♯19.Missing song ③(失われたものを求めて。カゲトラ・ウォーナックルの場合)
――◇――◇――◇――◇――◇――◇――
――カラカラ、カラカラ。
フィルムが空回りする音が映画館に響く。
酷く眠い。
自分がここにいるのかさえ曖昧だ。
果たして、私は本当にここにいるのだろうか。
私は、ここにいてもいいのだろうか。ナタリア・ヴィントレスという一人の少女の身体を、勝手に間借りしてしまっているような自分が。
彼女の人生も。
彼女の尊厳も。
泥のついたブーツで踏みつけるような、二度と落ちない染みを作る愚行を犯しているというのに。
私のことを、呼ぶ人がいる。
私のことを、友達と呼んでくれる仲間がいる。
……いや、それではダメだ。
それは私が求めている結果ではない。
私に友達はいない。
そういった存在は、彼女にこそ相応しい。
私には必要ない。
――カラカラ、カラカラ。
フィルムが空回りする音が耳を打つ。
どこから聞こえてくるのか。そんなことさえ考えられず、蒙昧とした睡魔に私は漂っている。
――◇――◇――◇――◇――◇――◇――
「やぁ。こんなところで会うなんて奇遇だね。カゲトラ?」
「奇遇じゃねぇ。お前に会いに来たんだよ。シリウス」
人の気配が全くない、スラム街の裏路地。
そんな場所で馴染むように立っている親友のことを、カゲトラは鋭い視線で睨んでいた。
細身の体に、清々しい笑顔。その柔らかい表情だけでも、若い女は虜になってしまうだろう。だが、彼の全身は黒い服に包まれていた。それが異質な雰囲気を放っていた。
そして、その親友の手には。
もう動かなくなった悪魔の首が握られている。
「ちょっと待っててね。このゴミを焼き払うから」
そう言って、親友のシリウスが手に力を込める。
黒い炎が、悪魔を包んだ。
耳障りな断末魔が響く。やがて、何も喋らなくなった悪魔だったものは、黒い灰となって消えていった。
カゲトラの親友。
彼の名前は、シリウス。
倉庫街で共に育った兄弟のような二人。そこに、シリウスの妹と合わせて、三人で騒がしくも充実した日々を送っていた。
あの日、獄炎の悪魔が現れるまでは。
カゲトラたちが暮らしていた倉庫が、悪魔によって燃やされた。カゲトラは顔に火傷を負い、シリウスの妹も歩けなくなるほどの怪我をした。そして、シリウスは。首から下の全身を燃やされて、生きているのが不思議なくらいの致命傷を受けたのだ。
そんな彼を生かして、悪魔たちへの復讐に力を貸しているのが。
悪魔卿の一人。獣の骨を被った、ルートヴィッヒ・ヴァン・ブラッド卿であった。『憤怒』と『復讐』の悪魔卿。悪魔を狩ることに手を貸している卿は、今も静かにシリウスの後ろに潜んでいる。
「さて、君のほうから会いに来てくれるとは意外だね。なんだったら、この前の決着でもつけるかい?」
シリウスがわずかに腰を落として、足技の構えをとる。
黒い炎を、自身の周囲に纏わせる。
その黒炎は自分の命を火種に燃える。自らの寿命を削るような行為。その炎を見て、カゲトラは機嫌を悪くしたように顔をしかめた。復讐のために自らの命を燃やしている親友の姿を、見ているのは辛かった。
「……悪いが、今日は喧嘩に来たわけじゃない」
「ふぅん。では、世間話でもしにきたのかい?」
「あぁ、その通りだ」
シリウスの茶化すような問いに、カゲトラは真面目な顔をして答える。
それを意外そうに見て、シリウスも戦闘態勢を解いた。
「……ワケありかい? それとも、悪魔への復讐なんかやめて、妹のところに帰ってくるようにと説得に?」
「いんや。テメェのやっていることは、いつか力づくにでも止めてやるよ。入院中の妹を放っておいた分も、ちゃんと利子に乗せてな」
「ははっ。マリアには、カゲトラがいれば大丈夫だよ。君だって気が付いているだろう? マリアの気持ちに。あの子は、君に惚れているよ」
「そいつと真正面から向き合うためにも、テメェを止める必要があるんだ」
「……はぁ。難儀な男だね」
「……お互い様だろう」
カゲトラはそれっきり黙ってしまい、壁に背中を預けて空を見る。
ボロボロに朽ちたレンガの壁。
スラムのすえた匂いが鼻につく。
灰色の空に雲が流れて、風が他人事のように過ぎていく。
その間も、シリウスは黙って待っていた。
カゲトラが何を話そうとしているのか、その雰囲気だけでもわかっていた。
「……手を、貸してくれ」
「うん、いいよ」
「おいっ、ちょっと待て。まだ何と戦うのかも話していないだろうが」
「話さなくてもいいよ。僕たちの仲だ。君が手を貸してくれ、というならば断わる理由がないよ」
シリウスが、寂しそうに笑った。
今にも燃え尽きそうな命。悪魔卿の手を借りて、なんとか命を繋げている。悪魔たちに復讐をするために。
もう二度と交わることのない、男たちの道のり。
それでも、こうして。
かつての親友と背中を預けあって、戦える喜びを。
……静かに、噛みしめる。
「今夜だ。場所は、シャンゼリゼ通り。その先にあるノートルダム大聖堂」
「了解。僕の力が必要になったら合図をして。相手がどんな奴でも、君の背中を守ってみせる」
親友の答えに、カゲトラは顔に出さないように感謝した。
彼は、彼にしかできない救援を求める。
今では、どんな話をしていたのかも思い出せない、友達のために。