♯6.With love from the East !!(東より愛をこめて)
そこにいたのは、大きな獣の形をした影であった。
人間の何倍もある大きな体躯。輝く二つの瞳に、もがもがと美味しそうに咀嚼する、……影の獣だ。
「……」
「……」
唖然とする、ナタリア・ヴィントレス。
もっと唖然とする、西側のスパイたち。
やがて、咀嚼を終えた影の獣は、元の影の形に戻ると。
ぺぇっ。
と、音を立てて、その男を吐き出した。
当然のようにクズダルク書記官は、全裸にされて尻を晒している。
「……駄作ね。3点」
『S』主任が謎の点数をつける。
身ぐるみを剝がされた書記官は、気絶したまま起きそうにない。
どうしたものか、と主任が腕を組んで悩んでいると、何かを思いついた顔になる。
そして、彼の尻を見ながら、コートのポケットをごそごそと探り出す。そこから取り出したのは、……ナタリアが誘拐されるときに手がかりとして置いていった銀の鉛玉。22口径のフルメタルジェケット弾だ。
「んふっ♪」
彼女はドメスティックに笑うと、その銃弾を手にしたまま、彼の尻の一点を見つめる。
どこまでも闇が続いている暗い洞穴に。
西側の男が、顔を青くさせた。
西側のスパイたちが、そっと現実から目を逸らした。
……ちなみに、『S』主任が手にしている、フルメタルジャケット弾とは。貫通力を持たせるために、先端が尖っている。
入れたら、とても痛い。
刺さるから。
やがて、数秒ほどの沈黙が降りて―
「「あっ、あひょーーーーーっ!!?」」
という、間抜けた悲鳴が廃ビルに響いたのだった。
――◇――◇――◇――◇――◇――◇――
「おい、書類にサインが抜けているぞ」
その日の夕方。
いつものように潰れたボーリング場の地下にある東側諜報機関の支部。その執務室で、『S』主任がナタリアへと書類を突き返す。
「えー、どこですかー」
「ここだ。あと、ここも。もう一度、最初から見直せ。やり直し」
「あ、本当だ。……というか、サインするところが多すぎません? 代わりに、主任がサインをしてくれてもいいのに」
「断る。誰も見ない書類とはいえ、なんでお前のために、わざわざ私が手を動かさなきゃならんのだ?」
「むぅ、主任のサインの代筆は、いつも私がやっているのにぃ」
ぶつくさ呟きながら、銀色の髪の少女は書類にペンを走らせる。
「怪我の具合はどうだ?」
「こんなのかすり傷ですって。顔は無傷だし、問題ありませんよ」
「そうは言っても、お前は嫁入り前なんだ。傷がないことに越したことはない」
「……主任。私が誰かのところに嫁ぐと、本気で思っているんですか?」
冗談じゃない、とナタリアは憤慨する。
将来は素敵な旦那様と結婚、なんてことは最も想像したくない未来だ。少女の体で生活していても、中身は健全な人間である。いつかは、本来の体の持ち主である『彼女』に返すというのに、好きでもない男と恋仲になるなどと―
「……いや、待て。お金ちで小遣いをくれる老紳士となら、ワンチャンありか?」
「ナタリア。それは結婚ではない。パパ活という」
頭の中で札束を数えている少女に、上司の『S』主任はため息をつく。
元から、どこか頼りない奴ではあったが、今の状況になって、更に頭のネジが緩んだか? 昔はもっと無気力で、つまらなさそうだったのだかな。
そんなことを言う主任を無視して、ナタリアは書類の束をデスクの上に置く。
「はい、主任。サイン終わりました!」
「ちゃんと、全部書けているんだろうな?」
「大丈夫ですって。何度も確認しましたし」
口を曲げたまま書類を確認する『S』主任。そんな上司の機嫌などまるっきり無視して、ナタリアは自分のスクールバックに肩に掛ける。
「では、これから私は用事があるので。お先に失礼します―」
「おい、ちょっと待て。書類が確認できるまで、そこにいろ」
主任は不機嫌そうに目を細めたまま、書類を次々にめくっていく。
紙が擦れる音だけが室内に響く。
……不自然な静寂だった。
やがて、確認ができたと言うように主任が顔を上げた。
「よし、いいだろう。次からは記入漏れのないように―、ん?」
はてっ、と『S』主任が首を傾げる。
彼女の目の前には、誰もいなくなっていた。この部屋から出ていった様子などなかったのに。
「まったく、逃げ足だけは一流のスパイだな。それを仕事に活かせばいいのに、……って、おいおい」
ふと、先ほど受け取った書類に目を落とした主任が、呆れたように溜息をつく。
その書類の一番上の、ナタリアがサインするべき場所が空欄になっていたのだ。まるで、サインされたことを書類が忘れてしまったかのような、不思議な筆跡が残っている。
「あれほど、記載漏れがないようにと言っておいたのに。……いや、待て」
なんだ、これは?
『S』主任が訝しむように肩眉を上げる。
書類に残されていたナタリアのサイン。それが、次々と消えていくではないか。慌てて書類をめくっていくと、彼女のサインだけが少しずつ薄くなっていき。……そして、消えていた。
何の痕跡も、残されていない。
彼女の名前だけが、消えている。
まるで、この世界が―
ナタリア・ヴィントレスを忘れようとしているみたいで―
「……なんだ、これは」
『S』主任の胸に、嫌な予感が込み上げてくる。
考え込むように、眼鏡に指を当てたまま黙っている
そんな時だった。
唐突に顔を上げて、何もない空間を睨みつけたのだ。
「むっ! 誰だ、この私を見ているのは!?」
彼女は、こちらを睨むと。
自身が使役する、影の獣を襲わせた。
巨大な獣となった影は、こちらへと飛び掛かってきて。その牙で、空間ごと飲み込んt諤i匁悶縺弱k蜉ゥ縺逕溘縺�▲縺溘ゅ◎」縺ッ縲∫繧縺吶€魔女―