♯6.「-- No disc--」② (誰も、その失われたものに気がつかない)
『ジンタ』という少年は、異世界放浪者である。
本人がそう言っているだけで何の確証もないが、別の世界から来たことを自慢そうに言いふらしている。そんな彼だが、当人の明るい性格のせいもあってか、仲間たちもその素性を深く追求しようとはしなかった。
特別な能力など、何もない。
どこにでもいる普通の少年。
ただ、ひとつ。確かなことは。
ジンタという男は仲間を大切にして、自分が恋した少女には全てを賭して守ろうとする黄金の精神があった。周囲に不幸を巻き散らしてしまう存在。不幸体質の少女。悪魔を統べる女王の器。アンジェという一人の少女は、彼の命がけの行動によって救われたのだ。
それだけで十分だった。
仲間たちが、彼を信頼して。その背中に命を預けることくらい。
翌日。
いつもの放課後で、いつものように学園内の敷地にある時計塔に『No.』のメンバーが集まっていた。
「いやー、昨日は楽勝だったっすね!」
「おい、ジンタ。何もしていないお前が言うな」
「そうね。アンジェちゃんの近くに立っていただけじゃない」
何となく不服そうなメンバーの二人。カゲトラとミーシャは言葉を尖らせると、それを聞いたジンタが上機嫌に笑う。
「あははっ。俺ってば、ほら、アレっすよ。精神的な支えっていうか、戦いのムードメーカーみたいな。そういう立ち位置っすから」
ぐっ、と親指を立てる。
そのままジンタはティーカップを片手に、会議室のソファーに座る。まるで、そこが自分の定位置であるかのように。
「ん? ジンタ。あんたって、いつもそこに座っていたっけ?」
「へぇ? あれ、違ったっけ?」
自分の行動に自信が持てないのか、首を傾げながらソファーから立ち上がる。
確認するようにカゲトラのほうを見るが、彼も無表情のまま何も答えない。仕方なく、執務机で黙ったままのアーサーへと声を掛けた。どうしてか、昨日から彼の言葉数が少なかった。
「アーサー会長? どうしたんっすか、何か元気がないっすけど?」
「……ん? いや、何でもないよ」
そう答える『No.』のリーダーは、頭痛に抗うようにこめかみ辺りを指で押しあてている。
そして、しばらく沈黙した後。
重い口を開くように、アーサーが声をかけた。
「……ジンタ君。ちょっと君に聞きたいことがあるんだけど」
「はえ? なんっすか?」
結局、立ったまま紅茶を啜っているジンタが、緊張感のない声で答えた。
「変なことを聞くようかもしれないけど、……君はいったいいつから、この時計塔に戻ってきたんだい?」
「え? えーと、たしか―」
うーん、とジンタが声を出して悩む。
ティーカップに残っていた紅茶を一気に飲み干して、それから更に唸りながら考える。
「……いつだったかなぁ。確か、首都のルーブル美術館に悪魔が現れて、それを一緒に倒した後くらい。……っすよね?」
逆に確認するように、ジンタが周囲に問う。
一カ月ほど前のことだ。
この国が誇る芸術の歴史と文化。それを厳重に保管・展示しているルーブル美術館が、突如として悪魔卿に襲われたのだ。当時、『No.』から離脱していた、元メンバーのジンタとアンジェも。そのタイミングで合流。――以来、過去のいざこざを乗り越えて、こうやって一緒に行動するようになっていた。
そう、アーサーは記憶していた。
記録の上では、そうなっていた。
「……やっぱり、辻褄が合わない」
だが、このアーサーという男は。
どこまでも勘の鋭い人間であった。違和感を覚えたのなら、それに起因する種が存在する。絶えず襲ってくる違和感が、彼を、とある解答へと導いていた。
……今の状況は、何かおかしいと。
「ジンタ君。僕らの問題は、そんな簡単に解決できるものじゃなかったはずだ。アンジェさんを救うために、僕たちの組織を裏切って、ここから逃げ出したんだからね。そのまま疎遠になっていてもおかしくはない。――だけど、それを引き合わせた『誰か』がいるはずなんだ。この場にはいない、誰かが」
「誰かって、誰っすか?」
ジンタの戸惑うような質問に、アーサーが眉間に皺を寄せる。ここまで苦悩する彼の姿を、メンバーたちは見たことがなかった。
「……、……わからない。だけど、もう一人いたはずだ。過去の書類を見ても、一名分のサインだけが空欄になっていたり、領収書や支出を振り返っても妙な箇所が目立つ。ある時を境に、妙に出費が多くなっている。破損届けや修理依頼が山のようだよ。それに―」
アーサーは一度、口を閉じると。
黙ったまま、この部屋の食器棚の前へと歩いていく。そこに仕舞ってあるカップを手に取ると、メンバー全員に見せた。……わずかに茶渋の汚れが残っている、ワンコインショップのマグカップを。
「このマグカップは、いったい誰のものだい?」
「あー、もしかして俺のっすかね? 時計塔に戻ってきた時に、間に合わせで買ったのかも」
「ジンタ君。君は、こんな少女趣味の可愛いマグカップを使うのかい?」
アーサーの問いに、ジンタも思わず口を閉じる。
同じ理由で、カゲトラのものでもない。ミーシャだったら、こんな汚れを見逃すはずもない。そんな彼の推論に、カゲトラは無言で頷き、ミーシャは短い言葉で肯定した。
他に、この執務室を出入りしているのは。
アーサー会長の護衛である黒服兄弟、ペペとナポリだが。良い歳をした大人の二人が、こんなものを使うはずがない。もちろん、そんなところは見たことがない。
つまり―
それは―
「誰かが、いたはずなんだ。僕たち以外の『No.』の、『誰か』が―」