけない。絶対に許さない。この体は、『私』ひとりのものじゃないんだから」
そうだ。
『彼女』が目覚めるまで。何があっても死ぬわけにはいかない。
私の心の奥で、今も眠り続けている少女の魂。
彼女の意識が戻るまで、何としても生き延びなくてはいけないのだ。そもそも、私が目立つことなく平穏に暮らしたい主な理由のひとつが。『彼女』が目覚めた時に、無事に平穏な生活に戻るためなのだから。
普通に学校に行って、普通に教室で授業を受けて、休日はのんびりと過ごして。そんなささやかな日常に戻ってこられるように。
それまでは、何があっても。『私』の平穏を脅かすものに容赦はしない!
……あぁ、久しぶりだ。
……心と感情が、わずかなブレもなく重なっていく。
神経が研ぎ澄まさせる。鼓動が嫌に大きく聞こえる。悪魔の息遣いも手に取るようにわかる。
こうやって本気を出すのは、いつ以来だろうか。東側の領事館を占拠したテロリストたちをひとりで排除した時か。いや、高校生の時に通っていた魔法学園で起こった、死人使いによる学園祭の余興。学園生徒vsゾンビ大乱闘事件の時かな。いやー、あれは大変だったなぁ。
「私はね、平和主義者なの。争い反対。戦争反対。冷戦というこの時代だって、クソくらえだし。イデオロギーの対立なんてマジで勘弁してほしい。それでも、この私を傷つけようとするなら、……遠慮なく叩き潰してあげる」
カシャ、と『デリンジャー』の弾を込めて。
その銃口を、蛾の女悪魔へと向ける。
「来いよ、汚ねぇ羽虫野郎! そんなに演奏を聞きたいならな。てめぇの悲鳴と銃声で協奏曲を奏でてやるよ!」