♯31.POPs or Piano Sonata (ミーシャ・コルレオーネの戦い①)
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ノートルダム大聖堂の正面玄関を開く。
普段なら、頑丈な鎖で施錠されているはずの時間だが、錠前どころか警備の人間すら見当たらない。わずかに開かれた扉が、訪問者を歓迎しているようであった。アーサーは、ミーシャとジンタに確認してから、その扉を開いていく。
視界に入る荘厳な礼拝堂。
ほのかに灯された篝火が、大聖堂の内部をゆらゆらと照らしている。
天井や窓には、美しいステントグラスが嵌め込まれているはずだが、この暗闇では見ることはできない。アーサーたちは足元さえおぼつかないくらい聖堂を、ゆっくりと歩いていく。
「……なんか静かっすね。魔女の本拠地なんだから、悪魔が山のようにいるのかと」
「馬鹿ね。よく周りを見てみなさい。さっきから、じっと見られているわよ」
「へ? どこにいるんっすか?」
ジンタが暗がりのほうへ歩き出す。
篝火が届かない暗闇。そちらへ一歩、踏み出した時。……彼の鼻柱に何かが当たった。生ぬるい感触だった。
「いてっ、何っすか。ここになにかあるような―」
ジンタが手を伸ばして、その物体に触れていく。
まるで鱗のようにゴツゴツした表面に、鶏の羽毛のようなものが上から落ちてくる。それに釣られて上のほうを見てみると。
……キ、キィィ。
鶏の頭をした巨大な悪魔が、彼のことを見下ろしていた。
ひぃぃ、と情けない悲鳴を上げながら、ジンタがミーシャたちの元へと戻ってくる。それから、ようやく目が慣れたところで、自分たちが置かれている状況を理解した。
……フゥ、フフゥ。
……キヒ、キヒヒ。
……キャキャ、キャキャキャッ。
すでに囲まれていた。
数えきれないほどの悪魔たちによって、三人の周囲は埋め尽くされている。薄暗い空間に光る、悪魔の真っ赤な瞳。後ろを振り返っても、すでに退路はなく。奥にある礼拝堂に続く道だけが残されている。
「あ、俺。急に腹が痛くなったんで、帰ってもいいっすか?」
「別にいいけど、ジンタ。あんた一人で帰れるの?」
「あはは。そうっすよね」
「ここまで来たんだから、腹をくくりなさい」
そう言って、ミーシャ・コルレオーネは先頭を歩き出す。その後ろをアーサーが、そして彼に隠れるようにしてジンタが続いた。左右から向けられる、まるで値踏みするような視線に、早くもジンタは吐き気を催していた。
やがて、一番奥にある礼拝堂が見える位置まで歩いていき。ミーシャは、そこにいる人物に向けて口を開く。
蜘蛛の悪魔の背に乗っている、その女に向けて。
「はぁい、あんたが魔女アラクネ? 思っていたよりもブサイクな顔をしているのね。こんな最低な夜に招待してくれて、本当にありがとう。おかげで生理痛もどっかに吹き飛びそうだわ」
不遜を通り越して、もはや喧嘩を売っている口調だった。
数えきれないほどの悪魔に囲まれて。
正体不明の魔女を前にしても。
ミーシャ・コルレオーネは、自分自身を揺るがさない。
自分が不機嫌であることを隠そうとしない。自分がやる気満々であることを偽らない。戦う覚悟をもっていることを嘯かない。
揺らめく篝火。
冷たい空気が流れて。不気味な蠢きが漂うなかで、……その人物はため息をつく。
「……Amen。正直、期待外れでしてよ。この私を殺しにくるのは、13人の悪魔を狩る者か、『あの女』だと思っていたのに」
それが、こんな子供たちを相手にしなくてはいけないとはね。と、蜘蛛の悪魔に乗った女性が口にする。指先で煙草を挟んで、紫煙をはく。
……どこか奇妙な女だった。
黒いローブを頭から被っていて、蔦のようにうねる長い髪を肩に流していた。ゆらめく篝火に照らされている横顔は、不気味なほど整っている。だが、年齢不詳の美女ではあるにも関わらず、どこか現実感の乏しい印象を受ける。まるで、彼女自身が自分のことなど、どうでもいいと思っているかのように。
「……ですが、Amen。仕方ありませんね。本命が来るまでの御遊びということにしましょうか。……まぁ、数秒も持たないでしょうけど」
ふぅ、と魔女アラクネがため息をつく。
興覚めだ。こんな下らないことに時間を使いたくない。自分が待っているのは、もっと大きな獲物なのに。長い黒髪の少女を見下ろして、魔女は興味がないように視線から外す。
だが、それも仕方ないというものだった。
魔女は知らない。
自分が誰と対峙しているのかを。
自分が何を敵に回そうとしているのかを。
自分の目の前にいる黒髪の少女が、……どれほどの悪魔をブチのめしてきたのかを。この魔女は、知る由もない。
「Amen。人は死ぬ運命からは逃れられない。それが偶然の事故であっても、戦争であっても。人の死は平等なのですよ。……さぁ、死になさい。ここにいる悪魔たちによって無残に殺されるのも、全ては平等なる死の運命が―」
魔女アラクネが、指先に挟んだ煙草を口元へと運ぶ。
ゆらゆらとのぼる紫煙が、彼女の退屈を現しているようであったが。
その煙草の煙が、一瞬。
鋭い閃光によって揺らいだ。
「……運命なら、もうひとつあるわよ。ここにいる悪魔たちを全員ぶっ飛ばして、あんたの顔面をもっとブサイクにしてやる道がね」
ミーシャ・コルレオーネが不敵に笑う。
この大聖堂の内部を埋め尽くしていた、有象無象の悪魔たち。耳障りなうめき声を上げて、不快な視線を向けていた悪魔たち。その数は、正確には三十二体。
その三十二体の悪魔に向けて。
ミーシャは既に。
……全力全開の一撃を放っていた。




