♯ 後編:そして二人は再会する。
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「ぎゃぱっ!?」
ゴンッ、と鐘のような音がして、そのまま扉の下敷きになる。何が起きたのかと、ばたばたと扉の下でもがく。すると、部屋の中から聞きなれた声がした。
「ほらっ、やっぱり! 扉が外れちゃったじゃない!? カゲトラ、力を入れすぎ」
「いやいや。どう考えてもカゲトラ君は悪くないよね? ミーシャがこの部屋をホームシアターに改造しようって言いだした時だって、彼だけは反対していたし」
「はぁ!? 何それ!? アーサーだって乗り気だったじゃない! だから、一日中カーテンで閉め切って、どこにスクリーンを設置したらいいのか考えていたのに」
「それで、いつもこの部屋はカーテンを閉めていたのかい? 父上からも言われただろう? 学園を卒業したら、僕の婚約者として発表されるんだから。もっと行動には気をつけてよ。未来の王妃様?」
「はいはい、ガリオン公国の第二王子殿下様。殿下の仰る通りでしてよ。……ほらっ、カゲトラ。そこで立っていないで、早くスクリーンを作り直して。未来の王女様の勅命よ」
「……だがよ、姉御。支えにしていた扉がぶっ飛んでいっちまったぜ? これじゃあ、さすが直せねぇよ」
「気にしない、気にしない。どうせ、ここには誰も来ないんだから。飛んでいった扉の下敷きになるなんて、そんな間抜けがいるわけが、……おや?」
そこで会話が途切れる。
もぞもぞ、と扉の下敷きになっている自分があまりにも惨めで。何より、こんな馬鹿みたいな奴らのために、センチメンタルになっていた自分に腹が立つ。
……あぁ、そうだ。
……もう深く考えるのは辞めよう。
「エドガー。オウガイ。あんたら、そこにいる?」
なんでしょうか、お嬢様?
ご用件は、ナタリアたん?
声だけ聞こえてくる二人の悪魔卿。そんな彼らに向かって、一言だけ告げる。
「……あの人たちに、あたしの涙のぶんだけ。お仕置きをしてやって」
えぇ、喜んで。
はい、ナタリアたんの望みとあらば。
二人の声が耳に届くと同時に、あたしを潰していた扉が宙に浮く。そして、元あった場所に収まると、……今度は部屋の中に向けて扉を蹴り飛ばした。実に雑な蹴り方だった。
「なんだ、カチコミか!?」
「けっ、どこの悪魔か知らないけど、ここがどこだか知っているのかしら?」
「ふふっ、ようこそ。ここは悪魔と戦う秘密組織No.の執務室です。どこのどなたかは知りませんが、早急にお引き取りを、……って、あれ?」
アーサー会長が首を傾げている。
ミーシャ先輩が驚きに目を飛び出している。
カゲトラ君が思考を停止したように固まっている。
蹴り飛ばされた扉の下にはジンタ君が気絶していて、アンジェちゃんがオロオロとしながら彼を引っ張り出そうとしている。
そして、あたしは。
怒りに髪の毛を逆立たせて、感情のままに。
……二人の悪魔卿を彼らに襲わせた。
「あーっはっは! ナイーブになっていたのがバカみたいじゃない! あはは、壊せっ! すべて壊れてしまえっ!」
この日。時計塔のNo.は、15分ももたずに壊滅するという最速記録を叩き出した。気絶して倒れている仲間たちを踏みつけて、銀髪の少女はいつまでも高笑いを上げていたという。
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……嘆かわしい。どうして、お前たちはここまで阿呆なのだ?
13人の悪魔を狩る者の執務室から抜け出してきた、ヴィルヘルム・ブラッド卿というダンディな紳士がため息をついている。
その視線の先には、ズタボロになった隣国の王子様と、もっとボロボロになった未来の王女様と、さらにボコボコにされた不良男子たちと。
恥ずかしくてまともに顔を合わせられない、あたしがいた。両手で顔を覆っているが、その指の隙間からは、林檎のように真っ赤になっているだろう。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい! 本当にごめんなさい!!」
「いや、貴様は悪くない。同輩でも手を焼く、この二人を。エドガー・ブラッド卿と、オウガイ・モリ・ブラッド卿を顎で使えるなんて。並みの人間ではできないからな」
貴様なら、世界征服すら夢でもあるまい。などと、とても嬉しくないお言葉を承ってしまう。
昨夜のことだ。
感情のままにNo.の皆を戦闘不能にして、時計塔も半分から上がどこかに吹き飛んでしまっていた。それも、これも。この二人の悪魔卿が張り切り過ぎたせいだ。誰が、あそこまでやれと言った!?
「ごめんなさい! ほんっとうに、ごめんなさい!」
あたしはこの喫茶店に来てから、何度目になるかわからない謝罪をする。ひたすら、No.の皆さんに向けて頭を下げ続ける。
「ははっ、もう過ぎたことだし。それほど気にしなくてもいいよ。……でも、僕たちを殺さないでね」
アーサー会長は笑顔を引きつらせて。
「べ、べ、別に? き、気にしているとか、そ、そ、そんなことないから!? ……でも、私たちを襲わないでください。お願いします」
ミーシャ先輩は震えながら視線を彷徨わせて。
「……頼む。本当に心から頼む。なんだったら、舎弟の盃を交わしてもいいから、……もう俺たちをボコるのは勘弁してください」
カゲトラ・ウォーナックルが直立不動で頭を下げて。
「あ、悪魔っす。最悪の悪魔使いが誕生してしまったっす。……あ、すんません! 今のは聞かなかったことにしてください! 靴でも何でも舐めますから! ……ち、ち、近づかないでくれぇ!」
ジンタは情緒不安定のまま錯乱していて。
「はじめて知った。本物の恐怖。アンジェは、……もう目も合わせられません。……お姉さま。アンジェは何でもしますから。メイドでも奴隷にもなりますから。わたしたちを揚げたてコロッケにするのだけは、止めていただけませんか?」
アンジェラ・ハニーシロップが、今までに見たことのないほど真っ青な顔になっていた。
悪魔たちと戦ってきた猛者たち。
どんな状況になっても、常に勝利を飾ってきたものたちが。今、まさに。……あたしによって、死の恐怖を植え付けられていた。
「ふふっ、お嬢様。良いではないですか。これで時計塔の連中は、お嬢様の下僕も同然ですよ」
後ろに控えていた黒色の肌の悪魔卿に、あたしは非難の視線を向けて。
「はははっ、これもすべてナタリアたんの可憐さがなせる業。さすがは、某の『推し』。この勢いで首都を攻め落として『ナタリアたん可愛い王国』を建国するというのは、……ぎゃばっ!?」
さも当然のように横で盗撮をしている文学青年の悪魔卿を、あたしは車道へと蹴り飛ばす。たくさんの車が行き交う車道へと飛び出た悪魔卿は、大型トラックに跳ねられて、どこかに飛んでいった。その光景に、No.の皆は唖然と見ている。
「うぅ~、あたしはこんなことを望んでいなかったのにぃ~。皆さん、ご迷惑をかけて本当に申し訳ありません」
「お嬢様。お言葉ですが、下僕たちに向ける言葉にしては、いささか丁寧すぎるかと」
「うるさい、エドガー。あたしのオレンジジュースが空っぽなのが見えないの? さっさと注ぎなさい」
「おっと、これは失礼。お嬢様の空っぽの頭では、目の前のグラスが空になっているのも気づいていないと。私は安心をしました。もしや、空っぽなのは頭だけはなく、その目も節穴だと思っていましたから」
「むっ」
あたしが睨み上げると、エドガーが清々しいほどの作り笑いで答える。その表情は、明らかにあたしのことを嘲笑っていた。
エドガーが燕尾服のポケットからオレンジジュースの瓶を取り出すと、グラスに半分ほど注いでいく。いつ見ても、便利なポケットだよね。あれで何か商売できないかな?
あたしが茫然と一獲千金のアイデアを考えていると、同じテーブルに座っているアーサー会長が口を開く。
「えーと、ナタリアさん? 本当の? ノイシュタン学園に入学した時から学園に通っている、ナタリア・ヴィントレスさん、でいいんだよね?」
「あ、はいっ!」
ぴっ、とあたしは背筋を伸ばす。
彼らにとってのナタリア・ヴィントレスは、もういない。『彼』はいなくなってしまった。もう、この世のどこからも。
「とりあえず、君の呼び名を考えようと思うんだ。君には申し訳ないけど、……この数か月。僕たちと一緒に戦ってくれた『ナタリア・ヴィントレス』は、本当に掛け替えのない仲間だったから」
「はい。それは『彼』も望んでいることかと」
……彼?
その言葉に首を傾げるアーサー会長であったが、深くは追求せず話を続ける。
「僕たちで話し合ったんだけど、君に新しい呼び名を贈ろうと思っているんだ。どうかな?」
「いいですね、いいですね! なんかお友達みたいで素敵です! で、その呼び名は?」
わくわくしながら、彼の言葉を待つ。
思っていたのとは違う展開だけど、こうやって本当の友達みたいな関係になれれば―
「そうだね。第一候補は、……絶対魔王」
「……は」
「暗黒喝采女王」
「……え」
「泣く子も黙らせる大悪魔使い」
「……いや、じょうだんは―」
「やっぱり、悪魔卿を顎で使う女主人かな。略して、『デビ子』。どう思う?」
「……」
どこまでも真面目な顔をしているアーサー会長。
他の皆のことを盗み見しても、うんうんと納得するように頷いている。あたしは目を見開いたまま、石像のように固まって。
ぽつり、と呟く。
「……ねぇ、エドガー」
「はい、お嬢様」
「とりあえず、アーサー会長をぶっ飛ばして」
「承知しました」
瞬間。
アーサー会長は投げ飛ばされて、青空の星になった。
「「か、会長ーーーッ!?」」
近くのテーブル席で聞き耳を立てていた黒服兄弟が、大慌てに店を出ていく。新車の高級車が法定速度ギリギリのスピードで走り去るころには、再び喫茶店は静寂に戻っていた。
「……デビ子だ」
「……やっぱり、デビ子か」
あん?
と、あたしが振り向くと。ミーシャ先輩もカゲトラも何も言っていませんよというような顔をしていた。ジンタ君とアンジェちゃんに至っては、恐怖にお互いのことを抱き合っている。……もうっ。こんなはずじゃなかったのに!
「仕方ありませんよ。お嬢様は、すでに特別になられているのですから」
「別に嬉しくないもん」
そう言って、グラスに注がれていたオレンジジュースを一気に飲む。「アーサー会長は大丈夫なのよね?」と確認すると、「今頃、オウガイ卿がクッションになっているでしょう」と朗らかな笑みが帰ってきた。
そして、わずかな沈黙が下りるのを待っていたのか。
嘆きの悪魔卿、ダンディなヴィルヘルム卿が口を開く。
「……嘆かわしいが、そういうことだ。悪魔を呼び出した張本人。魔女アラクネは魔術書と共に封印したが。この首都には、まだ闇に潜んでいる悪魔たちがいる。これまで通り、13人の悪魔を狩る者が討伐を続けていくが、時計塔のNo.にも活動を継続してもらう」
「はぁ。ちなみに、あと悪魔はどれくらいいるのですか?」
「さぁな。軽く100体はいるだろう。それに悪魔は人の悪意から自然発生するし、今回のように魔術書のような媒体から召喚することもできる」
結局は、イタチごっこでしかないな。
ダンディおじさんが諦観するようにため息をつくと、コーヒーカップを片手に続ける。
「そこで、だ。No.の最大戦力であったミーシャ・コルレオーネの『断罪聖典』と『天使化』の消失に伴い、新たな戦力が必要なのだ。……デビ子よ、やってくれるか?」
「いや、ちょっと待って!? おじさんまで『デビ子』呼びなの!?」
「そこは重要ではない」
「いや、重要でしょ!? そんな名前で呼ばれたら、裏切って逃げ出しちゃうからね!?」
「まぁ、呼び方は再考すればいい。……して、デビ子よ」
「もはや再考する気なくね!?」
あたしが今までにないくらい憤慨していると、ダンディなヴィルヘルム卿。……もとい、ちょっと頭が足りない悪魔卿は静かに告げる。
「先ほど、貴様が一気に飲みほしたオレンジジュースだがな。こっそりエドガー卿が利尿剤を盛っていたことには気づいているか?」
「へ?」
空っぽになっているグラス。
いつになく上機嫌なエドガー。
そして、急におトイレが近くなったような気がして、ひやぅ、と下腹部に力を入れる。
「あ、あんた、何をいれて―」
「そんなことより、お嬢さま。化粧室は店の奥ですよ。早くいかないと大変なことになると思いますが」
「ちょっ、それはあんたが、……ひゃう、おふぅ。……あ、やばいやばいやばいっ」
あたしは決壊しそうな膀胱を押さえて、へっぴり腰で化粧室へと向かう。
くそぅ、なんでこんなことをするんだ?
あたしは憎らし気に振り向くと、エドガーがにこやかな笑みで手を振っていた。
……あのやろー、後でぶっ飛ばしてやる。
「嘆かわしい。よかったのか、こんな手段で」
「いいんですよ。今を逃したら、次の機会があるかわかりませんから」
ヴィルヘルム卿が渋い表情を向けると。
エドガー卿が、慈しむような表情で店の奥へと視線を向ける。
せめて、後悔のないように。
声にならないように、彼が口を動かした。
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「……まったく。何だったのよ」
あたしが無事にトイレを済まして、ハンカチで手を拭く。
何がしたかったのか、さっぱりわからない。ジュースに薬まで盛って、無理やりにでもトイレに行かせて。そんなに、あたしが邪魔だったのかな。そんなことを思うと、ちょっとだけ傷つく。
いろいろあったけど。
やっぱり、あたしの心は弱いままだ。
ついつい、あの人の背中を探してしまう。話したいことがたくさんあったのに。伝えたい気持ちも、言葉にしたい感謝も、それこそ山のようにあったのに。こんなに、唐突にいなくなっちゃうなんて。
……やっぱり、ひとりは寂しいよ。
鏡に映る自分が、酷く臆病に見えた。
実際、何も変わっていないんじゃないか。周囲の環境が目まぐるしく変わっただけで、肝心のあたしは何も変えられていない。弱い人間のままだ。
やばい。涙が出てきそうだ。
もう、とっくに枯れてしまったと思ったのに。今でも思い出すと、心の奥がぎゅっと締め付けられる。
これ以上、ここにいたら泣いてしまうかもしれない。
そんな不安に押されるように化粧室から出ていく。どうせ、テーブル席ではエドガーが嫌らしく笑っているに違いな―
「おっと、失礼」
とんっ、と他の客とぶつかった。
ちょうど化粧室の前で、すれ違うのが難しいほど通路が細い。
「あ、すみません。こちらこそ」
あたしは慌てて頭を下げて、その客の男性が通れるように道を譲る。
その男が前を通る。
すれ違うように、あたしが歩き出す。
その時だ。
「あ」
ぴくりっ、と体が止まった。
どうして止まったのか、最初はわからなかった。手の汗もじりじりと滲んでいくし、胸の鼓動はどんどん早くなっていく。声が出なかった。言葉が出なかった。この感情がどこから生まれているのかわからなかった。ただ、ただ、足が震えて、振り返るのが怖かった。
嫌だ。逃げ出したい。
これで振り返って、別人だったら。
もう、あたしは立ち直れないかもしれない。いや、別人に決まっている。あの人は、すでにこの世にいないのに。本来の身体だって、瓦礫に潰されてぐちゃぐちゃになったって―
「本当に申し訳ない。数か月ほど、この体は寝たきりだったのでな。私としたことが、まんまと上司に騙された。まさか、嘘の死体写真まで用意していたとは。……あ、いや君には関係のないことだったな」
ふふっ、と優しい声が背中から聞こえる。
気づいたときには、手の平を強く握りしめていた。こみ上げてくる感情を押しこめて、涙が溢れないように必死に耐える。
そして、あたしは。
意を決して振り向くと―
「うおっぷ?」
視界が真っ暗になった。
どうやら、彼がかぶっていた帽子を押し付けられたのか。鼻孔をくすぐる匂いは、やはりあの映画館で嗅いだ好きな人と同じだった。
「……せっかくの可愛い顔なのに、泣いていたら台無しだろ?」
その声を聴いて。
あたしは、ゆっくりと帽子をゆっくりと上げる。
そこにいたのは。
唇の前に人差し指を置いて。
内緒だぞ、と静かな笑みを浮かべている。
……『彼』の姿であった。
――了――
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・ここまで読んでいただいて本当にありがとうございます。およそ、一年ほど書いてきた物語も、これで完結です。皆様の感想やいいねで、なんとか最後まで書くことができました。本当に感謝しかありません。
・この物語に出てきた登場人物たちは、これからどういった物語を紡いでいくのでしょうね。悪魔卿使いとなったナタリアちゃんが、悪魔相手に戦っていくのか。それとも、彼との再会を期に、どこにでもいる恋する少女として生きていくのか。それは誰にもわかりません。
・今は、次回作に向けて準備中です。皆様に楽しんでもらえる物語になるよう頑張っていくので、また違う物語でお会いできたら幸いです。本当にありがとうございました!