♯ 終劇.Curtain Call(そして、カーテンコールは幕を下ろされる)
戦いは好きではない。
痛いことはもっと嫌だ。誰かを傷つけることも、誰かに傷つけられることもゴメンだ。それでも、この瞬間ばかりは。敵を倒すことだけに集中しよう。
悪魔の奇声が響く。
彼らに向かって、引き金を絞る。響く銃声。宙を舞う空薬莢。放たれた銃弾が、悪魔たちへと吸い込まれる。だが、軍用の銃弾では悪魔に致命傷を与えられない。それでも、動きを止めることはできる。膝を撃ち、視覚を狙う。活路を閉ざさない。魔女へと進む道を切り開く。
キシャーッ! シュルシュルッ!
悪魔たちが背後から迫ってくるのを肌で感じる。それでも立ち止まることはない。前へ。ひたすら前へ。私はすぐ傍にまで迫っている背後の敵より、自分の進む道を閉ざそうとする敵へと銃口を向ける。迫る脅威。戦慄するほどの殺意。思わす足が震えそうになる。そんな私の背後で、誰かが悪魔に向かって叫んでいた。
「おらっ! テメェらの相手はこっちだ!」
「……ったく。子供の子守りは嫌だと言ったんだがな」
殴り飛ばされて悲鳴を上げる悪魔たち。魔法で消滅していく無情な悪魔たち。
私は地面を蹴り出して、前へと進む。それでも奴らは襲ってくる。悪魔。悪意がそのまま形になった存在たち。銃を構え、彼らの足を撃つ。射撃の反動で体が軋む。痛い。辛い。それでも、前へ。残りの銃弾が少なくなっていくのを感じながら、ただひたすら前へ。
「……ッ!」
眼前に迫る凶暴な爪。狙いをつけて、引き金を絞る。弾は出ない。残弾が尽きた。予備のマガジンもない。それでも、……を信じて前へ踏み込む。視界が悪魔に覆われて、活路は閉ざされる。
だが、その寸前に。黒い獣のカタチをした影が、目の前を通り過ぎていった。その影は空間ごと食い散らしていき、悪魔だったものは腕だけを残して、絶えた。
「行け、私の愚かな部下よ。週末は始末書の山だからな」
「ナタリアお姉さま! アンジェも、お姉さまのシ、シマツショ(?)のお手伝いしますから!」
魔女の獣に食い散らかされる悪魔たち。生命を奪う根源にて絶命していく悪魔たち。
目の前の視界が開かれていく。背後からの脅威もない。私の前にあるのは、魔女へと向かう一本道。ありがとう。私は呟く。軍用アサルトライフルを捨てて、魔女アラクネへと歩いていく。
睨む魔女。
睨む私。
憎しみの視線を絡ませて、ゆっくりと近寄っていく。悪魔たちの悲鳴が、今はもう遠い。邪魔は入らない。
「……Hello and Goodby。ここまで来たら、もう一度、計画を練り直さなくてはいけません。忌々しいことですが、貴女たちの勝ちのようですね」
ですが、と魔女は続ける。
「せめてもの慰めに、……その可憐な体は。私がいただきますよ!」
魔女が笑い、足元に魔法陣を展開。
妖しく赤く光る幾何学模様。触手のような蔦が蠢いて、こちらへと襲い掛かる。だが―
「判断が遅い」
触手が迫る、その一歩先を。
私が進む。
「認識が甘い。経験も少ない」
躱す、躱す。
触手の絡めとるような動きを、悠々と追い抜いていく。ゆっくりとした足取りで、魔女への距離を詰めていく。
魔女が焦る。
呼吸が乱れて、視線も揺れている。学習しない。その場しのぎで攻撃方法を変えようとも、あえて変則的な動きを見せても。そこに個人的なバイアスがある限り、行動を誘導させることは難しくない。ほらっ、視線が揺れた。右から来るぞ。わざと反応を遅くみせてやれば、無意識下に刷り込むことだって容易だ。ほら、また右だ。さっきから仕留めにかかる時は同じ方向から攻撃していると、自分だって気づいていないんだろう? もう少しで捕まえられそうだと思い込んでいるだろう? イニシアティブを握っているのは自分だと信じたいだろう?
「そして、思慮もない。配慮もない。優しさもない。他人に優しくできない人間が、他人から優しくしてもらえる道理もない」
「ぐっ、この!」
「世界を恨むのは自由だ。他人を羨むのもいい。自分勝手に喚いたっていいさ。でも、そうしたことで自分が不幸になることを、誰かのせいにするな」
魔女の目の前に立つ。
魔女が怯える。その瞳からは動揺と迷い、そして絶えず燃える憎しみが見えた。
「この、偉そうに!」
「偉いさ。私は、お前の百億倍は世界に優しい人間だ。他人に優しくすることを忘れず、感情的に誰かを否定せず、決して暴力を好まない。そういう大人だからな」
私の言葉に、魔女の瞳に苛立ちが灯る。
わずかに、瞳孔が揺れる。
……左か?
私は視線を動かすことなく、魔女を注視する。左手の先に魔法陣を展開。先ほどまでの赤い輝きではなく、おどろおどろしいほど暗い闇の魔法陣。悪魔を呼び出してきたものと同じだ。魔女は、そこから何を引き抜こうをする、が―
「そして、何より。痛いことが嫌いな人間だ。正当防衛の意味をちゃんと知っている人間でもある」
魔女が禍々しい何かを掴む直前に。
私は、制服のスカートで隠していた『デリンジャー』を引き抜いて。
魔女の肩を、撃ち抜いた。
「がっ!?」
銃声がして、魔女が嗚咽を吐く。
だが、魔女は止まろうとしない。その瞳は、憎しみに染まっている。私は予備の銃弾を、太もものベルトから引き抜いて、デリンジャーに再装填。空薬莢が落ちる音と同時に、魔女が叫ぶ。
「ビッチ! ビッチ、ビッチ! お前みたいな人間が一番嫌いなんだよ! 平和だの、人に優しくだの―」
魔女が右腕を魔法陣に突っ込んで、死神のような大鎌を取り出す。だが、それよりも早く。デリンジャーの銃弾が右手を撃ち抜く。
「誰かに優しくしても、意味がないだろうが!」
今度は、右足に魔法陣を展開。
自分の脚を悪魔に食わせて、蜘蛛のような気味悪い多脚を生やす。そこから毒針のようなものを飛ばしてくるが、既に銃声が響いて。片足を撃たれた魔女が大きく態勢を崩す。
「自分勝手に生きて何が悪い! 他人のせいにして何が悪い! 誰かに優しくしていたら、私を幸せにしてくれるのかい!?」
魔女は喚き散らしながら、その全身に魔法陣を展開させる。
関節が変な音を立てて、逆に曲がる。肋骨は脇腹から突き出てきて、脊椎が曲がり破裂する。どんどん巨体になる体を支えられず、昆虫のような外見になる。人ではない何かに姿を変えようとしていた。悪魔を呼び出すのではなく、自分自身が悪魔となって。この世界に、自分を取り巻く不条理に復讐しようとしていた。脚は八本、あばら骨は地面に刺さり、美しかった顔にはいくつもの赤い瞳が浮かぶ。まるで蜘蛛だった。人間であることさえ捨てて、彼女は自分勝手に叫ぶ。
「し、幸せニ、なれないノなら、生きテイても仕方なイ! こノ身体が悪魔ニ堕ちヨウとモ、貴様ノ体を奪エバ、イイノダカラッ!」
巨大な蜘蛛の悪魔。
人間であることを辞めて、魔女であることも辞めて。
誰かからの言葉に耳を貸さず、聞かず、過ちを認めず。自分だけが正しいと疑わず。魔女アラクネは、悪魔に堕ちる。
そんな哀れな女を前にして、私は静かに銃口を向ける。
もはや、言葉など意味がない。それがわかっていても、この女にかけてやる言葉がある。
「うるせぇ、ばーか。キモいんだよ」
お前のことなんて、知ったことではない。そう吐き捨てて、引き金に指をかける。悪魔を殺すための銀の銃弾だ。巨大化した蜘蛛の悪魔を前にして、私は微笑む。
そして、引き金を絞った。
放たれた銃弾は、悪魔の眉間へと吸い込まれていって―
カツンッ、と軽い音がして銃弾が弾かれた。
うん? と私は首を傾げる。
あれ、おかしいな。どんな悪魔も倒せる純銀弾のはずなのに効果がないなんて。パン、パン、と残っている全ての銃弾を撃ち込もうとするが、その固い外殻に阻まれてしまう。
「え、えーと?」
どうしよう、と私は仲間へと振り向く。
だが、仲間たちは。呆れたように茫然としてから、次々と視線を外していく。まるで、他人のフリをするように。
「……おっと、ボチボチ出勤時間だな。ほら、アーサー会長。ミーシャ嬢。学校に行きますぜ」
「……さて。私も上司に報告する書類を作らんとな。東側陣営は書類にうるさい」
「……もうこんな時間か。早く帰らないと妻が心配するな」
「……眠い。俺も寮に帰って寝るかな」
「……さ、さぁジンタ、起きて。わたしたちのお家に帰ろ。すぐに、今すぐに! 早く起きて!」
どんどん、どんどん。
どんどん、どんどん。
巨体になっていく蜘蛛の悪魔。その姿を見て、仲間たちが次々に帰ろうとする。……って、おい。ちょっと待てよ! お前ら、ドコに行くつもりだ!
「こ、この、ハクジョーものっ!?」
こうなったら私も帰ってやる! 巨大化を続けて、今や大聖堂すら突き破らん大きさになった蜘蛛の悪魔は、奇声を上げながら追ってくる。私のことを狙って。
あひーっ、死ぬ! マジで死ぬ!
崩壊するノートルダム大聖堂。崩れ落ちてくる天井。降り注ぐ瓦礫の雨を掻い潜って、私は必死になって走り出す。全力疾走で逃げ出して、途中でカゲトラの足を引っかけて、盛大にコケた奴から「お前、ふざけんなっ!!」と叫ぶ声が後ろから聞こえたとしても。
私は一目散に逃げだしていた。
だって死にたくないもん。あばよ、カゲトラ。瓦礫の下で達者でな。巨大化した蜘蛛の悪魔が、大聖堂をも突き破り。とうとう屋根から顔を出す。
ちょうど、同じ時刻に。
所属不明の軍用機が超低空飛行で首都の上を通過していった。国境付近の管制塔が『妖精さん』と呼んでいた機体であり、戻ってこなかったら浮気のこと家族にバラすからな、とシロー・スナイベルに脅されていた同僚。すなわち、悪魔を駆逐するために結成された部隊。『13人の悪魔を狩る者』が搭乗していた機体であった―