♯ ‐No Films‐②「 」(とある映画館で、その二人は出会う②)
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――カラカラ、カラカラ。
映画館にフィルムが回り、スクリーンに映像が映し出されている。あたしは落ち着かない様子で、隣に座っている浅黒い肌の悪魔卿を盗み見ていた。
「ふむ。なかなか良い座り心地ですね。できれば、ポップコーンでも食べながら鑑賞をしたいものですが」
「……は、はひ。ど、どうそ、……です」
あたしは何もない空間からポップコーンを取り出す。
ここは、あたしだけの空間だ。
自分の頭で思い浮かんだものは、だいたい生み出すことができる。キャラメル味がいいだろうか、それとも塩味にしたほうが? こんなことなら季節限定のチョコバナナな味を食べておくんだった。量だって、この人(?)がどれだけ食べるかもわからないのに。そんな頭がパニックになりながら、ごく普通の、ごく平凡なポップコーンを隣の席に座っている男に手渡す。
渡してから、ハッと気がつく。
そうだ。ポップコーンに下剤を盛ってやればよかった。
「ありがとうございます。……ふむ。人間の創作意欲は、こうして食生活にもフィードバックしているのが素晴らしいですよね。自分だけで完結せず、おいしい、という共通認識は世界に広がっていく。やはり、料理も芸術に通じるものがありますね」
何を言っているのかまったくわからない。
この肌が黒くて、まるで執事さんみたいな服を着て。目の下に、逆さになった星のマークを刻んでいるという、あたしが見てもちょっとイタい外見をした人は、さも当然に隣の席に座ってポップコーンを頬張っている。
「(……ふんだ。こんな恋愛漫画みたいなシチュエーションだって、あたしの恋心は揺らぎませんよーだ!)」
心の中で、あっかんべーをしながら、あたしは眠り続けている『彼』の頭を撫でる。この少し癖のある髪質が何ともいえない。ずっと触っていたくなる。
「……嗚呼、すみませんね。二人の邪魔をしてしまって。どうぞ、私のことは気になさらずに、好きなだけ彼の髪の匂いでも嗅いでください」
「し、しませんよ! そんなこと!?」
「本当に?」
「ほ、本当です!」
「ふーん。……で、実際のところは?」
「……一度だけ、嗅ぎました」
「そうですか。……それで、本当に実際のところは?」
「……一時間ごとに嗅いでました。幸せでした。……あふぅ~」
うぅ、恥ずかしい。
あたしは真っ赤になっている顔を下に伏せる。
だって、しょうがないじゃん。ずっと好きだったんだから! 彼の匂いを嗅いでいるだけで、心が満たされるというか、お腹の奥から暖かくなるというか。なんか、こう、守ってあげたい感じになるんだもん!
そんなこと口から言えるはずもなく、ぷんすかと頬を膨らませて怒る。
「さて、髪の匂いくんすか少女よ。貴女に話さなくてはいけないことがあります」
「ちょっと待ってください! もしかして、くんすか少女って、あたしのことですか!?」
「もちろんですよ、くんすか少女。私は貴女の名前を知りませんし、私にとってナタリア・ヴィントレスとは別の人物を指すことになりますからね。便宜上、あなたの呼称が必要でしょう」
「だ、だからって、もっと別の名前にしてくれませんか?」
「ふむ、例えば?」
「え、えーと。……え、映画館の女主人とか」
「0点。美しくない。クソみたい名前どうもありがとう。貴女には芸術のセンスの欠片が微粒子ほどもないようですね。そんな自分が言って恥ずかしくなるような名前、どこから湧いてきたんですか? 嗚呼、その空っぽの頭からでしたね。失礼。貴女の頭に中身があると勘違いをしてしまいました。どうか私を許してください、くんすか少女」
「……かちんっ」
嫌い!
この人、嫌い!
そんな冷ややかな目で言葉攻めにされても、あたしは嬉しくないもん! それにね。どっちかというと、あたしは純愛派なのよ! ちょっと意地悪なイケメンよりも、いつも一緒にいてくれる自然体な幼馴染のほうが好みなの! ……えーん、早く起きてよぉ。こんな意地悪な人と二人っきりにしないでぇ。このままだと、なんか、性癖が拗れちゃうよぉ。
ぐすんぐすん、と心の中で泣いていると。隣の席に座っている人が、まるで他人事のように言った。
「目覚めませんよ、その『彼』は。どれだけ待ってもね」
「え?」
あたしは隣の席に顔を向ける。
エドガー・ブラッド。あたしにそう名前を告げた人は、自分が人間ではなく悪魔であり、あたしたちに余計なことを口出しをしにきた。そう言っていた。
「同輩に、手を出さないと約束をしましたからね。なので、私ができることは『口』を出すだけ。この場所に入ってきたのも、ナタリア・ヴィントレスという人物との縁を辿ってきただけのこと」
だから、オウガイ・モリ・ブラッド卿は見つけることができない。ナタリアとまったく関係性がないから。彼女からしてみても、オウガイ・モリ・ブラッド卿のことなどまったく知らないのだから。
「……目が覚めないって、どういうことですか?」
「そのままの意味です。彼は目を覚まさない。いや、目を覚ますつもりはない。……もう彼は決めてしまったのでしょう。貴女に体を返せるチャンスがあるならば、どんな犠牲を払っても成し遂げる、と」
そういう人だと、貴女も知っているでしょう?
そう言って、エドガーさんはこちらを見てくる。
「今が、その最初で最後のチャンスなのでしょう。オウガイ・モリ・ブラッド卿の『忘却』によって、ナタリア・ヴィントレスの存在が希薄となった。表に出ていた魂が深く眠り、仲間たちがオウガイ卿を倒せれば、今まで眠っていた元の人物が表に出てくる。魂は入れ替わり、本来のナタリア・ヴィントレスが目を覚ます」
そういうシナリオなのでしょう。
まったく、悪知恵が働くというか。エドガーさんは呆れたようにため息をつく。悪魔を利用することも、仲間たちの勝利を信じることも、どちらも賭けに近いと知っていただろうに、と。
「……つまり、この人は」
「えぇ、彼は道を示した。貴女が元の生活に戻るための方法を。彼が全身全霊をかけて、貴女のために全てを注いだ。自分に良くしてくれる人たち。居心地のよい学園生活。信頼できる時計塔の仲間たち。人生に絶望して、全てを投げ出したくなった貴女にとって。最も必要な存在を、……『友達』がいる日々を」
いつも彼は言っていた。
自分に友達はいない。
そう、友達はー
「……あたしの、ために」
「えぇ。後は、選択の問題です。貴女が、この映画館から出ていくか。それとも、ここで彼と一緒に消滅するか」
貴女がこの映画館から出ていけば、全てが元通りになります。今まで貴女のために尽くしてきた『彼』は、その存在自体が消えてしまいますがね。……もし、ここで彼と一緒にいることを選べば。希薄になった存在を保つことができず、世界から『忘却』されることでしょう。
「まぁ、ある意味ではそれもハッピーエンドなのでしょうけど。ですが―」
エドガーさんは、目を細めて映画館で上映されているものを見る。
「……あまり、旗色は良くないと見える。決断は、お早めにしたほうが良いでしょうね」
映画館に映し出されている風景は。
蜘蛛のように執拗に攻撃している魔女の姿と。
それと戦う天使の翼を広げた少女と、彼女のことを見守る青年であった―