♯46.Re:JAZZ & Silver GIRL②(ナタリア・ヴィントレスは再び舞い踊る)
―早いっ!?
魔女アラクネは頭部を激しく揺らしながら、奇妙な違和感に囚われていた。
目の前にいたのは、普通の少女だ。特別な力などなく、他者を威圧する存在感もない。まるで空気だ。そこにいて当たり前の存在。この社会に有象無象と蔓延る凡人なのは疑いようもない。
では、何故。
この蹴りを、私は躱せなかったのか。
懐に潜られてからの鋭い一撃。そんな攻撃を許すほど、私は油断していたのか。いや、確かに油断はしていた。それは認めよう。だが、そうだとしても。
なんだ、この少女の存在感は?
「がふっ、……あは、あはは。Beautiful。この私に一撃を与えるとは、なかなか見どころがありますね。ですが、油断はここまで。あなたと私。凡人と魔女の決定的な違いを見せて―」
言葉は、途中で途切れる。
正面から鋭い掌底が迫っていた。やはり早い。だが、来るとわかっていれば、躱すことなど造作もない。所詮、最初の一撃は不意打ちだ。この程度の攻撃で、私を倒そうなどと片腹痛い。
「ふんっ、緩いですわね。そんな正面からの攻撃が通じるとでも―」
瞬間。
後頭部から激しい衝撃を受けた。
「がっ!?」
嗚咽が漏れる。
頭が激しく揺さぶられる。
……え。後ろから? それはおかしい。この少女は正面から迫ってきていたはず。それなのに、なぜ私は後頭部を蹴られている?
思考が鈍り、わすかに目の前が暗くなるほどの一撃。正確に人体の急所を狙っている。視界の端に見えたなかったは、掌底ではなく、回し蹴りを放っていた少女の姿。くそっ、どうなっている。身構えていたとはいえ、後ろからの攻撃など無防備に近い。
「ぐっ、Amen!」
魔女アラクネが失ったままになっている右手を、その肩から出現させる。不気味な右腕だった。蜘蛛のような関節が浮き出ている悪魔の腕。その腕を振るい上げて、少女へと殺意を向ける。
……勝った。
右腕がないと油断していたのだろう。意表を突かれた銀髪の少女は、そのまま蜘蛛の腕を見上げたままー
「趣味の悪い腕だね。私は、蜘蛛は嫌いなんだよ」
地面に叩きつけられた蜘蛛の腕を、少女が踏みつけていた。何の感情もない、無機質な瞳で。
「また!? いったい、どうして!?」
魔女アラクネがわずかに怯え始める。
何かがおかしい。
この女、あんな華奢な体で、なぜあそこまで動ける。いや、問題はそこではない。こちらが先手を取っていたはずなのに、なぜ躱されている。なぜ当たらない。なぜ、こちらが一方的に攻撃を受けている。相手は、どこにでもいる普通の人間のはずなのに。
何かを見落としているのか。
何かを勘違いしているのか。
魔女である自分が、こんな少女に圧倒されるはずがない。単純な戦闘の強さなら、自分のほうが遥かに上のはずなのに。
どうして、私は。
こう易々と、攻撃を許している。
「ほらっ。次も顔面だぞ。歯を食いしばりな」
銀髪の少女がそう宣言をして、身軽なフットワークから懐に入り込もうとする。
そうはさせるか。魔女アラクネは魔法陣を展開。こちらに近づくものを迎撃するために、黒い影の刃で周囲を切り刻む。自分を中心に無差別に攻撃する魔法だ。逃げることも、避けることもできず。少女の体などバラバラに―
「で? 生意気な小娘をバラバラにして、その後はどうすんの?」
「っ!?」
少女は生きていた。
そもそも、少女は動いていなかった。影の刃が届かないギリギリの距離。眼球のすぐ目の前にまで、影の刃が迫っているのに。まるで避ける気配もなく、そこから呆れるように見ていた。
「くっ、このガキがっ!」
魔女アラクネが慌てて攻撃に転じる。影の刃を束ねて、少女を貫くべく凶悪な一撃を放とうとする。
だが、それよりも早くー
「ほぅら、ちゃんと歯を食いしばってないから。そのブサイクな顔が、さらに歪んじゃったじゃない」
少女の強烈な蹴りが、魔女アラクネの横顔を叩き潰していた。




