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『裏切者のLOST‐No.(ロスト・ナンバーズ)』 ~ナタリア・ヴィントレスは、今日も逃げ出したい~  作者: てばさきつよし
Chapter5:~Ms. Vintorez(ナタリア・ヴィントレスは今日も逃げ出したい)~
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#2. Joseph(ジョセフ爺)


――◇――◇――◇――◇――◇――◇―― 


 ……クソ下手ね。センスも感じないわ。そもそも心が美しくないのよ。もう二度と、この教室に来ないでちょうだい。


 ばたん、と乱暴に閉められたヴァイオリン教室の扉を前にして。

 私は、怒りに震えていた。


 この国は、大きく3つの区画に分けらていれる。

 学園や住居が並ぶ平民街。治安が最悪の貧困街スラム。そして、裕福な貴族たちが住む貴族街だ。この貴族街だけは、警官が熱心にパトロールをしていて治安はとても良い。


 そんな貴族街にある、ヴァイオリン教室。

 初心者大歓迎の看板に、初めての方でも問題ないという宣伝文句。私は『S』主任の指示通り、他の生徒たちに混じって、このヴァイオリン教室の三日間の体験入室に参加していた。


 そして、開始30分で。

 ……この教室から追い出されていた。


「全然ダメね。あなたの魂は汚れているわ。人間としてなっていないの、わかる? そのヴァイオリンは、あなたみたいな貧乏人が手にしていいものじゃないのよ。これだから貧乏人は嫌いなのよ。身の程知らずが。ここは普通の学生が来てもいい場所ではないの。超エリートだけが住むことを許された場所なのよ。あー、汚らわしい。どうして、あなたみたいな庶民がいるの。あなたみたいな人間のせいで、この貴族街の品位が下がるのよ。さっさと消えてちょうだい」


 表にあるファンシーなキャラクターの看板とは違い、講師のおばさんは神経質そうな険悪な表情を浮かべている。え、詐欺じゃね? 

 だけど、そんなことを考える余裕もなく。

 どかんっ、と文字通り玄関から蹴りだされていた。私は清掃の行き届いた貴族街の道を、紙くずのように転がっていく。


 ……。

 ……、……。

 ……あんのぉ、ババァ! 好き勝手に言いやがって! 

 お前、金を持っている人間だけを相手にしたいだけだろうが! くそっ、バカにするな。私だって、スパイ養成学校にいた時は、ここの家賃なんて簡単に吹き飛びそうなくらいの価格の銃をバンバン撃ってたんだからな。弾代まで入れたら、こっちのほうが高くつくんだそ!


「ぐすん、泣いてないもん!」


 しばらくの間、両手と両足をじたばたと子供のように暴れさせていたけど、ほどなくして虚しくなってきたので、トボトボと帰路につく。……くそ、覚えてろよ。お前のポストには家賃未滞納の通知でいっぱいになっていることは知っているんだからな。ポストからあふれ出す前に、絶対に仕返しに来るからな。


 首都の街を走っている路面電車に乗って、我が愛しき学園方面へと目指す。

 あぁ、時計塔でおいしい紅茶が飲みたい。今なら、アーサー会長とも楽しくおしゃべりできそうな気さえする。……いや、それだけは無理だな。


「(……本当は、このまま真っすぐ学園に帰りたいんだけど)」


 私は、いつもは降りない駅で路面電車を乗り換える。

 住宅街の隙間を路面電車が走っていく。ここまでくれば景色が一気に変わる。子供たちの笑い声や、遠くから聞こえてくる渋滞のクラクション音が、私の傷心を宥めてくれた。


 上司の『S』主任の指示は、ふたつあった。


 ひとつは、あのヴァイオリン教室で体験入室すること。どうして、『S』主任がヴァイオリン教室に行くように指示したのかはわからないけど、ここまでやったんだから任務の義理は果たしたようなものだ。ここからは気持ちを切り替えて、もうひとつの指示に集中しよう。


 その内容は、とある場所から『楽器』を入手すること。


 楽器を手に入れるって、どういう意味だろう? 

 またもや、私は首を傾げながら。それでも主任から渡されたメモを頼りに、路面電車から降りて、見知らぬ街を歩いていく。雰囲気は、平民街とスラムの中間といった感じ。表の道は整備されていて電車も通っているけど、裏道に一歩でも入ったら、どこまでも薄暗い。なんだか、とても胡散臭い場所に連れていかれている気がする。


 不意に、『S』主任の邪悪な笑みを思い出してしまう


 これは、きっとロクなことがないに違いない。

 私は気を引き締め直して、スクールバックを握り直す。短く揺れるスカートの中には、『デリンジャー』も隠してあるし。何も問題ないはず! たぶん!


「……え? このお店?」


 目的地についた私は、上司から手渡された地図を何度も確認してしまう。

 私の目の前にあったのは、寂れた『楽器屋』だった。

 立札もショーウィンドウない。塗装の剥がれたレンガ造りの壁に、カーテンの閉まった窓。唯一、店の看板らしきものもあるが。黒猫が何かにじゃれついていて、その上に店の名前らしきものが彫られている。看板には『黒猫亭』と書かれていた。


「(……この猫がじゃれついているのって、楽器じゃないよね?)」


 私は気分が落ち込むのを感じながら、ドア叩きを鳴らして店の扉を開いた。


「こ、こんにちはー」


 恐る恐る、店の中に入っていく。

 店内は薄暗かった。だが、清潔感がないわけではなく。むしろ、落ち着いている雰囲気だった。掃除は行き届いていて、間接照明がお洒落な空間を演出している。店内に並べられた楽器は、どれも新品のように輝いていた。きっと、あえて日の光をいれていないのだろう。小窓に掛けられているカーテンも、しっかりと遮光素材のものだった。


「(……あ、この曲。知ってる)」


 店の奥のレコードプレイヤーから、聞き覚えのあるJAZZが聞こえてくる。

 いわゆる名盤というものではなく、知る人ぞ知る名曲というやつだ。どこで聞いたんだっけ? 私は興味津々に両手を後ろに回したまま、レコードプレイヤーを覗き込む。


「……1891年。マル・ウィルドロンが発表した『What it Is』。その代表的な曲といえば?」


 ひゅっい、と私は飛び上がった。

 誰もいないはずの場所から声がしたからだ。私は背筋に冷たいものを感じながら、ゆっくりと振り返る。……うぅ、やめてよ。私、幽霊とか苦手なんだから。


「……」


 そこにいたのは、小柄な老人だった。

 目が悪いのか、分厚い眼鏡をかけている。顔には皺と染みが深く刻まれているが、その手は職人の手を思わせるようにしなやかだった。指先と爪の間に、何か黒いものが挟まっている。どこかで見たことあるような。


 そんな老人が、お店のカウンターで新聞を広げながらコーヒーを飲んでいる。

 もしかしたら、……いや、きっと。最初からそこにいたに違いない。あまりにも店内の雰囲気に溶け込んでいたから、まったく気がつかなかった。


「え、えっと、なんでしょうか?」


 老人の問いかけを聞きそびれてしまった私は、彼が何を言ったのか聞き返す。すると、老人はつまらなさそうにため息をつくと、冷めているコーヒーに手を伸ばす。


「……クリフ・ジョーダンは知っているな?」


「あ、はい。確か、有名なサックス演奏者ですよね?」


 よく街中や夜の酒場で流れてるJAZZ。彼は有名な演奏家で、レコードもたくさん出している、ような気がする。たぶん。


「……まぁ、いいだろう。合格だ。すまんが手を貸してくれ。目が悪くてな」


 偉そうに答える老人は、ゆっくりと私のほうに手を伸ばす。

 その手を左手で掴んで、イスから立たせると。カウンターの段差を乗り越える手伝いをする。私の手に、黒い粉末と、拭ききれていない油がついた。これは、……ガンオイルか?


「ん? お前さん。もしかして、お嬢ちゃんだったりするのかい?」


「は?」


 私が首を傾げる。

 老人は私の手を離すと、眼鏡の奥に目を細めてこちらを見る。よく見ると、この眼鏡。少しだけ遮光の曇りガラスが入っている。もしかしたら、生まれつき目が悪いのかもしれない。


「えっと、私はどこにでもいる普通の女子学生ですよ?」


「む? ……ふむ」


 楽器屋の亭主は何か納得いかない様子で首を捻るも、それ以上は追及してこなかった。


「まぁ、いいか。人を見る目はあると思っていたんだが、どうやら俺の眼も曇り始めたらしいな。最初、お前さんのことを()の客のように見えてしまってな」


 ぎくり、と私の心は動揺する。


「警戒を怠らない歩き方、店内の観察方法。常に退路を意識することが身に染みついているとくれば、ただの一般人じゃねぇ。公式には認められていない組織の人間か。または、どこかの国の諜報員か」


 ぎくぎくっ、と冷や汗がだらだらと垂れていく。

 これは、もう全力で惚けるしかない。私は視線を泳がせながら、ひゅーひゅーと吹けもしない口笛を吹く。


「まぁ、嬢ちゃんみたいな年頃の娘が、そんな物騒な連中ってわけでもあるめぇか。俺のことすら気がつかなったくらいだしな」


 がはは、と笑われてしまう。

 内心、納得できないと怒りたくなるが、事実なので反論のしようがない。


「悪いな、笑っちまって。俺の名前はジョセフ。この『黒猫亭』の店長マスターだ」


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