♯13.Waltz For Debby①(悪魔が呼び出された日のこと…)
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長い夜があった。
二年前。封印されていた儀式をもちいて、悪魔を召喚した人物がいた。のちに『悪魔の照明事件』と呼ばれる事件で、首都の夜に悪魔たちを解き放った。
その人物の名前は、アラクネ・ルチルクォーツ。自分のことを『魔女』であると豪語して、捕縛されてからもこの国の崩壊を望んでいた。
「アラクネ?」
「誰、それ?」
シロー・スナイベルの言葉に、その場にいた全員が困惑する。『S』主任を除いて。
初めて聞く名前に、『No.』の面々が首を傾げる。
それを予想していたのか、シロー・スナイベルは淡々と補足説明していく。
「アラクネ・ルチルクォーツは、俺たち13人の悪魔を狩る者が捕縛、幽閉していた危険人物だ。奴を確保してから、俺たちの組織にある地下独房で監視していた.
二十四時間体制でな」
「その危険人物が、独房から逃げ出したと?」
「あぁ。今から70時間ほど前の話だ」
シロー・スナイベルは少しだけ考える仕草をすると、言葉を選ぶように喋り出す。
「……あの女の思想は、危険だ。これから、どのような行動を起こすのか想像できない」
「どのような人物なんです?」
「……とある事件の首謀者とされている女だ」
彼は苦々しく言った。
「二年前のことだ。この女は国立ルーブル美術館の地下にある、封印された書庫へと忍び込んだ。そこで秘匿されていたのは、現代の我々では解明できない文明の集積だ。その内の一冊を盗み出し、大々的な儀式を行った。……どんな儀式か、わかるか?」
シロー・スナイベルの厳しい視線に、メンバーたちを無言で答える。
わずかに息をついてから、彼は続けた。
それは、思いもよらない事実だった。
「……悪魔の召喚だよ。その事件の名前は『悪魔の証明事件』。アラクネ・ルチルクォーツという女は、この首都に蔓延る悪魔たち。666体の悪魔と、5体の悪魔卿を召喚した首謀者なんだ」
一瞬、彼の言っている意味がわからなかった。
『No.』の仲間たちが、これまで戦ってきた悪魔たち。死にかけたことも何度もある厳しい戦い。その原因を引き起こした人物が―
「『悪魔の証明事件』の発生と同時に、この首都は壊滅の危機に陥った。そんな時、ウチのボスが国内の実力者たちをまとめて、悪魔と戦う組織を結成した。それこそが『13人の悪魔を狩る者』だ」
13人の悪魔を狩る者の最初の目標は、アラクネ・ルチルクォーツの捕縛であった。
主戦場を首都郊外の古城へと変えて、三日三晩に渡る死闘が続いた。
無限にも思える悪魔たちの防衛は硬く。戦争の英雄と呼ばれた魔術兵士や、腕自慢たちによる突撃隊も、なかなか攻略に至らない
多くの怪我人が出た。
それでも、最後には。首謀者のアラクネを捕獲して、地下の牢獄へと幽閉することができた。
「だからといって、首都の闇に隠れている悪魔たちが消えることはない。結果として、首都の治安を維持する目的で創立したのが、お前たち『No.』だ。これまでお前たちが戦ってきたのは、二年前の戦いで逃がしてしまった、取りこぼしの悪魔だよ」
つまり、アラクネという人物は。
俺たちの共通の敵ということだ。
シロー・スナイベルはそこまで説明して、一度、口を閉じた。そしてメンバーたちの反応を見る。アーサー会長は思案顔のまま考えこんでいる。黒髪少女のミーシャも不機嫌そうに口を閉じている。不良少年カゲトラは自分には関係ないと言わんばかりに興味なさそうだった。
「……話はわかりました、まだ完全には理解できていませんけど。要約すると、シロー・スナイベルさんは、その逃げ出したアラクネという女性を追いかけているですね?」
「あぁ、半分正解だ。あいつを追いかけているのは、俺だけじゃない。13人の悪魔を狩る者が総出になって捜索している。ここに来たのも、そこにいる女スパイから、何か情報を収集できないとかと思ってのことだが―」
ちらり、とシロー・スナイベルが鷹のような視線を向ける。
狙撃手特有の鋭い目つきだ。
そんな視線を受けてなお、『S』主任はおどけるように肩をすくめる。
「残念だが、私が話すことはないな。そもそも、この寂れた地下酒場に来たのも、あの酒好きのジジイと合う予定になっていたからだ」
お前に話すことはない。
暗にそう告げていた。敵対に近いその反応は、シロー・スナイベルもわずかに反応する。顔に苛立ちを滲ませながら、近くにいるアーサー会長に声をかける。
「おい、アーサーの小僧。この両手を縛っている縄を解いてくれ。どうやら世の中には、話では解決できない問題もあるらしい」
「嫌です。むしろ、その頭に紙袋でも被せましょうか?」
正しく辛辣な返答が帰ってくる。
こんなところで大暴れされたら、たまったものではない。13人の悪魔を狩る者といえば、全員等しく人外に近い存在だ。戦争の英雄といえば聞こえはいいが、どれも悪魔以上の曲者だ。自由にさせないほうがいいに決まっている。
そんなアーサー会長の態度に、今度は『S』主任が上機嫌に笑う。
「はははっ、美形少年。話がわかるじゃないか」
「僕たちにとって重要なのは、ナタリア・ヴィントレスという欠けた仲間です。彼女の身柄を優先したい」
「ほう。この街よりも」
「いえ、この街と同じくらいです」
静かな口調だった。
だが、その内に秘めた熱い感情に、『S』主任もシロー・スナイベルもかすかに笑う。表情には決して見せない、強固な覚悟が。アーサー会長の態度から溢れていた。頼りがいのある、リーダーの資質だ
だが、その姿に。
ミーシャだけが心のどこかで不安になっていた。
「まぁ、いいだろう。どうせアテにしていなかったからな。このまま俺はアラクネを探しにいく。どうせ、まだ首都のどこかに隠れているはず」
―それには及ばん。
―奴の居場所は先ほどはっきりしたからな。
不意に。
老いた男性の声がした。
厳格な雰囲気すら漂わせる声に、一同が扉のほうを見る。
そして、玄関の扉がゆっくりと開くと。
「……ふむ。予定より物事が絡まっているようだな。……嘆かわしい」
そこに立っていたのは、身なりの整った老紳士だった。
まるで大学の教授のような風体に、それとは全くことなる存在感。空気が重くなる。呼吸を忘れてしまう。思考が停止しそうになる。
……これは。
……この感覚は。
「ボス? なんでここにいるんですか。忙しいからって動けないって―」
「あ、酒飲みのジジイ。こんな美女を待たせておくなんて、罪なジジイね」
シロー・スナイベルと、『S』主任が同時に口を開く。
体が強張って動けないアーサーたちを尻目に、その老紳士は彼らの前を通り過ぎる。
そして、まだ空いていない酒瓶を棚から取ると、優雅にシャンパングラスへと注ぐ。そのまま、微細な泡が浮き立つのを見ながら、その場にいる全員に向かって言う。
「まったくもって嘆かわしい。事態はどんどん悪い方向へと向かっている。まさか、この面倒な問題を。この場にいる人間だけで対処しなくてはいけないとはな」
そんな意味深なことを呟いたかと思うと、手にしたシャンパンに口を触れることもなく。
彼は、いや。
その存在は口を開く。
「初めましての諸君。嘆かわしいが、ご機嫌よう。……我が名前は、ヴィルヘルム・ブラッド卿。この首都を影から守っている13人の悪魔を狩る者の創設者にして。二年前に呼び出された、五体の悪魔卿のひとりだ」
以後、よろしく。
そう言って、悪魔であるヴィルヘルム卿は。
人間たちが驚いている様子など気にも留めず、シャンパングラスを口へと運ぶのだった―