♯20.Missing song ④(失われたものを求めて。『S』主任と、シロー・スナイベルの場合)
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「だーかーら、知らねぇって言ってるだろうが」
「この腑抜けた奴め。そのスカスカの脳みそをぼじくりかえしてやろうか?」
「あん? 上等だ! この店は、俺のアトリエだ。勝手な真似は、テメェであっても許さねえぞ!」
年老いた男が、震える手でショットガンを手に取る。
その姿を、魅惑的な美女。『S』主任が呆れたように見ている。
首都の住宅街。
すこし寂れた場所に、ひっそりと建っている小さな楽器屋。様々な楽器が並んでいる店内の奥には、油と火薬と鉄の匂いで充満している。棚に並んでいるのは、引き金を絞れば音が出て銃弾が飛び出す。……銃火器の類だった。
銃職人のジョセフ。
表向きは楽器屋を装っているが、実は影で銃の整備や改造を行っているガンショップであった。
「何度も言っているだろうが。ナタリア・ヴィントレスなんて客は知らねぇよ」
「本当か? もっと、よく思い出したらどうだ? ジョセフ坊や」
「昔の呼び方をするんじゃねぇ。そもそも、あれから何十年も経っているのに、なんでテメェは歳をとってないんだよ!」
ジョセフの皴だらけの指が、『S』主任のことを指さす。
彼女の肌には皴どころか、染みひとつなかった。
「女って生き物はね。ある時から年齢を数えなくなるのよ。……それよりも、本当に思い出せないの? ナタリアのことを」
「知らねぇな。こう見えても、その手の客は多いんだ。さっきもガタイの良い黒服の二人が、大量の銃弾と、ありったけの爆薬を買っていきやがった」
「あの子も、この店を贔屓にしていたはずよ。小型の暗殺銃デリンジャーの整備とか。私の使っていたドラグノフ狙撃銃だって、あんたが渡したっていうじゃない?」
「知らねぇもんは知らねぇんだ! てめぇがいると、他の客が逃げちまうから、さっさと帰ってくれ!」
そう言って、ジョセフ爺は。
ニンニクや十字架などを手当たり次第に投げつけてくる。
「……ふむ、残念だ。お前なら何か覚えていると思ったんだがな」
当てが外れた、といった顔で『S』主任が席を立つ。
やはり、ナタリアのことを覚えているのは、私のような異質な者だけなのだろうか。そう諦めて、裏口の扉を開けようとした。
その時だ。
ふいに、銃職人のジョセフ爺が言い放つ。
「あー、ついでだ。そこにあるもんを持ち主に届けてやってくれ」
何のことだと、『S』主任が振り返る。
そして、銃職人が指をさしている者を見て、……思わず笑みがこぼれた。
「……誰から依頼されたものかわからねぇ。どんな調整を求められたのかも知らねぇ。でもな、この指は覚えているんだ。忘れたくても、忘れることはできねぇ。この難儀な銃には、いろいろと苦労をさせられた。もう見たくもないから、持って行ってくれ」
銃職人の作業机にあったのは、ひとつの銃だった。
口径は9×39㎜。特別仕様の亜音速弾を使用することで、極限まで銃声を消すことにできる弾丸。20発込みのマガジンに、中距離使用の狙撃スコープ。そして、AMATIのヴァイオリンケース。
静謐の消音狙撃銃『ヴィントレス』が、完璧な状態で整備されていた。
「ジョセフ。お前は―」
「さぁ、とっとと行ってくれ。俺は一緒に戦うことはできねぇ。できることといえば、これくらいなんだからよ」
年老いた銃職人は、背中を向けたまま手を上げる。
本当に、覚えていないのだろう。
本当に、忘れてしまったのだろう。
それでも。
銃職人として、完璧な仕事をこなす。
惜しむべきは。
その依頼した人物の顔を、どうやっても思い出せないことだった。
「……代金は、本人に払いに来させるからな」
後は、任せろ。
そう言って、『S』主任は裏口から出ていった。手には、ナタリアの使用していた『ヴィントレス』。それを入れたヴァイオリンケースが握られていた。
ひとり残された銃職人は静かに。
煙草に火をつけて。見知らぬ誰かのことを案じていた。彼は、彼にしかできない銃の整備を終える。
今では、指先でしか覚えていない友達の笑顔のために。
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「まったく。なんで俺が」
首都の雑多をかきわけながら、シロー・スナイベルは不機嫌そうに呟いた。
悪魔を狩る秘密組織。『13人の悪魔を狩る者』。国に認められたわけでない武装組織というものは、幾分か肩身が狭い。再就職の際に履歴書に書けるわけもなく、書面上は無職である。そこだけを見ると、スパイの立場と何も変わらなかった。
それでも、彼が軍の特殊部隊から、この組織に移籍したのは、ひとえに愛する家族のために他ならない。妻とは学生時代に結婚して、娘のミーシャは孤児院から引き取って育ててきた。
ささやかな幸せ。
それだけで十分だった。
かつて、東西戦争に身を置いていた狙撃手として、あれほど人間の営みから外れたものはない。どんなに取り繕うとも、どんなに美談にしようとも、戦争とは絶対悪だ。何があっても許されるものではない。
戦争が終わり、東西冷戦の時代になっても。目の前で血が流されないだけ、まだマシだと思えた。
だが、この首都に悪魔が現れた。
愛する家族を危険に晒す脅威だ。
ならば、排除するしかあるまいよ。悪魔卿のヴィルヘルム卿に声をかけられた時、シローは迷うことはなかった。即日、部隊を離れて、この首都に巣食う悪魔と戦う日々が続いた。
初めは一人だった『13人の悪魔を狩る者』が、日を追うごとに仲間が増えていった。ラフティ・マルスキン、クリスティーナ・ビスマルク、ゼノ・スレッジハンマー、シギ・デッドマン=グレイブヤード。見知った腕利きもいれば、初めて出会う猛者もいる。彼らと背中を合わせて戦う日々は、充実とは少し違う達成感があった。
だが、それも終わりの日が近づく。
魔女アラクネを捕縛したのは、そんな日常にあった。悪魔を召喚して、首都を混乱に貶める。奴に尋問したことがあるが、その思想は破壊と混沌に根ざしている。間違いなく平和な世界にとっての脅威だ。
そんな女が、また混乱を起こさせようとしている。
そうはさせるか。
この国の平和のために、愛する家族のために。貴様には容赦をしない。
シローは雑多な市街地を抜けて、公衆電話の受話器を取る。ちらり、と周囲を確認したあと、電話番号をダイヤルで回る。
「……もしもし。あぁ、俺だ。至急、用意してもらいたいものがある。……そうだ。大量の爆薬が欲しい。あと、ありったけ銃弾をー、はぁ? 売り切れ? 在庫がないだと!? そんな馬鹿な。おい、ジョセフ爺! 俺にも銃弾をよこせー、って切りやがった!?」
ガシャン、と苛立ちながら受話器を公衆電話に戻す。くそっ、予想外だ。まさか武器調達の前から出鼻を挫くとは。こうなったら、あの銃職人ジョセフの元に直接いくしかないか。
シローは落ち込んだように肩を落として、トボトボと路面電車駅のほうへ歩いていく。ーと、その時。ふと思い出したように、公衆電話へと戻ってきた。
……まぁ、無駄だと思うが。そうな胸中を呟きながらダイヤルを回す。相手は、ドバイ空港の航空管理局。遠くの外国に行くときに、必ず乗り換えるために訪れる中継空港だ。
「あー、もしもし。伝言を頼みたいんですが。ニホン行きの便に乗ろうとしているバカ一向がいると思うんで。その中にいる、首に金槌の入れ墨をしている男にこう言ってください。……お前が浮気をしていることを、奥さんにバラされたくなかったら、すぐに仲間をつれて帰ってこい。この馬鹿野郎どもが、と」
彼は、彼にしかできない方法で仲間を脅迫する。
それが最善の選択肢であることを、心のどこかで確信して。