♯1.one touch, two touch…(一度あることは、二度も…)
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下心は、なかった。
首都、ノイシュタン=ベルグを走る路面電車は、今日も満員だ。特に、朝の出勤時間と通学時間が重なる時は、乗車率など120%を軽く越えてくる。座席など、もはや何の役にも立たず。これでもか、というほどの人間を詰め込んで、伝統と近代化が共存する首都の街を走行していく。
それでも、夕方の時間になれば少しだけ余裕ができる。
立っていても、吊革に手が届くくらいだし、運が良ければ座席に座ることもできる。仕事帰りの疲れた身としては、とてもありがたい。
そんな時だった。
その少女を見かけたのは。
「(……可愛い子だなぁ)」
まず、目を引いたのが綺麗な銀髪だった。肩にかかるくらいに整えられたボブカットが、彼女の清純さを醸し出している。身長も小柄で、体のラインも華奢だ。それでも、少女らしい膨らみは十分に魅力的だった。最近、ますます太ってきた男の妻に比べると、雲泥の差とも呼べる可憐さが、その少女にはあった。
「(……あの学生服は、ノイシュタン学院のものかな)」
この首都における、ごく平凡的な高等学校だ。
特別、進学校というわけでもなければ、就職に力を入れている専門学校でもない。それでも多くの人気を集めているのは、その制服の可愛さにあるのだろう。
明るめな紺色を基調としたブレザーの制服。
白いブラウスの襟もとには、大きなリボンをあしらっており可愛らしさを演出している。長すぎも短すぎもしない制服のスカートは、綺麗にプリーツの折り目がついていて、裾の部分には華美にならない程度のフリルまでつけられている。
まさに、少女たちを守る鎧に他ならないが、夏服ともなれば、白のブラウス越しに下着が透けてしまうことも少なくない。
「(……今日は、お得意様の挨拶回りをしないといけないから、出口の近くにいたほうがいいな)」
スーツ姿の男は、特に深い考えを持っているわけでもなく、すぐに降りられるように扉の近くに立つ。自然と、その少女の背後に立つ形となった。
少女の襟元から、甘い香りがしてきた。
「(……それにしても、本当に可愛い子だ)」
男は、自分の視線が気取られないようにしながら、ちらちらと少女のことを見下ろす。
柔らかそうな頬。ぷっくりと膨らんだ唇。身長は150㎝くらいだろうか。どこか哀しげな表情も、まだ少し幼さを残す顔立ちも、今までに見たことのないほどの美少女だった。
その髪を耳にかけ分ける仕草が、なんと愛おしいことか。
可憐と通り越して、妖艶とすら思えてくる。発育途中の少女という独特の色気があった。まるで、男を誘っているみたいに。
「(……はぁ、はぁ)」
男は、ようやく。自分の体がおかしいことに気がつく。どうして自分は少女の背後に立ったのだろう。どうして自分は彼女から目が離せないのだろう。どうして自分は―
まるで、悪魔に囁かれている気分だ。でも、この劣情からは抗いたくて。男は電車の揺れを利用して、少女との距離を詰める。その視線は、可愛らしい襟首と、左右に揺れる制服のスカートに注がれていた。男の手のひらは、じんわりと汗で湿っている。
そしてー
「ねぇ、聞いた? 路面電車の話?」
「聞いた聞いた。なんか、痴漢が出たらしいわね」
「そうそう。なんでも、そのサラリーマン。女の子に触った瞬間に、電車の窓から投げ飛ばされちゃったんだって」
「やだー、なにそれー」
「怖いわねー。私たちも気をつけないと」
そうやって楽しそうに喋る主婦たちの横を。
制服姿の銀髪の少女が、大股で歩いていく。恥ずかしい思いでもしたのか、ちょっとだけ頬は赤く。それでいて憤慨するように肩をいからせていた。
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その日も、夕方になれば路面電車に乗車する客は落ち着いていた。
一番、後ろの席には太った男が不機嫌そうに足を揺らしていた。男の名前は、ハーゲン・ヴィ・ドラクロワ。つい最近まで教職の仕事をしていたが、自ら招いた不祥事でクビになっていた。今では、こうやって満員電車に乗って、知り合いのコネで再入職した教科書の出版社に勤めている。それまでの生活とは一変した環境に、強いストレスを感じていた。
「(……くそっ。なんで俺がこんなことを)」
今日の仕事のミスを思い返すと、イライラが止まらない。
確かに、発注ミスをしたのは自分だ。だが、確認をした人間だって悪いはずだ。それなのに、俺ばっかり怒鳴りやがって、と何度も何度も同じ思考をループさせている。
そんな時だ。
乗車口から乗り込んできた、その少女を見たのは。
「(……ほほぅ、なかなか良い女だな)」
さらさらの銀髪に、どこかあどけない雰囲気。
華奢な体つきも、清楚な制服姿も、男の好みにピッタリだった。
「(……むふふ。いい獲物だ。今日は、こいつでストレスを発散させてもらおう。こういう儚げな女は、怖くても助けを呼べないからな)」
男は太った体を起こすと、乗車口に向けて乗客たちをかき分けていく。迷惑そうな目を向けられても、いっこうに気にならない。それよりも、その少女から目を離したくないという気持ちが強かった。
やがて、その銀髪の少女の背後に立ち。純粋無垢な雰囲気を持つ彼女へと、その劣情を押し付けようとする。
そして―
「ねぇ、聞いた? 路面電車の話?」
「聞いた聞いた。なんか、また痴漢が出たらしいね」
「そうよ。なんでも、豚のように太った男だったらしいんだけど。なんか女の子に抱き着いた瞬間、電車の扉を突き破って、外まで蹴り飛ばされちゃったんだって」
「やだー、なにそれー」
「怖いわねぇ。私たちも気をつけないと」
仕事帰りのOLたちが話している横を。
銀髪の少女が、大股で歩いていく。とても恥ずかしい思いでもしたのか、スカートの上からお尻を押さえて、頬は真っ赤に染まっていた……
今回は、超短編です。
次話で完結します(笑)