#6. Big Smile ! (おかねのために!)
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「ナタリアさん、おめでとう。君に初めての、単独のお仕事だよ」
放課後の時計塔で。
いつものように執務デスクに座ったアーサー会長が、にこにこと笑っている。
私は自分用のマグカップに入れた紅茶を一気に飲み干すと、アーサー会長に向かって礼儀正しく頭を下げた。
「今までお世話になりました。私は故郷に帰らせてもらいます。それでは!」
「いやいや。そんなわかりやすく逃げ出さなくても」
私の渾身の決断にも、アーサー会長の態度は変わらない。黒服の二人を両脇に立たせてながら、ゆったりと笑みを浮かべている。
「会長こそ、自分が何を言っているのかわかっているんですか? 何の特別な力のない私に、ひとりで悪魔と戦ってこいと!?」
馬鹿なの? 死ぬの?
「私は、ミーシャ先輩やカゲトラと違って、人間を辞めている化け物ではないんですよ!? 無理に決まっています!」
「……本人を目の前にして、化け物とは。良い度胸じゃない、ナタリアちゃん?」
ガラスのテーブルを挟んで座っていたミーシャ先輩が、額に青筋を立てている。カゲトラはというと、いつものように脚立の上で胡坐をかいて、本棚の難しそうな本を読んでいた。
「大丈夫だよ、ナタリアさん。今回は悪魔と遭遇するようなことはないから。ただの学生からの相談事だよ。……たぶん」
最後の、たぶん、を小声で誤魔化しながら、アーサー会長はいつものように爽やかな声で言った。
「この学園は、部活動が盛んなのは知っているよね。だから、学内の部活だけじゃなくて、学園外のクラブにも参加している生徒も多い。今回、僕たちに相談してきたのは、そんな熱心に部活をしている女子学生からだ」
アーサー会長はティーカップを傾けて、少し間を取る。
この時計塔にいるNo.のメンバーは、それぞれ自分のティーカップやコーヒーカップを持参して、食器棚に仕舞っている。メンバーの中で、なんでもマグカップで済まそうとしている面倒くさがりは、今のところ私だけだ。
「先日のことだ。オーケストラ部である彼女は、友人と共に貴族街にある音楽教室に通い始めたらしい。だが、それを切っ掛けに、その友人は人が変わってしまった。自分の演奏のことしか、考えられなくなってしまったんだ」
授業中も、昼休みも。演奏のこと以外は目に入らないみたいで、食事もまともにとっていないらしい。
そんな彼女のことを考えると、僕はとても心が痛むよ。と、アーサー会長は続ける。会長は同情しているつもりなのだろうが、私は騙されないぞ。
このアーサー会長は、王子様のような外見とは裏腹に、腹の中がイカスミように真黒だ。間違っても、ただの学生相談を受けるなどはない。
そもそも、この人に。
人間の心があることを期待してはいけない。私のことを、逃げ出したら地獄の果てまで追いかけていって連れ戻す、とまで脅迫してくるような男なんだぞ。
「ん? 何か言いたいことがあるのかい?」
「いいえ。アーサー会長はいつも平常運転だなって、そう思っただけですよ」
きらきらと黒い星を輝かせながら、アーサー会長は話を続ける。
「ナタリアさん。君に頼みたいお仕事は、この依頼人の生徒の話を聞いて、問題の音楽教室の様子を見てくることだ。何も問題がなければ、そのまま帰ってきていいよ」
その代わり、と彼は続ける。
「何か問題があった場合は、可能な限りの情報を集めてくるように。でも、絶対に無茶はダメだよ。戦闘なんてもってのほかだ。その後のことは、僕たち『人間を辞めてしまった化け物』とやらが対処するからね」
アーサー会長は微笑みながら言った。
ただし、その目はまったく笑っていない。……あれ? 意外に根に持ってる? あはは、と適当に笑いながら、私は別の話題を探す。
「そ、そういえば、どうして私なんですか? これくらいのお仕事なら、別に『No.』が出ていかなくても」
「え? そりゃ、ナタリアさんが適任だと思ったからじゃないか」
意外というようにアーサー会長が口を開く。
「だって、ナタリアさん。最近になってヴァイオリンを習い始めたんだろう? いつもヴァイオリンケースを持ち歩いているしね」
「うっ!?」
ぎくっ、と私は背筋が凍り付く。
そうか、そういうことか。どうして『S』主任がヴァイオリン教室なんてものに行かせたのかわからなかったけど、このヴァイオリンケースを持ち歩いても違和感をなくすためだったのか。
「え、えーと。このヴァイオリンは、その趣味で」
「趣味なら、なおさら問題ないよね」
「間違えました。これは借り物なんです。お友達に返すまで一時的に預かっているだけです」
「へぇー。ナタリアさんって、友達がいたんだね。知らなかったよ」
にこっ、とアーサー会長は屈託のない笑みを浮かべる。
ブッ飛ばすぞ、この腹黒王子が! その眉間に風穴を開けたい気持ちになるのを、ぐっと堪えて、スカートの裾を握りしめる。
そんなピリピリした空気を収めたのは。意外なことに、アーサー会長の両脇にいる黒服の二人だった。
「会長、今のは言い過ぎですぜ」
「相手は女の子なんだ。もっと丁寧に扱うべきだな」
両脇の黒服たちに注意されて、アーサー会長も素直に肩をすくめる。
この黒服たち、意外にも常識人である。
アーサー会長の代わりに雑務をこなしていたり、他のメンバーがいないときなんか話し相手になってくれる。年齢は、20台中頃だろうか。精神的には心の距離が近い分、なんとなく話しやすい。
「そうだね。ごめん、謝るよ。ナタリアさんをからかっていると、ついつい調子にのってしまうな」
アーサー会長はわずかに頭を下げると、執務デスクのメモ用紙に何やら数字を記入していく。
「これは、お詫びってわけじゃないけど。今回のお仕事の報酬額だ。少し色をつけておいたから、是非とも、このお仕事を受けてほしいな」
「……そんなこと言っても、私はやりませ、ん、――っ??」
そう言いつつも、私は。アーサー会長から手渡された金額に目に向ける。
……。
……、……え?
「これって、金額間違えていませんか?」
「いや、間違っていないよ」
にこり、とアーサー会長が愉快そうに笑う。
いや、だって。これ。
前回のお小遣いと比べて、ケタがひとつ違うんですけど?
「君が快く引き受けてくれるなら、きっちり満額を支給するよ。でも、もし不足だというなら―」
「やりますっ! 是非、やらせてください!!」
きゃぴっ、と私は反射的に立ち上がっていた。
これだけの金額があるなら。今度こそ、支給された糞ダサいジャージを全て捨てられる! それだけじゃない。お洒落で可愛い洋服だって、いろいろ買い揃えられるかも。休日だというのに、毎日、毎日、学園の制服で外出していた日々から、とうとう解放されるなんて。
あぁ、生きててよかった!!
「困っている人がいるなら、手を貸すのは当然ですもんね! 私、ボランティアとか大好きなんです! それで、会長に相談しにきた女子生徒はどこにいるんですか!?」
「あー、えっと。今頃、学生食堂にいるんじゃないかな? 君が行くことも伝えてあるし」
「了解です! それでは、ナタリア・ヴィントレス。困っている人のために頑張ってきます!」
ぺこっ、と右手で敬礼をして。
ヴァイオリンケースを持って、時計塔の執務室から飛び出していく。……と、その前に。
「あ、ミーシャ先輩。週末、買い物に付き合ってくれませんか。大丈夫、お昼ごはんくらい奢りますから!」
予定を開けておいてくださいねー、と捨て台詞を吐いて、私は時計塔の階段を一段飛ばしで駆け下りていった。全ては、そう。困っている人のために!