#1. Sleeping White (少女は、未だ眠っている)
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「お前の本体? そんなもん死体安置所にあるに決まっているじゃないか」
「なっ!?」
女上司の『S』主任の言葉に、私は愕然とした。
週末の休日。私は報告をかねて、以前の職場に足を向けていた。東側陣営の諜報機関の支部局。もちろん、表向きは別の看板を掲げている。古いボーリング場を買い取ったもので、今は印刷業者のペーパーカンパニーを装っている。
狭い事務室に、簡素な間取り。
直接、上司に報告するときにしか来ない支部局だが、ここの埃っぽさはあまり好きになれない。何より、東側陣営の匂いが強い。規定通りの応接に、規定通りの会話。個人の自由など、極めてかつ厳密に認めない東側の考え方は、窮屈を通り越して、もはや苦痛でしかない。
それでも、東側の超大国である連邦の監査員がいないだけ、まだマシらしい。『S』主任が出張で連邦の首都から帰ってきたときは、好きなときにトイレに行けると喜んでいたくらいだ。その上司が、私の報告を聞いて、何でもないことのように放った言葉が、これだった
「当たり前だろう。そもそも、自分の体が無事だと思っていたのか? 貴様が初めて悪魔と遭遇して、ナタリア・ヴィントレスという少女を助けた、あの夜。お前の本体とやらは、瓦礫の下でぐちゃぐちゃになっていたんだぞ」
一応、救急措置をしたらしいが、すでに手遅れだったらしいな。そう言って手渡してきたのは、一枚の写真だった。
事故現場の写真だろう。
瓦礫の中に、辛うじて人の形をした何かが映っていた。
「見たらわかるだろう。これで、こいつが動き出したら、B級スプラッタ映画から出演依頼が来ることになるぞ。よかったな、映画スターへ転職できるぞ」
ぐぬぬ、と私は黙り込む。
「まぁ、少し前まで。中央病院の霊安室に放置されていたんだがな。書類がそろったことで、晴れて死体安置所送りになったんだ。今後のことを任されているのだが、どうだろうか? ホルマリン漬けにして、私のオフィスに飾るというのは?」
「……いえ、火葬にしてください」
私の沈んだ声に、主任は残念そうな声が返事をする。
「ふーむ、そうか。仕方ない。貴様の無残な死に様を見せれば、部下たちのやる気も上がると思ったんだがな」
それは、やる気ではなくて、生き残るための決意だろう。誰だって、死んでからも見世物なんかになりたくない。
私は重いため息をつきながら、スカートから覗く膝頭を擦らせていると。ふいに『S』主任は話題を変える。
「あー、そうだ。貴様の健康診断の結果も見させてもらった。何も異常はないようだな」
「えぇ、おかげさまで」
「なんだ、その顔は? 少しは喜ぶべきだぞ」
はぁ、と沈みっぱなし私に、主任は不思議そうな顔をする。
「お前の頭部の挫傷は、かなり危険なものだったんだ。本当は、二度と目が覚めない『植物状態』になっていたところを、お前の精神に入り込む魔法のおかげで、九死に一生を得ているんだ。もっと素直に喜べ」
もしかしたら、元の人格である『彼女』だって。深い眠りについているだけで、いつか目覚めるかもしれない。
そう説明する上司を前にしても、私の気分は沈みっぱなしだった―