♯2. Natalia(ナタリア・ヴィントレス)
「……す、すみません。言っていることを、よくわからないのですけど」
「ははは、すまないね。こちらの説明が悪かったかな。この店はね、深夜になるとVIPだけの会員限定の営業になるんだ。こちらにいる方々は、社会的にはとても地位の高い人たちでね。公にできない趣味を、こうして楽しんでもらっているわけだよ」
彼の表情は変わらない。
ぞっと背筋が冷たくなるほど、作られた微笑みを浮かべていた。
「だから、君みたいな美しいお嬢さんを雇っているんだ。身に着けているものを捨てて、生まれたままの姿で演奏する。その恥ずかしがりながらも、恍惚とした表情を堪能してもらうことが、この店の裏のサービスだからね」
カチッ、と裏口に鍵がかけられる。
バーテンダーの男は、はぁはぁと息を荒くさせながら、舐めるような視線でこちらを見てくる。それは、観客席の男たちも同じだった。
「ああ、本当に美しい。可憐な顔立ち。哀しさを秘めているような憐憫な瞳。そして、透き通るような銀色の髪。君みたいな子を待っていたんだ。こちらにいらしたお客様も、そして私も。君みたいな美少女を、見世物にしたくて仕方ないんだよ―」
「な、何を言っているんですか! そんなことをしたら、警察に通報しますよ!?」
「警察? ははっ、通報なんてできないんだよ。だって、君は。今日のことを忘れてしまうんだからね」
「……え?」
私は、白色のロンググローブに包まれた手を握りしめる。
「どういう、ことですか?」
「……ふふ、つまりね。こういうことだよ、お嬢さん」
バーテンダーの男が、こちらに歩み寄る。
そして、スポットライトが当たる場所まで来ると、その男の影が、不気味に蠢きだした。
……影の中から、むくっと何かが出てくる。
人の形をしているが、その細部は人のものではなかった。禍々しい角、コウモリのような翼、爬虫類を思わせるような尻尾に鋭い牙もある。
それはまるで、絵本の中で綴られる。……『悪魔』のようであった。
「私のお友達だよ。私はね、悪魔と友達になったのさ。そして、彼に頼んで、都合の悪い記憶を消してもらっているんだ」
男が言うと、影から現れた悪魔はこちらを見る。
そして、にやりと笑った。
「キ、キヒヒィ、そうさ! 俺たち悪魔は、常に娯楽に飢えている。だから、人間に力を貸して、こうやって楽しませてもらっているのさ。キヒッ、力を持った人間は予想もできないことをしてくれる。それこそが、俺たち悪魔にとっての最高の娯楽なんだよ!」
気味悪い声で笑いながら、バーテンダーの後ろに立つ存在。
自分のことを『悪魔』と称して、人間たちをたぶらかす。この店に集まった変態たちも、悪魔によって呼び寄せられた男たちだった。
「さぁ、お嬢さん。……ゆっくりと、そのドレスを脱いでくれないか? なぁに、心配はいらないさ。朝になったら、何が起きたかも忘れているんだからね」
にやにや、と観客の変態たちも厭らしい目つきで笑っている。鼻息を荒くさせて、食い入るように覗き込んでいるのがわかった。
逃げ場はないのか、と辺りを見渡しても。
裏口には鍵がかかっているし、正面玄関は観客席の向こう側だ。
「おっと、逃げることは考えないほうがいいよ。記憶は消せても、傷跡は消せないからね。……いや、むしろ。乱暴にされるほうがお好みであれば、そう言っていただければ―」
バーテンダーの男が手を伸ばして、私の肩に触れる。
悪魔を従えたまま、ツツッと素肌を撫でていく。ぞくぞくっ、と私の全身に鳥肌が立つ。
……もう、我慢の限界だった。
「ぴ、ぴぎゃーーーーーっ! 無理無理無理無理っ、絶対に無理っ!」
私は叫びながら、バーテンダーの男の手を払って逃げ出した。
そして、右手を。
パーティドレスの裾へと伸ばして。そのドレスの裾をめくり上げると、美しい太ももに隠してある『それ』を抜き取る。そのまま、天井に向かって引き金を絞った。
パン、パンッ!
二発の銃声が響く。
使い込まれた『デリンジャー』の銃口からは、わずかな硝煙が立ち上っていた。
「ひいっ!」
「この女、銃を持っているぞ!」
動揺が観客席に広がっていく。
だが、そんなことに興味はない。私は、悪魔を背後に立たせているバーテンダーへと視線を向けた。
「ま、待ってくれ! そんなつもりはなかったんだ! 頼むから、俺を撃たないでくれ!」
「黙りなさい! 人様に無断で触っておいて、そんな言い訳が通じるとでも!? あー、もう面倒くさい。私の用があるのは、そっちの悪魔だけなのに!」
私は、『デリンジャー』の銃口を、男の後ろに立つ悪魔へと向ける。
「本当は、様子を見てくるだけの仕事なのに。余計な仕事が増えてしまったじゃない!」
キッ、と私が睨む先で、影に立っている悪魔は愉快そうに笑う。
「キヒヒ。可愛い顔をして、物騒なものを持っているね。……そういや、悪魔たちの間でも噂になっていたっけ? 人間たちの中で、悪魔を狩る秘密組織があるって」
「あー、それは本職の人間のことね。私は普通の女の子だから。成り行きで、こういう仕事を手伝っているだけ。お小遣いも欲しいしね」
私は嘘偽りのない本心を言う。
手にした銃から空薬莢を排出して。そのまま反対の脚に隠してある予備の銃弾を抜き取ると、『デリンジャー』に再装填する。
……そう、偶然なのだ。
狂ったような偶然が、幾重にも重なって。
私は、ここにいる。
まるで、少しテンポを外しながらも演奏されている、この街のJAZZのように。
「キヒヒ。それじゃ、見逃してくれないかい? こっちも、あんたのような美少女を痛めつけるのは、ちょっと気が引けるんでね」
「残念、無理よ。そんなことをしたら、悪魔よりも怖い先輩に怒られるから」
「あっそ。それじゃ―」
黒い影が蠢いて。
真っ暗の闇が、にやりと笑った。
「……死んでね?」
暗闇の中から放たれていた、黒い棘。
まるで、銃弾かと思わるような速度で放たれた一撃に。私はヴァイオリンケースの取っ手を握りながら、ダンサーのように軽いステップで躱していく。
そして、小型の拳銃を足元に落とすと、そのまま優雅に踊りながら、……手にしたヴァイオリンケースの蓋を開けた。
「悪いけど、お断りよ」
そこに収まっていたのは、楽器などではなかった。
鈍く輝く黒色の銃身に、沈黙を保っている引き金。職人技を思わせるウッドストックの先には、銃弾が込められているマガジンが装填されていた。
最新式の試作型消音狙撃銃。
その愛称は『ヴィントレス』。
私は楽器ケースを捨てて、その消音狙撃銃を両手で構えると。悪魔の眉間へと、狙いをつける。
……あぁ、本当に。
……どうして、私は。こうして、悪魔なんかと戦うことになったのだろう。しかも、こんな少女の姿になってまで。
こんなことになるなら、さっさと逃げだしていればよかったのだ。
よし、決めた。
寮に帰ったら、布団に潜ってフテ寝してやる。
明日の授業もサボってやるからな。
遠くから聞こえてくる、テンポの外れたJAZZのせいで、どうにも苛立ちが抑えられず。こうなってしまった経緯を、嫌々ながらも思い出してしまっていた。
『Chapter0:END』
~Swing of JAZZ(ジャズを掻き鳴らせ!)~
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