#8. Les Anges dans nos Campagnes(悪魔を焼く十字架)
「こっちの部屋は、意外に綺麗ですね」
写真館の奥は、撮影ためのスタジオになっていた。
ダークグレーの色調に、モノトーンの床のタイル。広さは、私の寮の部屋と同じくらい。部屋の隅には、様々な撮影器具が置かれているが、やはり埃が積もったものが目立つ。
唯一、撮影用のカメラは部屋の中心に鎮座していた。ちゃんと手入れされているのか、このカメラだけは埃ひとつもない。
「壁に飾られている写真は、ここに撮りに来た学生たちですかね?」
「そうね。こうして見ると、そこそこの人数がこの店に来てたみたい」
私は、ミーシャ先輩の声を聞きながら、壁に飾られた写真を見ていく。仲睦まじいカップル。大学受験を控えた真面目そうな受験生。工業系の高校に行っているのか、作業服を来た男子学生たちの集合写真もある。
そのどれも、未来に希望を抱いて。
幸せそうに笑っていた。
「別に、変なところとかなさそうですけど―」
ふと、制服姿の女の子の写真に触れてみる。他の写真と同じように楽しそうに笑っている、が―。その時だった。
写真の中の少女が、一瞬。
……泣いているように見えた。
「わっ?!」
私は慌てて、その写真をまじまじと見直す。
だが、特別な変化などはなく。写真の向こうの少女は、空虚な笑みを浮かべているだけだった。
「(……なんだ。気のせいだったのかな)」
こんな写真ばっかりの部屋にいて、少し気をやられてしまったのかもしれない。
そもそも、私は美術館や芸術館に行くと、気分が悪くなってしまうタチだ。上司の『S』主任からは感受性が強すぎる、とよく笑われていた。それは女の子になっても変わらないみたいで、むしろ、もっと敏感になっている可能性すらある。
「ミーシャ先輩。ここには手掛かりとかなさそうですし、もう帰りませんか?」
これ以上、私が気持ち悪くなる前に。という本心を隠しながら、背後のミーシャ先輩に声をかける。だが、彼女は。壁に背をもたれて腕を組んだまま、じっと一点だけを見つめている。
……この部屋の真ん中にある、撮影用のカメラだ。
「ナタリアちゃん。写真とか、カメラとか詳しい?」
「え? いや、全然ですけど」
昔のスパイの任務で、写真を撮られたカメラを壊したり、証拠隠滅のためのフィルムのネガを感光させたり。そういうことはやってきたけど、撮影するほうとなると、まるで知識がない。
「でも、このカメラが年代ものだってことはわかります」
「そうね。他の撮影器具は放置しっぱなしで、この年代物のカメラだけが使われているようだし。しかも、このカメラだけが埃もついていない。……なんか怪しくない?」
「そうですか? この店にいるのは、あの中年太りしたハゲオヤジですよ。そんなに道具に大切にするようには見えませんけどねぇ」
「……ナタリアちゃんって、たまに毒舌になるよね」
うん? と首を傾げる私に、ミーシャ先輩はやれやれと首を振った。
そして、彼女は静かに息を整える。
瞬間。
この部屋の空気が変わった。
「さっき、ナタリアちゃんも聞いてたよね。……私の魔法が、どんなものなのか知りたいって」
軽く息を止めて、意識を集中させている。
びりびりとした緊張感が、空気を伝って肌で感じる。
「それじゃ、見せてあげるわよ。私の、とっておきの下らない魔法を」
ミーシャ先輩の足元が、輝き始める。
淡い光で描かれていくのは、円形の幾何学模様。これは魔法陣だ。魔法を持つ者が、その力を行使する際、魔力の残滓が形となるものといわれている。
前にもあったが、この国では魔法は珍しくない。過去の戦争では、己の魔法を銃弾に込めて戦う魔術兵士が活躍したと聞くけど、その時は銃口の先に魔法陣を展開されていたらしい。
ミーシャ先輩の足元に展開された、輝く魔法陣。
それに向かって、彼女の右手を下に向ける。親指と人差し指以外を折りたたんで、まるで銃のカタチをしたそれに、そっと左手をそえる。
その時のミーシャ先輩は。
にかっ、と不敵な笑みを満開にさせていた。
……つまり、これから。
……悪魔狩りが始まる。
「祖に潜むは、原罰の穢れよ。我は神に代わり罪を裁く聖典なり。汝、己の罪を数えるがいい。……『断罪聖典』・第17節ッ! 『悪魔を焼く十字架( Les Anges dans nos Campagnes)』ッ!!」
ミーシャ先輩の指先から放たれた魔法の銃弾が、足元の魔法陣へと吸い込まれていく。
そして、魔法陣の淡い輝きが、この部屋全体を照らした、その瞬間。床から突き出した光輝く十字架が、部屋の中央に置かれた古いカメラを突き刺していた。
それと同時に―
「ギャアアァァ! か、体が、体が焼けるぅ!!」
カメラの中から、小柄な老人が飛び出してきた。
尖った耳に、鋭い鼻先。
そして、着込んだタキシードからは、『悪魔』の尻尾が垣間見えていた。