♯15.Waltz For Debby③(あの少女は。もう、この世のどこにもいない…)
「は?」
ぽかん、とシロー・スナイベルが口を開く。
理解が追い付かない。
アラクネを捜索していたはずの部隊が、逆に襲撃されて。
……全滅したというのか!?
「そ、そんな馬鹿な! あんなイカレ女だけで、部隊の連中が負けるわけがないでしょう!」
「残念ながら、事実だ」
嘆かわしいがな、とヴィルヘルム卿は付け加える。
その報告を聞いて、シローはがっくりと膝を、……つかなかった。
努めて冷静に振舞い、状況を正しく把握しようとする。
この辺りの思考の転換が、まさに戦場を生き抜いてきた狙撃手のものだった。
「……怪我人は、……いや。生き残りはいるんですか?」
「む? 何を言っている。部隊は壊滅したと言ったが、死亡者が出たとは言ってないぞ」
あっけらかん、とヴィルヘルム卿が言う。
そんな悪魔卿に、今度こそシロー・スナイベルの思考は停止する。
「は? いや、だって―」
「奇襲を受けたのは事実だが、我が集めた精鋭がそうそう死ぬわけがあるまい。アラクネは配下の悪魔共と引き連れて襲ってきたが、あの阿婆擦れめ。旗色が悪いと思ったのか、厄介な奴に救援を求めてな」
とくとくっ、とシャンパングラスに琥珀色の酒が注がれていく。
「それが、我が同輩の悪魔卿。……オウガイ・モリ・ブラッド卿だ。嘆かわしいことに、あの青二才め。部隊全員に『忘却』と『記録』を施しよった」
「忘却と、記録?」
「うむ。それが、あの青二才の根源だからな。本の虫である引きこもりには相応しいが」
「そ、それで。他のメンバーたちは?」
シロー・スナイベルが、心配と不安を入り混じらせながら問う。
いや、この場合の不安は。
仲間の安全とか、そういうものとは。もっと別なところにあるようであった。
「ふむ。13人の悪魔を狩る者の任務などすっかり忘れてしまってな。脳内に焼き付けられた記録を尊重してしまったようで、皆こう言っていたぞ。『……そうだ、京都に行こう!』と」
そのまま連中は戦闘を引き上げて、日本にバカンスに行ってしまったぞ。アラクネたちも姿を消していたし、首都に危険はないと判断したらしい。そこからは、まさに特殊部隊員といった迅速な動きで旅行の準備をして、飛行機に乗って飛び立ったのが、先ほどのことだ。
そんなことを、ヴィルヘルム卿は淡々と説明していく。
「……な、なんで。引き留めなかったんですか?」
シロー・スナイベルの絞り出すような声に。
ヴィルヘルム卿は、真面目な顔をして答えた。
「だって、面白くないだろう? 戦いとは、実力が拮抗しているから輝くのだ。一方的なワンサイドゲームなど、見るに値せん」
真面目だった。
どこまでも真面目だった。
首都の危機なんかよりも、自分の娯楽を優先させるなんて。
そこで、シローは思い出した。
あぁ、そう言えば。このボスは、人間じゃなかったな。
「安心しろ。ちゃんと空港まで見送ってきてやったぞ。大型バスというものは、運転してみると中々に面白いものだな。貴重な体験だった」
「あー、そっすか」
「ちなみに、ちゃんとお前にもお土産を買ってくるとも言ってたぞ。あと、『首都の未来はお前に託す』、『何があったら、全てお前の責任だからな』、『がはは、精々頑張れよ』とも言っていたな」
「ぶちっ!? ふざけるなっ! 誰が言ってたか知らんが、帰ってきたらブッ飛ばしてやる!」
「貴様の同輩だよ。そういえば、そいつが皆を引き連れていったな」
「……すみません、ボス。急用を思い出しました。今すぐ京都に行って、頭をブチ抜かなくちゃならん奴がいるんで」
ガタゴト、と慌ただしく地下酒場から出ていこうとする。
そんな彼を、ヴィルヘルム卿が慌てて止める。
それまでの落ち着いた雰囲気はなく、必死な様子で引き留めていた。
「待て待て待て! 貴様まで行ったらパワーバランスが崩れるだろうが。言っただろう、実力が拮抗しているからこそゲームは燃えるのだと。貴様が抜けたら、ここにいる小童どもが戦うことになるんだぞ」
ヴィルヘルム卿が時計塔のメンバーに向けて手を広げる。
そこにいるアーサー会長たち。
彼らとて歴戦の猛者ではあるが、アラクネと配下の悪魔たち。そして、彼女に手を貸したという悪魔卿の存在。
確かに、実力差は否めない。
シロー・スナイベルの額に汗がにじむ。
「……ボス。あんた、ロクな死に方しませんよ?」
「安心しろ。我ら悪魔卿に死の概念はない。肉体が滅んでも、存在は続く。この星の歩みと同じようにな」
そして、また肉体も復活する。
そういうものだ。
「まぁ、奴らも馬鹿ではあるまい。本当に危なくなったら駆け付けてくるだろうよ」
「そういうのはアリなんですね」
「劇的な逆転劇も、また勝負の愉しみよ」
ふっ、とヴィルヘルム卿が薄く笑う。
やはり、この男。
倫理や常識より、自分の欲望を優先する辺り。人間ではなく、悪魔なのだと。見ている人間の全員が納得していた。
そんな緩んだ空気の中で。
その悪魔卿が、冷水のように冷たい一言を添えた。
「あー、そういえば。小童たちが探しているナタリア・ヴィントレスだがな。……あれは、もうダメだ。とっくに、あの青二才に喰われてしまったからな。もう、この世のどこにもおるまい」
諦めろ。と締めくくり、悪魔は表情も変えずシャンパンを注ぐ。
その言葉の意味を理解するまで。
およそ、数分かかったー




