♯34.Next song is ...(どおりで顔を見せなかったわけだ)
「……Beautiful。まさか、あの蜘蛛の悪魔まで仕留めてしまうなんて」
天使の翼を持つ少女。
黒い髪を白銀へと変わっていく淑女。
その圧倒的な存在感は、あの悪魔卿にさえ匹敵する。悪魔たちが人間の悪意によって生まれる存在であれば、あの少女は彼らを抑える存在ではないのか。……超越存在。そうか。天使の末裔は、悪魔たちの世界の抑止力なのか。そこまで思考を巡らせて、魔女アラクネは薄く笑う。
「Understand。つまり、あの少女さえ殺せば、悪魔たちを抑える存在はいなくなるということですわね」
ふぅ、と魔女アラクネは紫煙をはいて、隠れていた支柱から姿を見せる。蜘蛛の悪魔と戦った後だというのに、天使の少女には疲労の色が見えなかった。
ミーシャ・コルレオーネ。
悪魔を殺すもの。
憶えておきましょう。いつか、自分が自叙伝を書くときに、苦戦した強敵の一人として。残念なのは、彼女の活躍が、……今夜までということだろう。
「Amen、私は悲しい。先ほど、貴女が焼き殺した蜘蛛の悪魔は、私が最初に呼び出した存在なのです。辛い時も、悲しい時も、一緒に乗り越えてきたというのに。貴女には良心がないのですか?」
「ないね。あんたも同じ地獄に叩き落としてやろう、っていう親切心ならあるけど」
ミーシャが不敵に笑いながら言い放つ。
嗚呼、本当に素晴らしい。
善も悪も関係ない。その行動の根っこにあるのは、陳腐な正義感などではない。何年も掃除をしなかった溝の泥のような蓄積。エゴ、自己満足、感情の流れるままに。彼女は、自分が立派な人間ではないことを知っていて、それを隠そうともしない。
嗚呼、とても良い。
だから、貴女にこそ。
この私の一部になるべきだ。
私の手足となって、私を崇めなさい。
「Not Understand。そういえば、貴女たち友人を探すために来たのでしたね。その友達の名前は、……そう。ナタリア・ヴィントレス。悪魔卿のオウガイ卿がご執心だった女。彼女は見つかったのかしら?」
「なに、居場所を教えてくれるの? それじゃあ仕方ない。ちゃんと喋れるように口と頭だけは残してやるよ。五体満足の体とは、今のうちにお別れ会をしておきなさい」
「Ahaha、愉快な人ね。残念ですけど、この私にも。ナタリア・ヴィントレスの居場所は知りませんわ。……ですけどね」
魔女アラクネは嗤う。
大切なものを他人に奪われたときに、人間がどんな反応をするのか。驚愕、戸惑い、憤怒。人の顔がころころと変わり、そして最後には絶望に染まっていく。これまでも、何人もの幸福を壊してきた。新婚の男。家庭円満の夫。初恋の男子学生。他人の大切な人を奪うのは、絶頂に等しい充実感がある。目の前の哀れな人間より、自分のほうが幸せだと優越感に浸れた。
「Amen。さぁ、おいで。私の戦利品にして、心を失った空っぽの人形よ。記憶を奪われて、思い出をなくされて、もはや仲間のことさえ覚えていない、……悪魔の女王よ!」
瞬間、空気が重くなった。
呼吸が苦しい。
鼓動が辛い。
体温が失われていく。
生きることにつながる行動の全てが、否定されるような感覚。
「……これは!?」
ジンタが叫んだ。
彼は知っていた。とてもよく知っていた。自分の一番近くにした少女の能力。周囲の人間を不幸にしてしまう破滅の力。悪魔の女王の器として、悪魔を統べるものとして、この世に生まれ落ちたときから備わっていた、……生を否定する根源。
「……まさか」
「……ちっ。どおりで顔を見せなかったわけね。まさか敵の手に落ちていたなんて」
最悪の展開じゃない、とミーシャが吐き捨てる。
アーサー会長は苦虫を噛んだような顔をして、ジンタは何かを考えている様子だった。
そんな彼らの前に、彼女は現れた。
長い蜂蜜色の髪。
子供のような幼い少女。まるで精巧に作られた人形のように、神秘的と思えるほどの美しい容姿。誰もが振り返り、息を飲んでしまうほど美貌と存在感。それは神が作った完璧な人間のようで。
だが、その少女が放つ雰囲気は、まるで正反対であった。
この世の全てを憎むような瞳。
真っ黒なドレスを揺らして、暗い感情を隠そうともしない。憎い。憎い。憎い。声にならない呟きが、彼女の異常さを際立させている。そして、その首元には。血のような真っ赤な色で刻印が刻まれていた。どくん、どくん、と不気味に鼓動するように、その血の刻印が妖しく輝く。
ミーシャたちの仲間である。
アンジェラ・ハニーシロップが。
心を闇に堕とされて、彼らの前に立ちはだかっていたー