♯25.OK. Let's Acid JAZZ!③(消滅の魔法)
『消滅魔法』
その魔力に触れたものは、粒子状に分解され消滅する。十年以上前に終結した戦争。大陸のほとんどを飲み込んだ世界大戦へと発展していくなかで、この国は隣国からの侵略を受けていた。当時のガリオン帝国(現・ガリオン公国)は驚異的な軍事力をもって他国へと侵攻。最先端の軍事技術である戦車や航空機、列車砲の前では、前時代の軍備しか有していなかったこの国は、あっという間に劣勢へと立たされた。そして、首都であるノイシュタン=ベルクまで敵軍が目前にまで迫ってきたときに、当時の軍将校の一人であるグラン・クラッシュハンズ大佐が秘密裏に結成された部隊を投入した。
魔法の軍事利用。それまでの伝統や慣習など無視して、魔法の適正のある者たちだけで部隊を組織。その中でも、特に狙撃に特化した部隊が『第九魔術狙撃部隊』であった。
帝国の軍は、圧倒的な性能を誇っている。
大地を耕す戦車は強固な装甲で覆われていて、その主砲は当時のどんな砲台よりも遠くを狙い撃てた。旧式のライフルや時代遅れの砲台では、時間稼ぎの遅滞戦闘すら及ばなかった。そんな帝国軍の戦車隊を、わずか十数人の精鋭が食い止めた。
いや、壊滅させた。
シロー・スナイベルを筆頭に、腕利きの狙撃手による魔術狙撃。部隊長の魔法は、どんなものでも撃ち抜ける貫通魔法を使い、その中の女性隊員は跳弾魔法で死角にいる敵を狙撃した。それでも、やはり。シロー・スナイベルの『消滅魔法』は別格であった。その魔法の前では、戦車の装甲も、最新装備で固めた帝国の軍勢も、防衛戦の楔となるコンクリート製のトーチカであっても。たった一発の銃弾が、致命傷となるのだから。
友軍からは『英雄』と呼ばれて。
敵軍からは『死神』と恐れられた。
ガリオン帝国が作成した、最優先で殺す人間たちの一番上に、当時の彼の異名が記されていたほどに。
そんな戦局さえ左右させるほどの大魔法。
使い方を間違えば、とんでもない結果が待ち受けているだろう。だからこそ、軍を退役したシロー・スナイベルは。二度と人間には、この魔法を使わないと心に決めていた。……そう、人間には。
「おい、このクソ悪魔。今、俺の娘のことを見ていただろう?」
「ギャ、ギャフ。な、何のことだかわからないんだが―」
「うるせえ。悪魔ごときが俺の可愛い娘を見るんじゃねぇ。万死に値する」
「えっ、ちょっ、まっ―」
一発の銃声が響いて。
一人の悪魔が塵となっていく。
「……おい、てめぇ。今、俺の娘に色目を使ったな?」
「ヒ、ヒィィ! な、なな何も見てな―」
「黙れ。噓つきは決まってそう言うんだ。てめぇも死刑だな」
「ヒイッ!? だ、誰かたすけて―」
また銃声が響いて。
その悪魔は姿を消していった。悲しそうな涙を流しながら。
「……あっ。おい、そこの悪魔。今、俺の娘をエロい目で―」
「見てない見てない見てな―、ぐえぇぇっ!?」
ぎゃあああっ。ぎえぇぇぇぇっ。た、たすけてくれーっ。悪魔たちの悲鳴が絶えず響いている。
シロー・スナイベルが持つ狙撃銃。その銃口から放たれた銃弾は、展開された魔法陣によって『消滅魔法』を悪魔にぶち込むことができる。かつて、この国を戦争から守った英雄は、今もこうして首都を脅かす悪魔たちと戦っている。そう、全てはこの国の平和のため―
「いや、あれは完全に私怨でブチ殺しているでしょ?」
シロー・スナイベルの娘である、ミーシャがげんなりしながら言った。
なんとか、彼の擁護をしようと頭を働かせるも、当の本人が悪魔たちに因縁をつけて襲っているようにしか見えない。アーサー会長は、もう少しだけフォローする方法を考えて、そして辞めた。
「……ミーシャ。君は随分と愛されているんだね?」
「……そうね。その男が、自分の義理の父親になるかもしれない気分はどうよ?」
「正直、覚悟を決めないといけないかもしれない」
「何? あの父親と仲良くなることを?」
「いや。どうにかして、あの人と顔を合わせないように生きていく。その覚悟だよ」
深夜のシャンゼリゼ通りには、数えきれないほどの悪魔で埋め尽くされていた。そのはずだった。それが、シロー・スナイベルが放った一発の『消滅魔法』で、再び周囲は静けさを取り戻す。悪魔たちの悲しい怨嗟の声が、どこからか木霊させて。
身内のあまりにも非人道的な所業を前にして、その娘と恋人候補の男は、言葉少なめに引いていた。呑気にしているのは、その後ろに控えている不良少年のカゲトラくらいなものだ。
「なんだ、楽勝じゃねーか。マジで、その男だけで問題ないな」
カゲトラの言葉に、シロー・スナイベルは狙撃銃に銃弾を装填させながら答える。
「奴らは、ただの雑魚だ。こんなところで時間を無駄にしたくない」
「同感だ。だったら、その魔法で。敵の本拠地であるノートルダム大聖堂もブチ壊すか?」
「そうしたいのは山々だが、それはできない」
「なぜだ? あんたの魔法なら、あれくらいの建造物を消滅させることくらい簡単だろう?」
「いや。その後の補修費用が払えない。国宝指定されている歴史的文化遺産だぞ? いったい、いくら請求されると思うんだ?」
「国の危機なんだ。それくらい大目に見てくれるんじゃないか?」
「甘いな。この国の政治家たちは狡猾だ。国が救われたなら、今度は国の繁栄のためにあらゆる関係者から搾取するぞ。奴らに容赦はない」
きっと今頃、大聖堂が壊されないこと前提で話を進めているに違いない。もし、観光の目玉である大聖堂を修理することになったら、その補填をどこに求めると思っている?
シロー・スナイベルは少し恐れた顔になる。
彼自身、本当に怖いのは老獪な政治家たちだと心の髄まで理解させられていた。
「過去に、なにかあったのか?」
「学生時代。国宝級の銃を使っていたら、卒業後にその使用料を請求された。おかげで、戦時補填などの預金は底をついたよ」
はぁ、とため息をつく。
それでも気を取り直して、シロー・スナイベルはナンバーズのメンバーへと振り返った。
「最初にも言ったが、俺は子供の御守をするつもりはない。ついてきたければ、ついてこい。自分の身を守れる自信があればな」
ただし、ミーシャだけは俺が守る。と、そのダメな父親はアーサー会長に向かって威嚇する。
「……でも、敵の動きが単調すぎない?」
「あぁ。完全に様子を見られている。俺たちも舐められたものだな」
ミーシャとカゲトラが、悪魔たちの動向を鋭く見定める。
その時だ。
突然、彼らの周囲に黒い影が広がった。至近距離での悪魔の出現。完全に不意をつかれた形だが、それでもミーシャやカゲトラに動揺はない。ミーシャは意識を集中させて魔法を発動させようとして、カゲトラは拳を構えて悪魔を迎え撃つために腰を落とす。だが―
「慌てなかったのは褒めてやる。だが、初動と反撃が異なる動作になっているのはいただけないな。反応とは反撃なんだ。敵が姿を見せたとき、すでに行動は終えているものだぜ」
シロー・スナイベルが、地面を靴で鳴らす。
その瞬間。巨大な魔法陣が彼らを包んだ。中心にいるアーサー会長たちと、その周囲に召喚された悪魔たち。その姿を見せて、悪魔がにやりと笑ったときには。その悪魔たちは塵となって消えていた。きらきらと黒い粒子が舞っていく。最後まで彼らが誇らしそうな笑みを浮かべていたのが、あまりにも不憫だった。
「……『消滅魔法・終わる世界』。悪いが、こちらは正義のヒーローを気取るつもりはないんでね。わざわざ敵が出てくるのを待ってやる必要はないだろう」
周囲を囲んでいた悪魔たちを一掃して、シロー・スナイベルは何事もなかったように歩き出す。これまでに怪物と呼ばれた人間を何人も見てきたが、この男はあまりにも別格であった。これが戦争を生き抜いた男。13人の悪魔を狩る者の一人。
「……ほらっ。何をぼさっとしている。『忘却』された仲間を助けにいくんだろう」
ちゃんと付いてこい。言葉にはしないが、シロー・スナイベルは彼らが動き出すのを待ってから、ノートルダム大聖堂へと歩み出す。大人としての最低限の優しさは、さすがの彼も持ち合わせている。
「さっきも言ったが、あいつらはただの雑魚だ。相手は、俺たち13人の悪魔を狩る者が手を焼くほどの敵だ。本番はここからだぞ」
覚悟を迷うな、と彼は言った。
そうだ。気後れなどしていられない。自分たちが忘れてしまった仲間を、ナタリア・ヴィントレスを助けるために、僕たちは前に進まなくてはいけないんだ。アーサー会長が自らの心を震い立たせて、自分の足を前へと突き進めていく。
「あれ? そういえば、ジンタ君は?」
「あいつなら、そこで気絶している」
振り返ると、はるか後方に。それこそシャンゼリゼ通りの入り口近くに、奇妙な立ち姿で気絶している少年がいた。
「あいつは、悪魔との戦いに耐性がないからな」
そう言って、カゲトラは。
気絶しているジンタを脇に抱えると、無理やりにでも自分たちに同行させるのだった。一瞬、目を覚ましたようにも見えたが、目の前の惨状を見て再び気絶した。そんな彼のことが、少しだけかわいそうに見えてきた。