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#1. 1956 - COLD WAR(1956年、冷戦時代)

挿絵(By みてみん)


――◇――◇――◇――◇――◇――◇―― 

 

 世界歴1956年。


 大きな戦争が終わって、世界は東西冷戦の時代を迎えていた。

 どんな些細な出来事が戦争の火種になるかわからない。そんなピリピリとした国際情勢の中で、私は東側陣営のスパイとして活動していた。


 私の生まれた国は、東側の超大国である連邦の、すぐそばにある小国で。ありていに言ってしまえば、連邦のパシリみたいな扱いをされることが日常茶飯事だった。


 我が同志に栄光あれ。

 偉大な指導者に賛辞あれ。

 そんな心にもないスローガンを掲げ、私は今日も任務につく。


 そこにあるのは、西側諸国にある自由とは、ほど遠い考え方だった。その自由のなさを例えるなら「偉大な指導者のアゴ髭はダサい」と口を滑らしてしまったら、次の週末には極寒のシベリア地方で強制労働が待っている、といえば理解してもらえるだろう。


 三か月前から潜伏していた、西側陣営の先進国。

 その首都、ノイシュタン=ベルグ。

 別名、花の都とも呼ばれ、歴史と平和が調和されている美しい街だ。私も、こんな国に生まれたかったものだ。


 この街には『JAZZ』が似合う。


 穏やかなピアノとトランペットが、美しい町並みに華を添えている。

 そんな窓からの風景から目を離すと、シャワーを浴びて、支度を整える。仕事用のコートに、袖を通して鏡の前に立てば。そこには平凡を絵に描いたような冴えない男が立っていた。


 目立たず、注目を引かない。

 だからこそ、こんな任務を任されたのだろう。そうであっても、敵陣営での仮初めの平和とはいえ、ここでの生活は居心地の良いものだった。


 ……残念だ。

 今日の任務が終われば、私はこの街を去らなくてはいけない。


「あら、こんばんは」


「こんばんは、大家さん」


 私は人当たり良い表情を浮かべて、仮住まいのアパートを出る。

 平日でも超満員の路面電車に乗って、目的の喫茶店を目指す。途中、何か不審なものはないか。さりげなく辺りを観察することも怠らない。自分の正体がバレれば、それこそ致命的だ。


「(……不審な人物は見当たらない。不審物もなし)」


 売店で買った新聞を手に、喫茶店へと入っていく。店内には、穏やかなJAZZのレコードが流れていた。


「いらっしゃい。何にしますか?」


「じゃあ、コーヒーをひとつ」


 私は店員に注文をしながら、さり気なく任務に最適な席につく。

 出入り口に最も近く、かつ店内全体を見渡せる場所。取引の現場は、この喫茶店で行われると聞いてから、何度か下見にも来た。非常口も確認済み。準備は怠らない。


「どうぞ」


「ありがとう」


「こんな夕方からコーヒーなんて。家に帰らなくてもいいの?」


「いやー、女房に浮気がバレて家に帰れないんだよ。いい言い訳が思いつくまで、ここでコーヒーでも飲んでいようかなってね」


「あはは、それは大変ね」


 ウェイトレスが嬉しそうに笑う。


 ……嘘である。


 所帯を持ったことがなければ、帰るべき家もない。仕事柄、嘘をつくことには慣れているが、どうにも後味が悪くて嫌だ。


 コートを脱いで、イスに掛ける。

 そのポケットには、護身用の銃が入っていた。任務の性質上、発砲は推奨されていないが、いざとなったらこの銃で自分を守らなくてはいけない。


 だが、店内でコートを着たままでは不自然だ。

 この時代、コートを着たまま喫茶店にいる人間など、マフィアの下っ端か、二流のスパイくらいだろう。自分から目立つようなことはしない。


「それじゃ、素敵な週末を迎えられるように。はい、これをあげるわ」


「これは?」


 ウェイトレスから差し出されたものを見て、私は首を傾げる。

 どう見ても、ただの銀貨のコインにしか見えなかった。


「お守り代わりよ。知ってる? 銀には『悪魔』を寄せ付けない力があるんだって」


 ふーん、と頷きながら、その銀貨を受け取る。

 こんなもので悪いものが寄り付かないなら、安いものだ。


 悪魔なんて、この世にはいない。


 そんなことわかりきっていても、こうして他人に親切にできる人間は嫌いではない。私は軽く礼を言ってから、持ち込んでいた新聞を広げる。そして、店内の観察を始めた。


「(……対象の政府要人は、まだ来ていない。店内にいるのは私を含めて三人。私と、喫茶店のマスターと、さっきの店員だけ。……いや、違うな)」


 コーヒーカップを傾けながら、店内の隅の席へと視線を走らせる。


 ……そこにいたのは、学校の制服を着た少女だった。


 透き通るような美しい銀髪。

 そして、憐憫を誘う瞳。この世の不幸を全て背負っているかのような、哀しい目だった。整った顔立ちは、美少女と呼んでも差し支えない。

 あの制服は、首都の高等学校のものか。

 年頃は16くらい。まだ、どこか幼さを残している少女だが、もう少し年を重ねれば、誰もが振り向く絶世の美女に―


「(……おっと、ダメだ。任務に集中しないと)」


 私は慌てて少女から目を離すと、意識を仕事へと向ける。もうすぐ、対象の政府要人が来るはずだ。


 目的の人物は、すぐに来た。

 いつもはボディーガードをつけているはずの政府の要人が、ひとりで店内に入ってくる。キョロキョロと辺りを見渡しながら、震える声でコーヒーを注文すると、誰からも離れた席に座る。その手には、大事そうに抱えられたアタッシュケースがあった。


 私の仕事は、あのアタッシュケースから重要書類を奪うことだ。彼が、どこの国の組織と取引をしているのか知らないが、他国に行き渡る前に奪ってしまえ。まるで財布泥棒みたいな仕事。それが、私に与えられた任務であり―


 私が、この任務に選ばれた理由でもある。


「(……さて、やるか)」


 読んでいた新聞をカウンターに置いて、自然な素振りで立つ。コートを脇に抱えながら、ウェイトレスにトイレの場所を聞く。


 私には、特技があった。


 いや、人に言わせれば才能らしい。上司に言わせれば人間を道具にする技術と揶揄され。この国ではありていに、……『魔法』と呼ばれた。



脚注

・東西冷戦の時代:良識のある大人は、拳ではなく、口で喧嘩をすること。静かに睨みあって、お互いを牽制しながら、水面下の工作を頑張りましょう。(自己理論に酔って、他の国に殴り込みにいくなんてもってのほか)



※ほぼ毎日、18:00に更新していきます。

※感想や誤字脱字の報告など大歓迎です! こんな銃を使ってほしい、などの意見も募集中!


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