#7. TWO Dozen
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ナタリアが飛び出していった時計塔の執務室で、ミーシャが呆れたように口を開く。
「良かったの? あんな金額を出して」
「問題ないよ。今回だけは特別さ。休みの日なのに、学園の制服ばっかり着ていたからね。ちょっとくらい、お小遣いがあってもいいじゃないか。お洒落もしたい年頃だろう?」
ふふっ、とアーサー会長は静かに笑う。
時計塔の『No.』は、悪魔と戦う組織の下部組織である。
その運営や資金運用などは、アーサー会長に任されていて、必要に応じて上の組織にも応援を要請することができる。
とは言っても、ミーシャもカゲトラも。並の悪魔くらいでは遅れを取らないので、戦力の要請などは一度もしたことがない。
「それに、今回は試験運用だよ。ナタリアさんが、どこまでやれるのか。ちょっと知りたくないかい?」
「ぶっつけ本番で? 可哀想じゃない?」
「大丈夫さ。彼女は引き際をちゃんと理解している。危険なことはしないさ。……それに、もしも彼女が。どこかの『組織』と関係があるとしても、彼女自身の人間性は信頼できる。僕の眼に狂いはないよ」
君を見つけた時のようにね。
アーサー会長が爽やかにウインクをすると、ミーシャは慌てて目をそらした。その頬は、わずかに赤く染まっていた。
「それに、信頼できる仲間は多いほうがいい」
「そうね。もう、仲間がいなくなっちゃうのは嫌だからね」
ミーシャは仲間たちのカップが収められている食器棚を見る。そして、その一番奥にある。少し埃が積もったティーカップを見て、……少しだけ寂しそうな目をした。
「突然、いなくなっちゃった『LOST‐No.』か。……あいつは、今。どこにいるのかなぁ」
「さぁ? でも、元気にやっていると思うよ。彼には信念があるからね。どんな状況になっても、絶対に折れない心が」
「ははっ。好きな女を救うために、この国を敵に回すことが信念ですって? 笑えるわね」
「そうかい? 僕も、君のためなら世界すら敵に回せるよ」
アーサー会長が、わりと真面目な顔で言うものだから。ミーシャも聞き流すことができず、耳まで真っ赤になっていた。
「あっ、それで提案なんだけど。この白紙の婚姻届けにサインだけでも書いてくれないかい? そうすれば、あとはこっちで話を進めておく―」
「じょ、冗談はやめなさい! ブッ飛ばすわよ!」
恥ずかしさに耐え切れず、ミーシャは丸めたファッション雑誌を彼に投げつけていた。
それを視界の端で見ていたカゲトラは、脚立の上で胡坐をかきながら、呆れたように小さなため息をついた。
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「ほらよ、こいつが注文していた特殊弾だ」
まだ試作段階だがな。と、銃職人のジョセフは、いささか不満そうな顔をする。
翌日の放課後。
私は再び楽器屋の看板を出している『黒猫亭』に出向いていた。彼に注文してある、悪魔と戦うための銃弾を受け取るために。
悪魔は、普通の弾丸では倒せない。
だが、銀の銃弾ならダメージを与えることができる。
それは、今までの戦いからも証明されていることだ。これまでは、昔から使っていた22口径の『デリンジャー』でなんとか凌いできたけど、今のままでは確実に火力不足だ。そのためにも、新しく手にした消音狙撃銃『ヴィントレス』に、同じ銀の銃弾を使えるようにしないと。
まぁ、本音を言っちゃえば、使わないに越したことはない。
だけど、今日までの時計塔での日々を思い返すと、そんなものは希望的観測よりも更に悪いものだ。あのNo.たちときたら、自分から進んで悪魔たちと戦いにいく戦闘狂ばかりなんだから。普通の女の子である私では、命がいくつあっても足りないぞ。せめて、自分の命くらい自分で守らないと。
私は、銃工房にある作業机にヴァイオリンケースを置いて、その蓋を開ける。そして、中に入っている消音狙撃銃を手に取って、空のマガジンを取り外した。
「弾は、いくつあるの?」
「とりあえず、2ダース分だ。無駄弾は撃つなよ」
ジョセフの忠告を聞きつつ、空のマガジンに銃弾を込めていく。銃弾の先端を、銀の素材に変えてあると言っていたが、弾込めもスムーズで違和感はない。さすがは、自称。この国で一番の銃職人だ。
「試射は、したんでしょうね?」
「当たり前だ。とはいっても、本物の『ヴィントレス』はお前さんの一丁しかないからな。あくまで代用銃で試しただけだ」
まぁ、使用感は実戦で試してくれ。と、ジョセフは気楽に言ってくれる。
「……一応、確認したいんだけど。弾が詰まったり、暴発したりしないよね?」
「かかっ、俺を誰だと思ってやがる。もし、暴発したり、敵に当たらなかったら。それは使っている奴が下手くそなだけだ」
俺は仕事で下手を打たねぇ。
ジョセフは自信満々に答える。その自信を真に受けていいのか、少し困りものだけど。現状、これ以外に頼れるものがないので、不安は残るけど使うしかないだろう。
「2ダースってことは、マガジンで二本分くらいってこと?」
「何だ、心配なのか? 24発もあれば、たいていはケリがつくと思うんだが。……お前さん、いったい何と戦争するつもりなんだ?」
ジョセフは煙草を灰皿に押し付けては、呆れたように言った。
悪魔と戦うかもしれない。そんなことを説明しても無駄だと思うので、とりあえず曖昧に答えておくことにする。
「……うん」
純銀弾を装填したマガジンを、『ヴィントレス』本体に装着。左手を銃身に、右手をグリップに。ウッドストックを小脇で支えながら、狙撃スコープを覗き込む。
無言のまま、初弾を薬室に装填。
カコンッ、と銃弾がマガジンから移動する。引き金に指を添えて、左右へと機敏に狙いを定める。今度は、銃を斜めに傾けてスコープ越しではなく、肉眼での使用感を確認。そのまま流れるような動作でマガジンを外して、薬室を解放。チャンバー内に入っていた初弾を放出させると、くるくると回転する銃弾を空中で掴みとる。
一切の迷いもない。熟練の暗殺者を彷彿とさせる卓越した銃の扱い。まずいな、どうにも昔の血が騒いでいる気がしてならない。
「……悪くないわね」
「だろ?」
ジョセフの表情に揺るぎはない。
かかっ、と愉快そうに自分の仕事に満足している様子だった。私は銃弾の入っているマガジンを、再び『ヴィントレス』に装着。予備のマガジンと銃弾も、ヴァイオリンケースの中に収納してから、ぱたんっと頑丈な蓋を閉じた。
「とりあえず、ありがとう。また、よろしくね」
「おうよ。請求は、あの『S』女に回しておくからな」
お礼を言ってから、私は銃が隠されたヴァイオリンケースを両手に持つ。
放課後の女子学生。
ヴァイオリンを持って音楽教室に向かう姿から。誰がその中に、最新式の完全消音狙撃銃が入っていると想像できるだろうか。満員の路面電車で短いスカートを揺らして、憂いと憐憫を秘めた瞳の彼女は、間違いなく。
常識の外に踏み出している存在に、他ならなかった―