#5. 「-- No disc--」① (誰も、その失われたものに気がつかない)
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いつもの放課後。
いつもと変わらない日常が続いている。
ノイシュタン学園の時計塔には、普段と同じメンバーが揃っていた。
「それじゃ、会議を始めようか」
この首都に蔓延る悪魔と戦う組織『No.』。そのリーダーである、アーサー会長がメンバーの二人を見渡しながら言った。
「まだ全員、集まっていないけど?」
「あいつなら、どうせ遅刻だろうさ。放っておけ」
執務室にあるソファーに座った二人が、それぞれ思ったことを口にする。冷たい雰囲気をした黒髪の小女、ミーシャ・コルレオーネと。顔に火傷の痕がある不良学生、カゲトラ・ウォーナックルだ。
ミーシャ・コルレオーネは、この学園の三年生である。少し冷たい雰囲気に、長い黒髪がミステリアスな印象を与えている。『断罪聖典』という悪魔を滅ぼす魔法を扱える。No.のなかでも最大戦力といえる。……ちなみに、父親と喧嘩して家出中でもある。
カゲトラ・ウォーナックルは、ロクに授業も出ない不良だ。スレッジハンマー流喧嘩術の使い手で、素手で悪魔を倒す。
そんな二人の言葉に、アーサー会長は慣れたように肩をすくめる。
「先に始めていても問題はないよ。……ペペ、ナポリ。皆に資料を渡して」
アーサー会長は、自分の護衛である二人の黒服に指示を出して、メンバーたちに今度の作戦を伝える。
「さて、今回の標的は『アルマ河の悪魔』だ。この首都を流れるアルマ河に、ひっそりと隠れている隠密型の悪魔だね。過去に、他の組織が討伐に向かったことがあるけど、結果は逃げられてしまったみたいだ」
白黒写真が添えられた資料に手を置いて、会長はやんわりと微笑む。
「それでも、僕たちなら問題はないはずだ。この首都の平和を守るために、メンバー全員の力を合わせて悪魔を、……ん?」
不意に。
アーサー会長が口をつぐむ。
そのまま、何かを考えるように顎に手を当てて思慮に更ける。ミーシャが、そんな彼のことを不思議そうに見る。彼との付き合いが長いが、ここまで歯切れが悪いのも珍しい。
アーサー会長とは、非常に優秀な男であった。
表立って悪魔と戦うことはないが、物事を俯瞰した視点と、仲間たちの能力を正確に把握。そこから終結まで見通した統率力は、そうそう比肩する者はいない。西側の諜報員でさえ、彼とは盤外戦術をしたくないと口にするほどに。
そんな彼が、口では説明できない違和感を覚えていた。
「どうしたの、アーサー?」
「いや、気のせいかな。僕たちは悪魔を狩る組織『No.』だよね。この首都や、学園の平和を守るために」
「そうだけど」
意味が分からず、ミーシャが首を傾げる。
思わず、カゲトラとも顔を見合わせるが、彼も黙って首を横に振る。
「……いや、気のせいだったかな。なんだか、もう一人のメンバーがいたような気がしてね。この街の平和よりも、報奨金が目当てで悪魔と戦う、そんな仲間が」
アーサー会長は納得できていない顔だったが、そんなことはあり得ない、と言うようにメンバーたちの方へと向く。
「は? お小遣い目的で悪魔と戦うって?」
「……そんな奴、いるわけがないだろう」
ミーシャもカゲトラも、理解できないというような顔になる。そんな仲間たちを見て、アーサー会長もようやく気を取り直す。
「……うん、そうだね。ごめん、会議を乱して。それじゃあ作戦会議の続きといこうか」
アーサー会長の要点を絞った会議は、順調に進んでいく。
どこにおびき寄せるのか、誰が倒すのか、逃げられたときの予備プランは。
やがて、陽が傾き始めて、話がまとまった頃。
会長が書類を手放して、口を開く。
「ふぅ、なんだか喉が渇いたね。誰か、紅茶を淹れてくれないかい?」
彼が自然と声をかける。
ミーシャとカゲトラが、きょとんとした顔になる。護衛の黒服兄弟も、意外と言わんばかりに彼のことを見た。
「ん? なにか変なことを言ったかい?」
「……いや、アーサーが誰かに紅茶を頼むなんて珍しいなって。いつもは、さっさと自分で淹れて、私たちの分も用意してくれるじゃない?」
「えっ? あ―、そ、そうだね」
どういうことだろうか?
今日は、なんだか歯車が嚙み合わないな。アーサー会長は釈然としない面持ちで、ティーセットが仕舞ってある戸棚を開く。そこに並べられているメンバーたちのティーカップ。紅茶やコーヒーをよく飲む時計塔において、ティーカップは必需品といえる―
「……おや?」
そんな戸棚に、ひとつだけ異質なものがあった。
マグカップだ。
ワンコインショップで売っているような、可愛らしい絵柄に。よく見ると、わずかに茶渋の汚れが残っている。つい最近まで使っていた証拠だ。
……このマグカップは。
……誰が、使っていたんだっけ?
脳内の記録を消しゴムで消されたような感覚に、アーサー会長が違和感を必死に手繰り寄せていると。執務室の外から、騒がしい靴の音が響いてきた。
「あ、遅刻者の登場ね」
「まったく。たまには時間通りに来れないのか?」
ミーシャとカゲトラが小言を呟いているうちに、足音がどんどん大きくなり。どかんっ、と執務室の扉が勢いよく開かれたのだった。
「ちーーっす! 元気があれば何でもできる! 『No.』の最終兵器。ジンタ君が、ただいま登場しました! いやー、真打は遅れて登場、……うぎゃっ!?」
どこにでもいる普通の少年、ジンタがカーペットに足を取られて盛大にコケる。『No.』の最後のメンバーとして、彼がこの部屋に訪れていた。
この時、違和感を覚えていたのは。
結局、アーサー会長だけであった―