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204/205

♯ 前編:そして二人は再会する。


――◇――◇――◇――◇――◇――◇―― 


 ……はい、この問題がわかる人はいるかな?

 ……センセー。もうすぐ昼休みなんですから、授業は終わりにしませんかー?


 緊張感のない空気が教室に漂っていた。

 そのまま、なんとなく授業は終わり、クラスメイト達は昼食の準備を始める。学生食堂に駆け込む男子生徒や、仲の良いグループでランチボックスを囲む女子生徒たち。その光景は、どこからどう見ても平和であった。


 あれから、二週間が経っていた。


 大聖堂を超えるほど巨大化した蜘蛛の悪魔。

 魔女アラクネは、朝日が昇ると同時に捕縛されていた。首都の上空を超低空飛行で飛んで行った軍用機。そこから飛び下りてきた歴戦の古強者たち。13人の悪グリム魔を狩る者・リーパーだ。悪魔の専門家である彼らでも、あれほどの巨体を相手にするのは苦戦を強いられたらしく。完全に行動不能させたのは、首都の人たちが目を覚ますギリギリの時間であった。


 結論として。

 突如として崩壊したノートルダム大聖堂は、経年劣化とメンテナンスの不備による倒壊、ということで幕を下ろした。新聞や週刊誌にも大々的に取り上げられたが、月日が経つと地方紙にも載ることがなくなった。まぁ、以前にも凱旋門が盗まれたという前例のせいか、この首都の人間にはその程度の超常現象に慣れてしまっているのだろう。


 新聞の一面を飾った、国宝である大聖堂の倒壊というスキャンダル。


 それにも関わらず、謝罪する政治家たちの顔は曇っていなかった。そこには資産家たちからの寄付金、市民からの同情論、観光業への話題性、何より隣国であるガリオン公国からの強力な援助とコネクションの確立が、老猾な政治家たちを満足させた。


 それでも、真相の関係者には手心を加える気はないらしく。ごく一部の人間には、祖国への奉仕活動として、記録には残らない極秘任務を押し付けられることになった。その結果、東西冷戦の緊張感は、一気に緩和していったという。


 ……お腹すいたよねぇ。

 ……早く、お昼にしよう?


 近くにいた仲良しグループから、他愛ない世間話が耳に入ってくる。


 学校のこと。

 恋人のこと。

 そして、友達のこと。


 本当に、これまでの出来事が夢なんじゃなかったのか。そう思う時がある。悪魔との戦いも、時計塔のNo.ナンバーズも、あの夜の戦いだって。今では自分には関係のない遠い話のように思える。


 窓の外を見た。

 今日も時計塔の部屋には、カーテンが閉められている。魔女のような『S』主任によって飲み込まれた時計塔も、気がついたら元通りになっていた。No.(ナンバーズ)のメンバーと顔を合わせたときに、どんな反応をすればいいのか。それを考えたら怖くなる。心の奥がぎゅっと縮こまって、足が竦んだ。自分はもう、彼らの友人ではないというのに。


 ……あれ? ナタリアちゃん。お昼食べないの?

 ……早くしないと、お昼休み終わっちゃうよー。


 クラスメイトに声を掛けられて、ぎこちなく笑みを返す。

 まだ慣れない。

 クラスの人たちが、今まで会話もしたこともなかった子が、こうやって優しく声を掛けてくれる状況に。


 あたし・・・は。

 まだ、戸惑っている。



――◇――◇――◇――◇――◇――◇―― 



 あの夜。

 魔女アラクネが巨大な蜘蛛の悪魔になって、なんだかよくわからない人たちに倒された日。あたしこと、何の特別なことのないナタリア・ヴィントレスという女の子は、まだあの映画館にいた。隣の席には、黒色の肌をした悪魔卿イケメンのエドガーが座っていた。魔女が討伐されて、全ての戦いが終わるのを、彼と一緒に見届けた。


 その直後だった。

 あたしは、彼に蹴飛ばされた。


 ひょいっと断りもなくあたしを持ち上げると、そのまま映画館の出入り口へと運んでいって、そのまま外の世界へとシュート。実に雑な蹴り方だった。その時のあの男の顔は、まさに悪魔のように嗤っていた。


 そして、目が覚めたら。

 あたしは学園寮の自分の部屋にいた。まるで、今までのことが夢だったかのように。それから今日まで、いつもと同じように学校に通っている。ぽっかりと胸の中に『彼』という穴が開いたまま。


 ……じゃあ、また明日ねー。

 ……今度の週末は買い物にいこうね。


「うん。バイバイ」


 あたしは遠慮がちに手を振る。

 今の環境はとても居心地が良い。クラスの人たちも気軽に声を掛けてくれるし、孤独を感じることもない。そうしていると、自分から声を掛けるようになって、休み時間に一人でいることもなくなった。クラスの人たちは優しかった。これも全て『彼』のおかげだった。いつも独りだったあたしのことを、心配してくれた結果だった。


 それでも。

 やはり、何かが足りない気持ちになってしまう。


 夕暮れ。

 斜陽に照らされる時計塔を見上げながら、不安に胸が締め付けられる。そのカーテンが閉められた窓を見ていると、自分はもう部外者なのだと言われている気がした。


「……あたしがいっても、迷惑だよね」


 彼らが期待しているのは、あたしではない。『彼』だ。悪魔と戦うことも、何か特別な力もない。そんなあたしが近づいてもいい場所ではない。


「っ!」


 とても、胸が苦しい。

 あたしは学園の寮には向かわず、逃げるように夕焼けの街へと駆け出していた。何を探しているのか、何を求めているのか、自分にもわからない。それでも、この苦しいほどの想いが、じっとしていることを許してくれない。


「はぁ、はぁ」


 首都の駅前。住宅街にひっそりとある古い楽器屋。スラム街にある潰れたボーリング場。かつて、『S』主任という女性がここで働いていたはずだが。今では取り壊しの作業が始まっている。今では、この街のいたるところに『彼』の思い出が溢れてくる。


 どれくらい走ったのだろうか。気がつけば、人の気配がない裏路地へと迷い込んでいた。太陽は西へと沈み、夜が首都を覆い隠していく。こんな不気味な夜には、悪魔でも出てきそうだった。


 もしかしたら、こんな展開を望んでいたのかもしれない。


 人の気配のない裏路地に、人相の悪そうな男たちが現れていた。キヒヒ、と気持ち悪い声で笑いながら、ゆっくりと迫ってくる。その手には、ナイフが握られている。


「キヒヒ、おい女。どうしたんだい、こんなところに迷い込んで」


「おいおい、そんな言い方はねーんじゃないか?」


「そうだぜ。よく見てみろよ。結構、可愛い顔をしてるぜ」


 あれは高く売れるな。全身にタトゥーを入れた男が、薄ら笑いを浮かべながら言う。「体に傷をつけるなよ。価値が下がっちまうからな」「キヒヒ、わかっているって」「でも、その前に俺たちで楽しんでもいいよな?」 そう言って、ナイフが夜の明かりに反射させる。


 人攫いだ。

 若い女性をさらって、別の国に売っている悪人たち。目の前に迫る絶体絶命のピンチに、あたしはなぜか。……これっぽっちも恐怖を感じていなかった。


 感覚が壊れてしまったのだろうか。

 それとも慣れてしまったのか。

 これまで見てきた、悪魔たちとの戦いに比べたら。こんな奴ら、どうってことはない。


「キヒヒ、それじゃあ。大人しくしてくれよ、女ぁ!」


 気持ち悪い笑みを浮かべている男が、ナイフをチラつかせて襲ってくる。……わぁ、本物の刃物だ。あれで刺されたら痛いんだろうなぁ。でも、あたしにはどうすることもできないしなぁ。うーん、どうしようか。などと逃げることもせず感傷に更けていると。


 突然、ナイフを片手に襲ってくる男が。


 ……空中で静止していた。


「へ?」


 呆けた顔のまま固まる人攫い。

 何が起きたのかわからず、きょろきょろと辺りを見渡す。そんな男に向かって、どこからとこなく身なりの整った男が現れて、無造作に蹴飛ばしていた


 それは実に、雑な蹴り方だった。


「……やれやれ。友人の最後の頼みだから、仕方なく聞き入れたというのに。まさか自分から危険なところに歩いていくなんて」


 これからの苦労が偲ばれますね、とその黒色の肌の男は嘆息する。

 執事が着るような燕尾服に、異様に整った美形の顔立ち。そして、左目の下に刻まれた逆さの星。悪魔卿のエドガー・ブラッド卿が、そこにいた。


「なんだ、エドガーか。いたんだ」


「いたんだ、ではありません。久しぶりに顔を合わせたとは思えない反応ですね。これからは危険な場所へと近寄らないこと。よいですか、お嬢様・・・?」


「お嬢様? 誰、それ? 気持ち悪い」


「貴女のことですよ。『彼』が貴女からいなくなる時に、私に託していったのですよ。……気が向いたらでいいから、あの子のことを見守ってくれ。とね」


「そう、なんだ」


 ……気が向いたら、か。

 なんだか実に『彼』らしい。強要もせず、強制もしない。人の心の在るままに。そんな想いが、正直に嬉しい。こんなクソみたいな悪魔(ヤツ)だけど。レディーに向かって断りもなく現実に蹴り飛ばした悪魔(バカやろう)だけど。こうやって『彼』との繋がりがあるような気がして。


「お嬢様。今、私のことをクソとかバカとか思いませんでしたか?」


「よくわかったじゃない。あの人に比べたら、エドガーなんてクソみたいなもんで、……あいたっ!?」


 ぺちんっ、とデコピンをされた。

 音のわりに、滅茶苦茶痛い。傷になったらどうするつもりなんだ。あんたでは責任を取れないんだぞ!?


「うぅ~、痛いよぉ~」


「自業自得です。空っぽの頭に相応しい、良い音がしましたね」


「ぐぬぬ。やっぱり嫌い!」


「別に構いませんよ。……さて、とりあえず。あそこで固まったまま動かない悪人たちは、私にお任せを。全員、アルマ河の底に沈めてきます。お嬢様は阿呆のように立ち尽くしていただければ」


「ふん。別にいいけどさ」


「それでは。暫し、お目汚しを失礼。……あぁ、そういえば。その物陰から、旧友のオウガイ・モリ・ブラッド卿がローアングルから盗撮をしているので気をつけてください」


「はぁ!?」


 あたしが慌てて制服のスカートを押さえると。

 山積みになったゴミ袋の中から、東洋風の文学青年が姿を見せる。手に持っているのは最新式のカメラ。ズレた丸眼鏡を直そうともせず、ぐふふっと下卑た笑みを浮かべる。


「ぐ、ぐふふっ。恥ずかしそうにしているナタリアたんも新鮮ですね。あぁ、ご安心ください。ちゃんと下着は写っていませんから。ギリギリ見えない角度から妄想を引き立てつつ、ナタリアたんの可愛らしさを最大限に引き出す。これこそ某が考える本人に迷惑をかけない最高の推し活であり、ナタリアたんへの愛を表現するための―」


 悪人たちと一緒に、別の何かが悲鳴を上げて河に沈んでいった。



――◇――◇――◇――◇――◇――◇―― 



 扉をノックしようとして、その手を下した。


 日が沈み、夜になっていた。

 学園の敷地にある時計塔は、不気味な静けさに包まれていた。人の気配すらない。あたしは初めてとは思えない感覚で、二階へと続く階段を上って、そこにある扉の前に立っていた。


 表向きは、学園の生徒会長の執務室であり。

 その実際は、首都に潜む悪魔たちと戦うNo.ナンバーズの秘密基地であった。


 ここには仲間がいた。

 あたしではない、『彼』の仲間だ。

 王子様のようなアーサー会長。クール美人なミーシャ先輩。不良男子のカゲトラ。それに別の世界から来たというジンタ君と、悪魔の女王であるアンジェちゃん。いつも護衛にいる黒服のお兄さんを含めても、あたしが気軽に会ってはいけない気がした。


 あたしには関係のない。

 ……『彼』の大切な友達・・だ。


 最後まで『彼』は否定していたけど。No.ナンバーズの仲間たちは『彼』のことを友達と思っていたはずだ。仕事や任務だけの関係ではなく、他愛ないことで笑いあって、たまにはバカみたいなことをして、時にはケンカもして、それでも仲直りできる。それが友達だ。


「……やっぱり、ここには来ちゃいけないよね」


 あたしは悩んだ末に、その扉から離れた。

 彼らの大切な思い出に、土足で踏み入れてはいけない。あたしは『彼』が残してくれた穏やかな日常を、大切に過ごしていけばいい。


 それだけで、満足するべきだ。


「……ひっく」


 なんで、だろう。

 どうして、なんだろう。


 ……涙がとまらない。

 あたしはただの傍観者で、彼らと一緒にいたわけでもないのに。悪魔と戦う時だって、いつも安全な場所から眺めていただけだ。……いや、わかっている。わかっているんだ。あたしも彼らと一緒の時間を過ごしてみたかった。誰もいない映画館から、ずっと一人で眺めていた。あたしではないナタリア・ヴィントレスと、No.ナンバーズの仲間たち。その光景を羨ましいと思いつつも、あたしならどうするのかいつも妄想していた。


「(……きっと、皆に紅茶を入れるのは、あたしの役割になるんだろうな。ミーシャ先輩から下手くそとか言われて、アーサー会長からフォローを入れられて。たまに来るジンタ君やアンジェちゃんからは、美味しいよって言われて。少しだけ得意げになって)」。あたしは、そんな妄想ばっかりしてた。


 そして、その妄想の世界には。優しく微笑む『彼』の姿があった。元の体に戻った、あの人の姿が。


 それは現実でない。

 今は、もう『彼』はどこにもいなくて。あたしの居場所も時計塔にはない。

 それなのに、なんでこんなにも。

 寂しいと思ってしまうのか。


「……えっぐ、ひっぅく」


 やばい。涙がとまらない。鼻水も止まらない。

 感情が溢れて抑えられない。

 こんなところ、誰にも見せられない。クラスの友達はおろか、No.ナンバーズの皆にも。絶対に見せたくはない。


 そう思った。

 そんな時だった。


 目の前の扉が、……ミシミシと歪みだした。まるで、とてつもない力が掛かっているせいで、今にも弾けてしまいそうなほど膨れ上がっている。


「……へ」


 あたしが、その膨れ上がった扉を見た、その瞬間。

 吹き飛んできた扉が、あたしの顔面に直撃していた―

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