#2. Working(お金がほしい。一生、働かなくてもいいくらいの、お金が)
……あー、そうですかー。
……もう、元の体には戻れないんですかー。
今や、私の耳には何も入らない。
ショックというよりも落胆のほうが大きい。口から魂が零れている気分だ。あー、帰りに何か甘いものでも買おうかなぁ。
「それにしても、なんだその格好は? 休日だというのに学校の制服とは。もっとお洒落しろ。華の女子学生が聞いて呆れるぞ?」
「私服がないんですよ、私服が」
「組織から支給されたものがあっただろう?」
「あんなの、ただの部屋着ですよ。灰色のジャージとか、恥ずかしくて着れませんって!」
東側の人間に多様性の素晴らしさを問うだけ無駄だ。
作業着は深緑色。ジャージは灰色。下着は白色。靴下も白色。くそぉ、どこかのホームセンターで激安セールだったものを、箱買いしてきたんじゃないだろうな?
「……ちなみに、主任のパンツは何色ですか?」
「赤色だが、それが何か?」
ですよねー。
やっぱり、自分で買うしかないかぁ。でも、お金がないんですよねー。
私は落胆したまま、深いため息しかでない。ガラスの机に肘をついて、不機嫌そうな態度を隠そうともしない。
「何を落ち込んでいる。別にいいじゃないか、少女の姿になったことくらい」
「主任みたいに気楽に考えられませんよ。こっちだって、いろいろと大変なんですよ。女子寮の生活だし」
ここで、かいつまんで説明してやりたいほどだ。
遠くから目を潤ませて見てくる同学年の女子とか。目が合うと顔を真っ赤にしてしまう下級生とか。この間なんか、なぜか一緒に大浴場に行こうと誘われてしまった。こっちは、なるべく目立たないように生活したいのに、もうすでに三回も生活指導室に呼ばれてしまっている。女子生徒たちを誘惑するな、と訳がわからないことで怒られている身にもなってくれ。
「(……はぁ。女の子になっても、友達はできそうにないしなぁ)」
私は無意識に、さらさらの銀髪を耳にかき分けて、上目遣いで主任を見る。憐憫に妖しく輝く瞳。それが主任の精神をぐらりと揺らしていることに、私は気がつかない。
「……あー、それは自業自得という奴だな。お前は、誰もが振り返る超絶美少女であることを自覚したほうがいい」
主任は視線を外して、胸ポケットから煙草を取り出す。
そして、マッチで火をつけて、深々と紫煙をたゆらせる。
「とにかく、今回はお手柄だった。この国が隠している真実、……『悪魔』なる存在が実在して、それに対処する組織がある。この事実だけでも、我が祖国は西側諸国との外交交渉が優位に進められるだろう」
「はぁ。結局は政治ですか」
私が肩をすくめると、主任はにやりと笑う。
「何を今更。結局のところ、我々スパイの活動は、外交交渉を優位に進めるためのカードを集めているだけだ。デモ行進も戦争でさえも、所詮は政治的な活動の一端にすぎん」
「でも、それで得するのは、私たちの貧乏な祖国じゃなくて。東側の超大国である連邦ですよね? 私たちの利益なんてスズメの涙ほどですよ」
「それこそ杞憂だ。個人崇拝が基盤の超大国なんて長生きするわけないだろう? 頑張った人間は馬鹿にされて、手を抜いた人間だけが得をする。そんな競争力を失った連邦体制なぞ、あっという間に国際社会に置いていかれるからな。連邦の解体まで、それほど時間は掛かるまい」
あっはっは、と主任が声を上げて笑う。
これだけでも敵性行為として、強制収容所送りになるほどだが、幸いなことに。この部屋には私と主任しかいない。
そして、私も。
与えられる義務より、選べる自由が欲しい。
「おっと、話が逸れたな。お前は引き続き、その悪魔と戦う者たち。『No.』と行動を共にするように。情報は常に私へと上げてくれ」
それは言うに及ばない。
ここの支部局を出たら、真っすぐ学園の『時計塔』に行かなくてはいけないのだ。すっぽかしでもしたら、アーサー会長の真っ黒な微笑みが待っているに違いない。
この支部局では、『S』主任にコキ使われて。
あの時計塔では、アーサー会長に雑用係として使われる。
……あれ、私の選べる自由って、どこにあるんだろう?
なんて暗い気持ちになっていると、ふいに主任が思い出したかのように口を開く。
「あー、そうだ。報告書にあった銃のことだな。22口径の『デリンジャー』くらいでは傷もつけられないそうだな。そちらは、こっちで用意をさせよう。本国と連絡をとって、最新式の銃を寄越すように手配してみる」
「はぁ、そうですか」
正直、アテにしないほうがいいだろう。
こういった口約束は、破られることが前提だ。信じたほうが馬鹿を見る。とはいっても手持ちのお金では、新しい銃はおろか、銃弾を確保することさえ厳しい。
「……あぁ、お金がほしい。一生、働かなくてもいいくらいのお金がほしい」
私の虚しい独り言は。
主任の部屋の観葉植物にすら無視された。